弘法大師・空海は阿含経をどう見ていたのか?
(特別質問) 弘法大師・空海は阿含経をどう見ていたのか?
「第一の法宝とは即ちこれ摩訶般若解脱法身なり。第二の法宝とは、いわく、戒・定・智慧の諸の妙功徳なり。いわゆる三十七菩提分法なり。乃至、この法を修するを以て、しかもよくかの清浄法身を証す」 弘法大師空海著 「弁顕密二教論」 第二章、広釈段より
空海さんも阿含経に説かれている成仏法・七科三十七道品(三十七菩提分法)のことはご存じだったということです。
これ以外、空海は阿含経の内容について書いていません。
天才・空海は貴族が政治の実権を握っていた平安の時代に受け入れられる仏教は様式的に最高度に整った後期大乗仏教の「真言密教」であると考えたに違いありません。
しかし、阿含経についても知っていたのです。
空海は派手な「真言密教」を前面に出し、地味な「阿含経」は裏に置いていたとも考えれれますが、本当のところは現代の私たちにはわかりません。
しかし、空海ははっきりと述べています。
「・・・いわゆる三十七菩提分法なり。乃至、この法を修するを以て、しかもよくかの清浄法身を証す」
「清浄法身」とはまさしく「解脱成仏」ということです。
天才・空海は阿含経の成仏法・七科三十七道品(三十七菩提分法)を修行することで、因縁解脱してブッダに成る(成仏)ことができると知っていたということです。
この意味を現代の我々はもう一度考える必要があると思います。
ここに、平安の時代と違う高度に文明が発達した現代人に受け入れられる仏教があります。
釈迦直説の「阿含経」の教えを前面に出し、最高度に完成された密教の様式を用いて、阿含経に説かれている成仏法・七科三十七道品(三十七菩提分法)を実践する仏教。
これこそ現代の我々が学ぶべき仏教ではないでしょうか。
それが「阿含密教」 です。
真言密教を日本に伝えてくださった空海様に感謝しつつ、しばらく続きました仏教に関するお話はひとまず終わります。
南無大師遍照金剛
回向
合掌