村井事件の黒幕は宅見組??高森ウィンドウズ「オウム村井事件の真相」 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

村井事件の黒幕は宅見組??



動画サイト「ニコニコ動画」に、ある動画チャンネルがある。
「高森ウィンドウズ」。高森明勅氏が登場し、日本史、天皇制、日本経済などを紹介する番組である。

オウム報道が下火になった2016年07月28日、突如高森氏は「村井秀夫刺殺事件」を取り上げた。
http://www.nicovideo.jp/watch/1469694133

初めに動画は羽根組の組織関係を解説するところから始まる。
解説では事件当時の徐裕行と上峯行動について触れており(名前は伏せられているものの)、徐の証言の変化や上峯の無罪判を紹介している。

その中で高森氏は「村井事件の黒幕は山口組系暴力団・宅見勝組長ではないか」と言及している。

宅見勝ってどんなひと?



1936年、神戸市生田区出身。幼少の頃に三重県伊勢市に移住し、少年期のほとんどを当地で過ごした。中学時代は学力優秀で大阪府立高津高校に進学。しかし両親が相次い亡くなった事情から学校を中退し知り合いのツテを頼って20歳前後の頃は和歌山県に居住し、那智勝浦漁港の周辺や和歌山市の飲食街でバーのマネージャーをしていた。この頃に同い年の女性と結婚している。結婚と前後して大阪へ居を移し大阪ではミナミの不良グループの仲間入りをする。1959年頃 博徒でもある土井組系川北組の若衆となり、翌年には早くも若頭に就任。 しかし1962年に所属する土井組は抗争などによる警察の集中取り締まりを受け解散する。その後、当時ミナミで大きな勢力を持っていた南道会(会長・藤村唯夫(三代目山口組舎弟)系の福井組(組長・福井英夫)の若衆となった。1966年には、その実力を認められ福井組の若頭補佐となり、翌1967年、三重県鳥羽市を本拠に宅見組を創設した。

1970年に福井組若頭に昇格したのを機に大阪に本拠を移し、そのころ三代目山口組若頭・山本健一(山健組組長)と親しくなった。1975年の「大阪戦争」では武闘派として活躍するなど貢献が認められ、山本健一の強い推薦により1977年には三代目山口組組長・田岡一雄から盃をもらい山口組直参に昇格した。
1982年に山本健一が病死。これをきっかけに山口組四代目跡目問題が浮上し、宅見は竹中正久を山口組四代目に推すグループに属した。のちの山口組組長・竹中正久が若頭に就任した同年、宅見は若頭補佐に就任。
渡辺芳則を首領に据えた五代目山口組の発足とともに1989年、山口組若頭に就任。同年5月、渡辺芳則は山口組最高顧問を新設し、中西一男を最高顧問に据えた。渡辺芳則は、英組・英五郎組長、倉本組・倉本広文組長、黒誠会・前田和男会長、弘道会・司忍会長、芳菱会・滝澤孝総裁を、若頭補佐に据え、益田啓助を舎弟頭に据えた。また章友会・石田章六会長、大石組・大石誉夫組長、西脇組・西脇和美組長を舎弟頭補佐に据え、嘉陽宗輝、桂木政夫(後に舎弟頭補佐)、木村茂夫は舎弟となった。岸本才三は舎弟となり山口組総本部長に就く。二代目吉川組・野上哲男組長は山口組総本部副本部長となった。益田組・益田佳於組長、小西一家・小西音松総長、伊豆組・伊豆健児組長は顧問に就任した。これらの新人事には宅見の意向が強く反映されていた。

1996年7月10日、山口組系三次団体中野会の会長中野太郎が会津小鉄会系組員に銃撃され、部下2名が射殺される事件、いわゆる「中野会会長襲撃事件」が発生。同日、四代目会津小鉄若頭・図越利次ら会津小鉄最高幹部が山口組総本部を訪れ会津小鉄系組員が山口組若頭補佐・中野太郎を襲撃したことを詫びた。宅見は図越らの謝罪を受け入れ、中野太郎と協議することなく和解。中野は当事者であった自身を抜きにした宅見の裁定に激しい不満を抱き、両者が激しく対立することとなる。そして1997年8月28日午後3時20分ごろ、宅見若頭射殺事件が発生。宅見は死亡した。


(遠藤誠の出版記念パーティーに参加する後藤、宅見)

「王国の崩壊-山口組分裂の深層-」



高森氏の動画は、山口組直参の最高幹部・桜井健司の著書「王国の崩壊-山口組分裂の深層-」(2015/10/28出版)を参考にしていると思われる。

著者・桜井健司は1951年生まれ。経歴は殺しの軍団と恐れられた在日系暴力団、柳川組系の金田組から渡世入りし、中野会を経て最後は六代目山口組で最高幹部を務めたとある。現在は実業のかたわら、出所者を支援するNPO活動に取り組んでいるとされる。

桜井は村井事件と宅見について次のように記述している。


…また、宅見が自由に操っていたのは山口組だけではなかった。1995年(平成7年)3月に化学兵器を使った無差別テロ「地下鉄サリン事件」を起こしたカルト集団「オウム真理教」の活動にも深く関与していた。それは山口組では長年、御法度とされていた覚せい剤の取り引きだ。「メイド・イン・オウム真理教」の覚せい剤を市場に流通させていたのは、宅見の力に依るところが大きい。

 だが、地下鉄サリン事件の捜査が進むオウム真理教と宅見とのパイプが発覚すれば、覚せい剤の取引まで公になりかねない。そこで宅見はオウム真理教の科学技術省大臣で、覚せい剤製造責任者の村井秀夫を消すことに決めた。ワイドショーのテレビカメラや新聞・雑誌の貴社でごったがえすオウム真理教東京本部前で、衆人環視の中、村井は凶刃に倒れて命を引き取った。

 実行犯として逮捕されたのは、三重県にある山口組系組織・羽根組傘下の民族派団体に所属する徐裕行。そして彼の証言により、この事件を教唆したとして、羽根組で若頭を務めていた上峰憲司(筆者注:正しくは上峯)が逮捕された。
 当時、村井幹部を殺せと上峰に命じたのは後藤組組長の後藤忠政だとの噂もあったが、これはオウム真理教との確執があった創価学会周辺が流したもので、実際は宅見だった。

羽根組組長の羽根恒夫は、1978年(昭和53年)に終結した大阪戦争における殺人未遂罪で逮捕され、福島刑務所で長期の懲役を務めた。この間、同じく福島刑務所に収監されていた上峰憲司は、羽根に拾われて縁を持ち、親の羽根よりひと足先に釈放されてシャバへ出た。そして上峰は三重県伊勢市内に羽根組事務所を構えることになるのだが、このときに上峰の面倒をみたのが、誰であろう宅見勝だったのだ。

 村井刺殺事件後、羽根組ときわめて近い人間が犯人として逮捕されたことで羽根は責任を追及され、引退に追い込まれた。本来、こうしたヤクザ稼業と縁のない事件で世間を騒がせた場合、その組織のトップには波紋、絶縁といった重い処分がくだされるのが当然だ。それなのに羽根には、引退というヤクザ人生をまっとうしたかのような幕引きが用意された。宅見が自身とオウムとのパイプを隠蔽するために羽根組を使ったことを、強く物語る証拠と言えるだろう。









オウムの覚せい剤の製造を担当していたのが村井秀夫だった、覚せい剤を市場に流していた、という説はよく聞く話だが、「宅見組が村井を消した」という情報は初見だった。

また、上峯憲司が福島刑務所に収監されていた情報はこれまでの報道には載せられていなかった。(上峯が前科者だったという報道は「週刊現代」が掲載していた)

筆者が最も気になったは、「村井刺殺に創価学会の思惑がある」という桜井の主張である。


●ここでオウム真理教、創価学会、後藤組の関係を整理してみよう。

・創価学会とオウムは敵対関係にあり、池田大作暗殺未遂事件が発生している。

・創価学会と後藤組は地上げ関連で一時期協力関係にあったが、その後決裂して学会施設が後藤組構成員に銃撃される事件が起きている。

・オウム真理教が上九一色村の地元住民とのトラブルに後藤組が介入していたとデイリースポーツが報道していたこと、富士宮市にある教団印刷所の元所有者は後藤組系の会社であったこと、また、オウムの本拠地があった上九一色村で後藤組が土地取引の問題を起こし、逮捕者を出した事実があること…である。


(宅見に傘をさす後藤)

著者の桜井は「当時、村井幹部を殺せと上峰に命じたのは後藤組組長の後藤忠政だとの噂もあったが、これはオウム真理教との確執があった創価学会周辺が流したもので、実際は宅見だった」と断言している。しかし、何故創価学会が「村井事件の黒幕が後藤組」であると情報を流す必要性があったのか具体的に明示していない。さらに宅見は射殺されているためオウム・村井事件について証言するのは不可能であり、死人に口無しである。

断片的な情報は判断材料には不適切である。ただ、今後新たな情報があれば注目すべき部分はあるだろうと思われる。


動画の中で高森氏は後藤組と創価学会の存在については言及を避け、終始宅見と上峯の関係についてコメントしている。そして最後に、高森氏は青山総本部の地下入り口の謎について触れ、オウムと徐が共犯者ではないかと推測して動画は終わっている。


小林よしのりとオウム・村井事件

「高森ウィンドウズ」は小林よしのり主催「ゴー宣ネット道場」の番組である。


(小林を睨む井上嘉浩とオウム信者ら)

小林よしのりはかつて行方不明とさてていた坂本弁護士失踪事件(サリン事件後、殺人事件と判明)の解決を呼びかけ、オウム真理教を徹底的に非難した。
その後、小林は新右翼・民族派に傾倒し、アメリカ合衆国や「行動する保守」に敵意を向けている。その一方で在日朝鮮人には好意的であり、特別永住制度や在日の帰化に賛同している。そして何より鈴木邦男とも親しく付き合っている。


(鈴木邦男を担ぎ上げる小林)

ただ、小林は村井秀夫刺殺事件については背後関係は存在すると主張しており、鈴木とは真逆の立場をとっている。


(醜悪に描かれた桜井誠。)

現在、小林は在特会を「第2のオウム」として罵倒し、桜井誠を醜悪な男として描いている。ただ、現時点では在特会は殺人事件を犯しておらず、オウムと並べるのは早計である。(余談だが桜井誠は自身のネットラジオで小林を「小林パチノリ」と罵倒している。)

一方で大量殺人を犯したオウムや赤軍の残党は健在しており、彼らは文化人を装ってテレビやトークショーに度々出演している。この状況について小林は何も指摘していない。

小林はかつてある家族から統一教会に洗脳された母親を助けてほしい、と依頼をうけたというが、小林は家族側に理解を示しつつも母親の立場も尊重し、手を引いてしまったという。

そしてオウムも、麻原不在の中、無知蒙昧な若者を騙し、徐々に信者を増やしつつある。
小林はオウムと戦うのを止めてしまったのだろうか。

最近、中川智正死刑囚が、新たに手記を発表して話題になっている。
手記によると、「サリン大量生産に上祐史浩が責任者として関わっていた」という。

オウム事件にはまだ謎が残されている。小林も再びオウムに目を向けるべきではないのか。

そして村井秀夫刺殺事件の真相にも迫り、妄言を垂れ流す徐裕行や鈴木邦男にも追求してほしいものである。