潮岬を赴いた理由ですが、こういうモンが作られてまして、

潮風の見える休憩所

裏手に廻りますと…

こういう顕彰碑があります。

かつて南紀は多くの人を海外へ出稼ぎや移民として送り出した歴史がありますが、
その送り出し先にオーストラリアがありました。

それはボタン用に白蝶貝の採集に従事、つまり潜水士として出稼ぎにいった人達がおられたわけです。

最近も朝日新聞で記事になってますな。

スキューバに先駆けた日本人 豪収容所で病死、再評価も

ただねえ…この記事もそうですが、白蝶貝や高瀬貝といった貝殻を獲りに行ったのに、真珠採集と誤解されている事が多いんですな。

白蝶貝は私がメシの種にしているように真珠養殖にも使われますし、天然でも真珠が出てくる事もありますが、その確率はものすごく低い。

ですんで、彼らが命をかけてまで獲ったのはあくまで貝なんです。



この顕彰碑は当然ながら、ちゃんと記してありますな。


オーストラリアのダーウィンにある慰霊碑と同じ形のようです。

で、顕彰碑だけでなく、この休憩所の中には白蝶貝採集に関する多数の資料が展示されております。



潜水士のヘルメット


潜水服



コンパス

空気を送り込む装置
この棒の左右の人が交互に押して空気を送り込む…
未来少年コナンを思い出しますな。


こんな小さい船に長期住み込んでの潜水作業…


採集事業の中心地であった木曜島の紹介。
司馬遼太郎は「木曜島の夜会」って作品を書いてて、それで知っている人も多いかな?

ここから、なぜ日本人がはるばる北豪まで赴いたのかの説明







厳しい作業だったようです。
潜水病にフカと、命を落とす人も多かったとかで。

現地にはまだ日本人墓地が残っているようですが…

このパネルにはあるドボってのは、オーストラリアでなくインドネシアのアルー島にある街の名前。

そこでの写真が私は忘れられません。
「エビと日本人」を書いた村井吉敬先生に見せて頂いた写真。
アルー島の人の家の写真ですが、そこに写ってた家の入り口にあった踏み石。
横には漢字が刻まれてて…
そう、墓標なんすね。

それを見て「不謹慎だ!」と憤る気持ちはさらさらないです。

ただ、異国に骨を埋めるって、こういうことなんだなあと…


これらの事業がどういう形で始まり、発展、そして衰退していったかの説明パネル







年表



太平洋戦争勃発で日本人は皆抑留され、この事業もおしまい…
だったのが、戦後に再び戻って働いた人もいました。
そんな一人が、私が釣りでこの辺りをウロウロしてた若い時に世話になった方の祖父で、あちらのお話を聞かせてもらった事があります。
そのときは、まさか自分も白蝶貝をメシの種にするとは思いもしませんでしたが。





そういう方達のパスポートや感謝状


これが白蝶貝

天然貝はでけえ…
そして、さすがオーストラリア…
白い。

こんな感じで白蝶貝、高瀬貝はくり抜かれてボタンに


このサイズは、普段世話している大きさの貝です。

アラフラ海の貝。


釣り仲間にこの休憩所の事を聞いた時は、あんまり期待してなかったんですが、予想以上に良かったです。

本州最南端に、かつて赤道を超えて出稼ぎに赴いた人々の資料と顕彰碑がある…
これ以上の場所は無いかなと。

機会があれば皆さんも是非。
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