古代史と歴史好きの方、お久しぶりです。今回は沖縄県にスポットを当てて、古き神と現在のつながりについて考察してみたいと思っています。

 

 琉球の開闢神話には諸説ありますが、最も有名な伝説の一つは、アマミキヨとシネリキヨという男女神が、ニライカナイ(神の世界)から降り立ち国づくりを始めたというものです。アマミキヨとシネリキヨは、古事記のイザナギとイザナミにあたるといわれます。二神は子を授かって洞窟に暮らしました。その子孫が人間として繁栄したのです。洞窟はシルミチュー霊場として祀られていますが、神話にあやかり、子宝を望む参拝客が訪れています。

 琉球最古の歌謡集『おもろさうし』には,「あまみきよ」と「しねりきよ」の2神が日神に命じられて島々と人間を造った神話が歌われています。琉球の最初の史書『中山世鑑』(1650年編述)では創成神は「阿摩美久」(アマミキヨ)ひとりで,その伝承では,むかし,天帝から島造りを命じられたアマミクが天降ってみると,下界は一面の海原だった。そこで天帝から土石草木をもらって多くの島々を造った。その後数万年を経て,天帝から11女を下しもらい,このふたりから地上の人々が生まれていったと伝えています。

 

 そんなイザナギ・イザナミ神話につながる神話がなぜ沖縄の浜比嘉島では女神が海の神で男神が地(洞窟)の神なのでしょう?もともとアマという言葉には海という意味があり、奄美大島のアマミや海部市と書いてアマシと読むように、日本の古語にはアマ=海という意味があるといわれています。もともと東の海には琉球にはニライカナイ思想というものがあり、生者はそこからやってくるといった考えをしていました。また「シ」という言葉の意味に琉球の方言では霊的なという意味が備わっており、「ネ」は根の国につながり、死者の霊が行くとされた地下の世界をさしています。つまりシネリキヨは死者の霊魂が行きつく根の国という意味があると思います。

 柳田国男はニライカナイを日本神話の根の国と同一視していたのですが、おいらは人の魂はニライカナイから到来し、死して島の洞窟にある根の国に帰っていくと考えられていたのではないかと考えるのです。

 

 現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて埴原和郎により提唱された「二重構造説」があります。これは、縄文人と渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌと琉球の集団は、縄文人の遺伝要素を多く残すとしている。近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を支持する結果が得られています。さらに近年では核ゲノム解析により4~5万年前に来た東アジ化共通の祖先から縄文人はこれまで考えられていた時代より古い時期に孤立した独自の集団であったと考えられています。つまり日本列島にいた縄文人は相当に古くからきていた人々で、独自の宗教観を持っていたとも考えられるのです。そう考えると、琉球の神は古日本にいた男女神であり、女性が生をつかさどり、男性が死をつかさどると考えられていたのかもしれません。日本神話ではイザナギ・イザナミ神話にこの話は通じるのですが、もしかしたら記紀が編纂される段階で男神と女神がすり替えられたのかもしれません。

 

 そういった縄文人、古日本の神々の痕跡が日本人のDNAと同じように沖縄とアイヌに求めることができると考えていて今回の沖縄訪問につながりました。

 

アマミキヨ(アマミチュー)の墓はうるま市の海中道路で橋でつながっている離島、浜比嘉島の東側にあります。

以前は干潮時にのみ上陸できる小島でしたが、現在はコンクリートで渡れる道があります。

こちらがアマミキヨ(アマミチュー)の墓です。毎年年頭拝みには宇比嘉のノロ(祝女)が中心となって島の多数が参加して豊穣、無病息災、子孫繁栄の祈願をしています。

すぐそばにはいかにも沖縄といった岩がありました。

 

アマミチューの墓の前にいたおばあと猫です。猫の名前は「ペンペンマーマ」というそうです。

おばあは黒糖ぜんざいとシークワーサーもずくを売っていました。

どちらもやさしい味でしたよ。

 

そこから宇比嘉の集落を進むとシネリキヨ(シルミチュー)の墓があります。

石段を上ると鍵のかけてある鍾乳洞があります。

鍾乳洞の入り口には普段鍵がかけられていますが、公民館から鍵を借りれば中で参拝することが可能です。
土日・祭日は事前連絡が必要になりますので、訪れる際には注意してください。洞窟内は真っ暗なため恐怖を感じる方が 多いのですが、懐中電灯の貸し出しもあるようです。

今回はいつ雨が降り出すかわからなかったので取り合えず中には入らず入り口で拝ませていただきました。

これはウブガーと呼ばれる正月元旦の若水を組む井戸です。

うまれたばかりの赤ちゃんの額に水を付ける儀式があるそうで、ミジムイとかウビナディに使う水をくむところだそうです。

これは東(アガリ)の御嶽です。この御嶽は旧暦の6月28日と8月28日の2回「シヌグ祭り」が行われることからシヌグ堂とも呼ばれています。

シヌグ祭りは、昔、戦に敗れた難産の「平良忠臣」とその一味7~8人が浜にわたってシヌグ堂に身を隠し、住人に頼んで島の周囲を警戒させて難を逃れたという故事から始まっています。

海に生きる島で、その生業の妨げとなる時化を祈願するのは不思議ですね。

ものすごく立派なガジュマルの木に守られています。おいらの「キジムナーがいそうなガジュマルの木」第1位の木ですね(笑)

 

 

 おいらは今回アマミキヨとシネリキヨの考察をしてみましたが、アマミキヨは「海から生まれるもの」、シネリキヨは「死して根の国に戻るもの」という意味ではないかと考えました。確かに沖縄にはもともと風葬の習慣があり、風葬において遺体はまず崖(パンタ)や洞窟(ガマ)に置かれて自然の腐敗を待ち、3年後・5年後・7年後など適当な時期を見て洗骨して納骨します。そのような霊場であり、忌むべきものとしてシネリキヨの神がいたのではないかとかんがえます。そうすると今のパワースポットブームで沖縄に来て、そういった霊場でパワーを貰おうと思う人々はとんだお門違いのことをしているのかもしれません。