最近太極拳や武術のことを書いてないですが。


福井というところは、いまはただの北陸日本海側のただの県です。どちらかというと、発展から取り残されているというイメージ。


しかし、江戸時代かそれ以前は、非常に重要な場所でした。

すなわち、京都に近いこと、京都から日本海へ抜け、北陸各県や蝦夷地(北海道)へと行く交通の要衝だったのです。


それゆえ、越前家といえば、徳川家康の二男結城秀康が入国し、それ以来、松平春嶽にいたるまで、徳川家ゆかりの松平家が支配しています。


明治以降は、海運が廃れ、陸上交通の発達、航空機による移動がメインになると、こうした地の利は失われ、むしろ、東海道を中心とした地域が発展していくことになります。


まあ、北陸は山がちで、陸上を移動するには不便ですからね。冬は雪で、すべてが閉ざされるし。


似たような現象が、和歌山でも起こっています。あそこは、大阪に近く、西国の抑えとして、徳川家康の10男頼房が入っています。同じく名古屋には9男義直が入っています。


和歌山は、江戸時代は紀伊半島のほとんどを領有し、現在の三重県尾鷲までが紀伊徳川家の領地でした。

海運と紀州材、備長炭などで潤い、しかも蟻の熊野詣といわれるような熊野三山があり、かつては相当な賑わいがありました。


しかし、海運が廃れ、燃料が石油に取って代わり、新幹線やらが開通すると、発展から取り残されます。

御三家というプライドが、新しいものに流入を拒んだという話もあり、いまは全体的にさびれています。


福井も和歌山も、かつては徳川家ゆかりの地として50万石を誇っていたのです。


時代が変われば、状況も変わります。

栄枯盛衰とは、このことでしょうか。