SMAP木村拓哉さんの奥様の工藤静香さんとは、小学校6年間、中学校2年間、合わせて8年間同じ学校でした。
小学4年生から中学1年生までは、同じクラスでした。
だから敢えてここでは、「工藤」と呼び捨てで呼ばせていただきます。
工藤は、小学生の頃から歌手を目指し、劇団に入り、歌やダンスのレッスンをしていました。日曜日には、私は、塾へ、工藤は、劇団へ、途中まで、一緒に電車で通っていました。家に遊びに来たこともあります。
今となっては、何を話したのか、よく覚えていませんが、将来の夢を話したのは、覚えています。そして、私と彼女の考え方は、まさに雲泥の差があったなと思います。
小学生の私は「いい大学に行って、いい会社に入って・・・」と箸にも棒にもかからない、今考えると浅はかなことばかり言っていました。
それに対して、工藤は「なにがなんでも歌手として、16歳までにデビューする」という具体的なものでした。
そして、その発言に対して、微塵も不安を抱くことなく、確信を持っていました。
「私は必ず歌手として成功するんだ」 と。
学校の先生や周囲の友人(私も含めて)も、彼女の発言が、現実になるなんて夢にも思っていませんでした。
なぜなら、容姿をとっても、歌唱力をとっても、リズム感をとっても、それほどずば抜けた才能を、彼女は持ち合わせていなかったからです。全国には、工藤より優れた歌手を目指す才能がゴロゴロいるはずだと、みんな思っていました。
中学2年になってから、クラスも別々になったこともあり、工藤とは疎遠になっていました。
そんなある日の昼休み、私は、校庭で、野球をしていると、後ろから、「おいっ」と呼ぶ声がありました。振り返ると、工藤がそこに立っていました。
「どうした?」と私が訊くと、「転校することになったから…堀越学園へ行く」と工藤。 僕は「やっぱそうか。」とだけ言いました。工藤はそれだけ言うと、また校舎の方へ帰っていきました。
僕は、手に持っていたゴムボールを工藤の背中めがけて投げました。「イタッ」と工藤は振り返り、僕にボールを投げ返してきました。僕はそのボールを受け取ると一言「がんばれよ」と言い添えました。
それ以来、工藤とは話をしていません。
その2年後です。彼女が「おにゃん子クラブ」でデビューしたのは。
「16歳でデビューする」という彼女の夢が叶った瞬間でした。
それからは、もう周知のとおり、彼女は、歌手としてのキャリアを着実に積んでいきました。
そして、日本一のモテ男、木村拓哉と結婚し、二児をもうけ、二科展でも入選するなど才女ぶりを発揮しています。
あえて誤解をおそれず言わせていただくと、この「凡人」工藤静香が芸能界で成功した理由は、芸の能力によるものではなく、彼女の「欲望を純粋培養できる力」によるものだったと言えないでしょうか。
そして、その力が、絶対にぶれない、妥協しない精神を作り出し、彼女の前進力になったのです。
今、彼女の二児に対して、彼女がどんな夢や欲望を抱いているかが、気になります。聞くところによると、かなりの教育ママとのことです。
幼なじみとして、吉澤教室に相談して欲しいところです。
相談にのるよ。工藤。
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