公論おじさんことイボナメクジ大師範は8月21日夜ニコニコ生放送で、妻が公論界隈の門弟を破門になったことに恨みを抱いた私が熱狂的なシンパからアンチに転じたと勝手に決めつけていたらしいのですが、その推論は頓珍漢にもほどがあります。


↑上記リンク先のブログにありますとおり、妻が門弟から外されたのは2013年です。
一方、私は公論界隈のウェブマガジンのコメント欄へ応援のコメントを2016年初頭まで書いています。
この時点でイボナメクジの論理は破綻しております。

では私はいつイボナメクジに愛想を尽かしたのでしょうか。
記憶力が乏しい私ではございますが、記憶力が半端じゃない妻への聞き取り調査をもとに思い出してみようと思います。


そもそも私はイボナメクジの何が良くて彼の言論活動を支持していたのでしょうか。
それはやはり威勢良く核心を突いて断言する豪快さが面白かったからでしょう。
時には「そりゃないわ〜」などとツッコミを入れつつも多少のデタラメさも許容範囲として楽しめていました。
たとえムチャクチャな言い分であったとしても、覚悟と責任を持って発言していると思っていたからこそ、彼の主義主張を「概ね同意する」という意味で全肯定していましたし、おそらくほとんどの彼の愛読者はそう考えているだろうと思っていました。

インターネットというツールは便利ですが、使い方次第ではとんだ落とし穴にはまってしまい抜け出せなくなるから注意が肝要だと心の底から思います。
特にインターネットによる可視化は良いことばかりではありません。
見る必要がないもの、見せる必要がないものまで見えてしまうのです。
まさにイボナメクジはこの可視化によってイボナメクジと化してしまったといってよいでしょう。

イボナメクジの活動を振り返ってみると、明らかにネット前とネット後で見せ方と見られ方が変容してしまったと思います。
ネットを利用することにより、読者へ直接メッセージを伝えることが出来るのが必ずしも良い結果を出すとは限りませんし、実際にイボナメクジについては最悪の結果を招いてしまいました。

当初はネットへの警戒感から遠慮気味に発信していたのが、いつの頃からかタガが外れ、考えなしの感情を脊髄反射的に発露するようになり、以前は「そりゃないわ〜」とツッコミを入れることで笑って済ませていたムチャクチャな部分のみが肥大化してゆき、もはや手の施しようがないヘイトモンスターイボナメクジへと変態してしまったのです。

それが最も爆発したのが2016年春頃でしたか、荻上チキさんがTBSの報道番組「サンデーモーニング」に出演した際に被災地への支援物資の一つとして生理用品や粉ミルクも必要であることをサラッと伝えたことに過剰反応して、「男が公の場で生理用品に言及するのは気持ちが悪い」と騒ぎ出し、そのイボナメクジの狂乱を見た瀧波ユカリさんが一言だけ「何を思うのもあなたの自由だけど、こんな時はせめてお黙りなさいな」というようなことを呟いたら、イボナメクジは癇癪玉のように弾け、瀧波ユカリさんへ罵倒に近い言葉を並べて難詰し始め、その粘着質ぶりはとどまることを知りませんでした。
(その時、何故か知りませんが荻上チキさんを名指しで批判することがなかったのは未だに謎です。荻上チキさんはイボナメクジを名指しして「愚かだ」と言ったのに、これに対しても沈黙をしました)

このあと公論界隈の女性門弟からもイボナメクジの発言に疑義を呈されたことによるイボナメクジの大迷走は彼の言論活動の中でも屈指のお笑い種となり、私の周囲では未だ語り継がれているのでございます。

次々にアップされるブログが、その度に言うことが変わり、自分が今何を書いているのか分からない状態にまで病状が悪化しているのではと、こちらが心配してしまうレベルでした。
どんなにデタラメな理屈であっても傲然とそれを貫き通していればある種の貫禄となったものを、自己保身の為にイチイチ狡っからい言い訳をして慌てふためいているのはブザマそのものでした。

最終的な着地点として「生理用品が必需品なんて文明病だわって妻が言っていた」という、どこの小池一夫だよと思わず言いたくなる愚かな意見を述べて無理やり幕引きしたのでした。

しかし文明病で物事を片付けてしまったら、あらゆるすべての救援物資は被災地に送る必要はなくなります。
自衛隊などの救助だって文明病ということになります。
そんな馬鹿が極まったような意見をドヤ顔で披露して、姑息に立ち回ったことを帳消しにしようとしていたのですから脱力します。

更に笑ったのが、その右往左往したブログは書籍化された際にはバッサリとカットして、まるで迷走したことがなかったかのようになっていたことです。

是非、当時のブログを読んでみることをオススメします。
笑いすぎて腹筋が崩壊してしまわないよう注意して読んでください。


それまでもオカシゲなことはありましたが、それでも目指している公論とやらは良いものなのだろうからと何となく繋ぎ止めていた気持ちがここで一気に冷め、これはもう救いようがないと判断し、愛想を尽かしたのです。

妻が公論界隈の門弟を外されたこととは何の関係もありません。
すべては可視化したことにより、今まで見えていなかったものを見てしまったがゆえの結論です。

可視化ってコワイですね。
(つづく)