これまで選民意識に凝り固まった集団についてクドクドと語ってきました。
何の功徳にもならないのに何故こんな事を語り続けているのでしょうか。
成熟した民主制を希求する社会にとって、そのような集団が存在することは害悪でしかないのは分かりきっていますが、だからといって私のような何の力もない一個人がブログで意思表示したところで、自宅の壁に球を投げ続ける一人キャッチボールをしているようなものです。
それはアレみたいな感じです。
アレとはドフトエフスキーのヤツです。
毎日意味もなく穴掘りをしては埋める作業をする例のアレです。
ソレに似たような行為です。
そんな行為であると分かっていながら私は語り続けます。
次に何を語れば良いのか迷った時は復習を繰り返します。
何度も何度も振り返っては穴を掘り返し、そして埋めてゆきます。
私はこの拷問を自らに課してゆきます。

それでは以前した復習の続きを始めます。





カルト化した集団を観察していますと、思わず「信仰の現場で身を修め、世間に牙を剥いて闘う君の歌を、信仰を捨てて闘わない私が嗤うだろう、ファイト!」と皮肉を込めた替え歌を口ずさんでしまいます。
国を憂いる志士として闘う人が正しく、闘わない人は愚かな卑怯者であると定義づけた歌として中島みゆきさんの『ファイト!』を引用する奴をよく目にします。
選民意識に凝り固まってカルト化した集団などがよく口にします。
しかしあの歌での「闘う君」とは決して「選ばれし志士」ではありません。
社会の底辺に生きる名もなき人々です。
それこそ『万引き家族』や『フロリダ・プロジェクト』で描かれた人々の歌です。
鈴木大介さんのルポルタージュ『最貧困シングルマザー』もそうです。
川崎市中1男子生徒殺害事件の被害少年の母親や富士見市ベビーシッター事件の被害男児の母親への歌でもあります。
それらの人々を断罪するかのように切り捨てる連中こそが「戦わない奴等」なのではないでしょうか。
「選ばれし志士」に似合う中島みゆきさんの歌は「Nobody Is Right」です。
この歌こそが彼ら「選ばれし志士」を見事に表現しています。


カルト化した集団は頻繁に会合や座談会を開きます。
そこで話し合うことは偉大なる先生の正しい教えについてです。
常識と倫理は先生の御言葉の中にあります。
それを如何にして世間へ周知させるか、その活動こそが集団の目的であり、生き甲斐であります。
そのそれぞれの行動を報告するのも座談会の醍醐味の一つです。
その体験発表を皆で聴き、時に笑い、時に涙し、時には意見を交換した上で、また先生の著書を熟読し、理解を深め、その上で自らで熟考し、同志と熟議し、そうして世間へ呼びかけるのです。
座談会とはまさに熟議の場でありました。
これが信仰の現場です。
これぞカルトの現場です。

カルト信仰の現場というのは同じ信仰を持つ者を『同志』と呼び合い、表向きは仲睦まじく深い絆で結ばれているかのように見えますが、実際はお互いを牽制し合い、隙あらば相手を陥れる魑魅魍魎の世界であります。
教祖的立ち位置の先生への忠誠心を競い合い、自らの信仰の深さでマウンティングを仕掛けては同志とは名ばかりの他人を追い落とす行為が常態化しているという不健全な人間関係がそこにはあるのです。
表立って口にはしませんが、偉大な先生に認められ、寵愛を受けることを誰しもが願い、それゆえにその先生や先生直属の部下である幹部連中に評価された同志とは名ばかりの他人を妬み、その人の粗探しをしては皆で追及し、謝罪させるまで追い詰め、仮に批判を受け入れなければ追放してしまうのです。
ことほどかようにカルトな信仰の現場というのは陰謀と裏切りと疑惑に満ち、常に内ゲバを繰り返し続ける異様な世界なのです。



私は何度も何度も復習します。
復習を繰り返すことで考えが深まったり、抱えていた疑問が氷解したり、気付かなかった問題点が浮上したり、その解決策が見つかったり、考え方が改まったりしてゆくのです。
ですから復習というのは本当に大事なことです。
「俺は未来しか見ちゃいねぇぜ。過去を振り返るなんて野暮はしたかねぇぜ」と言ってスカしているのがワイルドでダンディなカッコマンだと思っている人にははっきり申し上げたいが、それは愚者の言葉であります。
学びは常に過去にあります。



カルト集団に議論を持ちかけても、自分たちの思想から少しでも外れた意見は断じて許してはくれません。
自分たちの正しさをただただ押しつけてくるだけです。
彼らにとって反対意見など存在してはならないのです。
違う意見はすべて誤った考えと見なして論理性のカケラもない悪罵を投げつけるだけです。
彼らや彼らの指導者にとって都合の良い意見以外は認められない狭量さこそがカルトがカルトである所以です。
さて、何度も繰り返しますが、自己抑制力や理性が低下するのが老いだといいます。

その時の気分や感情をためらいなく発露することが脳の老化現象だとされているそうです。

自分の気持ちを自分で抑えられずにダダ漏れにしてしまう人は年齢に関係なく老化現象が起きているわけです。

つまり老化とは人間性が露呈されることです。

もともとその人が持っていた本性が表に出てしまうわけですから老いとはおそろしいものです。

インターネット上で理性のかけらもない卑劣で卑怯極まりない暴言を書き散らかしては恍惚としている精神が老いた人たちのようにならない為にも常にフレッシュアップしていこうと思います。



第30回https://ameblo.jp/wasioto-211/entry-12376440763.html

カルト化した集団は他のカルト化した集団を敵視し、批判対象とします。

そうしてカルト批判をしているのだから、自分たちはカルトではないと言い張るのです。

世間から支持されぬような常軌を逸した極論をがなり立てる特定人物を熱狂的に礼讃し、無批判に受け入れて崇拝する集団はカルトです。

いくら他のカルトを非難していてもカルトはカルトです。

カルト信者になると、そんな当たり前のことさえ理解出来なくなるのです。



さて、今日は早朝から復習し、無駄に頭を使いました。

さあ日曜日のはじまりです。

今日も元気に休日を満喫したいと思います。

好きな音楽を聴きながらドライブに行くか、部屋でじっくり読書を楽しむか、何をするかはまだ決めてはいませんが、面白おかしく怠惰に過ごそうと思います。