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【思い出】私の母は韓国人でしたが、クズではありませんでした。

テーマ: 思い出
私は匿名アカウントで長いことTwitterを利用してるけど、流石に先日の某有名作家の「韓国人(国民)はクズ」という発言には唖然とした。

私の母は韓国人でしたがクズではありませんでした。人のよいお母さんでした。

母は若い頃からずっとパートをしていました。私が物心ついた頃スーパーやまぐちの二階の託児所に私を預けてレジ打ちをしていました。夕方になるとお店のお菓子を買って迎えにきてくれました。

その後母は書店で働き返品になるてれびくんやテレビマガジンやらの付録をもらってきてくれました。私たち兄弟はそれで遊んでました。

同じ頃、母は近所のパン屋でパンの耳をもらってきて、それを細かく切って油で揚げて砂糖をまぶしてお菓子を作ってくれました。私たちはパンの耳を食べていました。

その後、母はヤクルトおばさんをやっていて、冷蔵庫を開けるとジョアがいっぱいありました。賞味期限が近いのをもらってたのかしら。あるいはノルマで買ってたのかしら。
その頃、日中国交回復があってパンダブームで、母はヤクルトの内職で販促のパンダのブローチに紐を結んでた。私が母にいくらもらえるのか聞いたら1本5円だって。当時既に駄菓子屋で5円で買えるものはコーラ飴しかありませんでした。それ以外は全て10円以上でした。だから母の賃金がどれだけ低いかは幼稚園児の私でも分かりました。
それで私は母が目を離した隙に代わりにせっせと紐を結んだのだけど、結び方が雑で母が呆れていました。しかし母は怒りませんでした。

それから母は昆布工場で昆布を洗う仕事をしていました。その頃私はおたふく風邪にかかり、悪化して1ヶ月寝込みました。夕方の変則的な時間に母が帰ってきてバナナやヨーグルトを置いてまた元の職場に帰って行きました。結局私はおたふく風邪の後遺症でムンプス難聴になり以来左耳が聞こえなくなりました。母はこれを知ってひどく落ち込みました。広島中の耳鼻科に私を連れて行きましたが後の祭りでした。私は診察後に街のソフトクリームを舐めるのが楽しみでした。
母はその後二、三年メンタルを崩していました。体育座りをして顔を伏せて泣いていた。私は母を慰めていました。私の左耳などどうでもよかったのです。

それから母はカルシュウム剤とビタミンCを売り歩いた。私はこれらをラムネのようにポリポリと齧ってました。

それから母はアパレルのオンワードで働き始めました。ある冬、母が「ファミリーセールがあるので職場においで。邪魔になるから搬出口においで」というので、私が白い息を吐きながら小学校近くのその事業所の搬出口に行ったら、母が冬なのに倉庫で汗をかいて台車を押していました。私はひとりで服の中でかくれんぼをして遊んでいました。
しばらくして母が戻ってきて「何でも買ってあげるから好きな服を選びなさい」と言ってくれたのだけど、ファッションに興味のない子供の私にはオンワードの服はどれもこれも高すぎて申し訳ない気がしました。しかし銀のジャンパーを買ってもらい、しばらくはそれを着ていました。

その後、母は朝日生命で保険の仕事をわりと長くしていました。

おかげで兄も私も大学を出ることができました。私は母と父に足を向けて寝ることができません。

母は昨年の四月に亡くなりました。

私の母は韓国人でしたが、クズではありません。

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