幻の金宝寺と法燈国師 | 全国一斉 鞆の浦検定(鞆ペディア)

幻の金宝寺と法燈国師

 政治に武士が台頭した鎌倉時代、仏教の世界にも新しい時代が訪れた。栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)が禅宗を伝え、法然(浄土宗)らは念仏を取り入れた。これら新仏教は武士や庶民の新しい心のよりどころとして広く受け入れられ、その波は鞆の浦にも及んだ。蒙古の大軍が九州に襲来(元寇)し、国中を震え上がらせていた1274(文永11)年。臨済宗の覚心という僧が鞆の浦を訪れ、新しい寺の建設に取り掛かっていた。名を「金宝寺」という。覚心は後に、朝廷から法燈国師の名を贈られた高僧で、この時71歳。金宝寺建立は、彼の若き日の夢を実現するためだった。

 覚心は40代の時、修行していた中国・宋から帰国の途中、鞆に寄り、福禅寺に宿をとった。その夜、覚心は不思議な夢を見た。北西の方角に、めでたいことを予感させる雲がたなびき、金色に輝く塔が立っているのだ。「鞆の浦に寺を建てよ、というお告げに違いない」と覚心は思った。それから30年近くがたとうとしていた。

 寺の建設は楽ではなかった。建設費を賄(まかな)うために弟子たちは、鞆の住人はもちろん、入港する船の乗組員たちにも寄付を募った。建設地は福禅寺から北西の方角、なだらかな山すそに決めた。

 完成した金宝寺は七堂伽藍を備えた大きな寺で、山門の前にはすぐ海が開け、港町らしく船を直接乗り付けることができた。阿弥陀三尊像が本尊として安置され、禅宗の祖・達磨(だるま)大師の位牌、覚心の坐像も据えつけられた。新仏教の拠点として人々の信仰を集めたであろう。が、いま金宝寺という寺はなく、だれも寺のことを知る人はいなくなった。

 鞆の浦に安国寺という古寺がある。寺伝では室町時代(1339年頃)、足利尊氏らによって建立されたとあり、地元でも長くそう信じられてきた。昭和24年(1949年)、この寺の阿弥陀三尊像の解体修理が行われた。像の中から古文書類が見つかり、その内容に人々は驚いた。安国寺は本来、「金宝寺」という名だったのだ。創建のいきさつも詳しく、室町時代に寺の名前と歴史が書き換えられたことが分かった。

 安国寺は阿弥陀三尊像、法燈国師坐像やこれらを収める釈迦堂など国、県指定文化財の宝庫として知られている。それらはいずれも、金宝寺時代のものだ。


【法燈国師(ほうとうこくし)
名/覚心
号/心地
1207(承元元)年、信州松本において生誕。

19才で出家、南都東大寺で具足戒を受けられ、次で高野山にのぼり伝法院の覚仏阿闍梨について密教を学ばれた。その後、同じく高野山のの行勇禅師に禅法を受けられた。そして、36才で当時京都深草に住せられていた道元禅師に参じ、43才(1249)に宋(現在の中国)に渡り、各地の禅刹を歴参して遂に、無門慧開禅師の法を嗣いで48才(1254)の時、帰朝され、高野山金剛三昧院に住持された。
 52才(1258)鎌倉三代将軍、源実朝の家臣で由良荘の地頭でもあった藤原願性(景倫)に懇請されて興国寺(当時は西方寺)開山となられたものである。
 国師は、亀山、後宇多、後伏見、後醍醐と歴代天皇の尊信も厚く、師の遷化されるや、亀山法皇は「法燈禅師」号を、また後醍醐天皇は「法燈円明国師」の勅諡と、のち興国寺の寺号を追贈された。
 又宋より帰朝のさい「無門関」(禅宗では大切な書物)をわが国に初めてもたらされた。

◎尺八
国師は自ら尺八を会得され、さらに尺八の名手四居士を伴い帰朝された。国師によって禅と結ばれた尺八がやがて普化宗となり全国にひろまる。それ故に興国寺(和歌山県)は虚無僧の本山でもある。

◎味噌・醤油
径山寺(きんざんじ)味噌の醸造方法も宋で習得される。これは、後工夫をされて湯浅地方で製造されるようになった。味噌、醤油、いずれも国師によって我が国に伝えられたのである。

 又国師と母親(慧日大姉)との間には、こまやかな心情(親子愛)を偶ぶ佳話がある。

 国師の母親は、子なきを憂え、戸隠の観音に祈願することになった。この戸隠山というのは、険峻な厳山で、松本から数百キロ程も北方で、交通機関もない不便な時代に、女の足でゆくのは、余程の決意があったに相意ない。母公がここで籠っている或る夜のこと、観音様が自ら燈をとって子供を授けて下される夢を見た。こうした母のけいけんな信仰から、後の法燈国師が生まれたのである。
 さて故郷、信州を出でて、母と別れること既に数十年国師は帰省の心つのるばかりである。60歳の時、遂に意を決して信州に旅立たれた。ところが感応の致すところか、老母もまた国師に会いたさ一念で、紀州に向かっていた。その道中で国師と出会うのである。国師は母への心づかいから衣を脱いで手をとり、或は背負うて、先ず母の願いである熊野参詣をすまし、帰来してから寺の東南一キロ許りの地に庵室を設けて母の居所として、毎朝欠かすことなく、その安否を尋ねられた。丁度弘法大師が讃岐から会いに来た母が女人禁制のため高野山に登れないのを、麓の慈尊院において訪ねられたのに似ている。
 さて母は、この庵室に居ること1年許りで亡くなられたので、庵を、母を開基として修善寺という寺とした。側に供養塔を建て、慧日大姉とおくり名をされたのである。
 以後国師92歳で亡くなられるまで31年間、毎日素足でこの墓前に詣で、ねんごろに供養すること、母いますが如くであった。これは京都栂尾、高山寺開創の高僧明恵上人の場合と同じである。
 さて慧日大姉塔で慧日大姉あるが、もとは修善寺境内にあった筈であるが、同寺が廃寺になってから、ゆかりもない所に埋もれていたのを、興国寺境内、それも慧日観音(慧日大姉の法号に因んでかく申し上げることになった)をお建てした場所の側に移すことにした。ここに観世音菩薩、法燈国師、慧日大姉の三位が一処になったのである。

◎伽藍

 現在興国寺には、由良の象徴となっている山門の他、仏殿、禅堂、方丈、庫院、書院、隠寮、鐘楼、納骨堂、浴室、昭和48年に至って天狗堂、虚鈴庵、不老閣が建立され、「関南第一禅林」の伝統がよくたもたれている。

◎寺宝

 寺宝としては、公開はしてないが法燈国師坐像、絹本着色法燈国師画像、誓度院規式等がある。開山堂に安置されている法燈国師坐像(木像)は、国師80才の寿像と伝えられ、頂相彫刻としては鎌倉時代における最高傑作といわれる。又国師画像は、1315(正和4)年、覚慧禅師が、国師の法弟心開長老のために画いた国師の肖像画である。この画像は、宋元様式が日本化にむかう時代の代表的な作品で、着色が極めて温和で華麗なものとなっている。
 又禅堂の横には、鎌倉三代将軍、源実朝公の墓がある。公の遺骨は、宋の育王山と当興国寺に葬られている。そして墓の側には、同じく実朝公の「うちはへて秋は来にけり紀の国や由良の岬の海士のうけ繩」の歌を刻んだ歌碑が建てられている。


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◎興国寺/年中行事

 ここは普化尺八の発祥の地であり、虚無僧の本山であるばかりでなく、京都、鞍馬寺と並ぶ天狗の寺としても有名である。毎年成人の日(1月)に催される天狗まつりには、入試合格、交通安全、降魔厄除に大天狗の神通力を授かろうとする多くの信者、参詣者で境内は賑う。
 5月8日には、お釈迦様のご生誕を祝うお祭り、釈尊降誕会(普通には花祭りと言われる)には、お稚児さんが白象に乗って町内を練り歩く盛大な行事になっている。ちょうど花の季節でもあり、興国寺でも寺内を開放して露店などが並び賑やかなものである。
 8月15日には、興国寺土俑焼き(火祭り)が行われる。興国寺の火祭りは、毎年孟蘭盆会式として8月15日に行われているが、この行事は鎌倉時代より伝えられる独特の燈籠焼である。(59年より旧盆から新盆に変更)
 火祭りとしては、日本三大祭の一つで越前(福井)の永平寺、筑前(福岡)の聖福寺と興国寺がこの伝統の行事を行っている。土俑焼き(火祭り)の由来は古く、興国寺のある鷲峰山に山伏崩れの夜盗一群が住み着き付近住民達に恐れられていたが、国師により夜盗退治の調伏祈祷が行われた際に土俑(土で作った人形)を焼いたことが始まりで燈籠精霊の送り火も、ともに行なうようになったのである。現在では、県無形文化財に指定されている。
 10月13日には、法燈国師の命日の日にあたり、毎年開山忌の法要がおごそかにおこなわれる。



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第二回 全国一斉 鞆の浦検定
開催中!(5月31日17時まで/検定料¥0)

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現地・鞆の浦での問題用紙配布場所は、いろは丸展示館、株本書店<5/7現在>

全国一斉 鞆の浦検定



受検期間:平成21年5月2日(土)10時~31日(日)17時
開催場所:鞆の浦及びインターネット(PDF)で問題用紙配布
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