さて今日の記事タイトル。。

お若い方、刺激が強すぎたらすみません。 18歳未満お断りのブログにするつもりはないんですけど・・


私の過去の男関係を振り返ると「異常にヤセたい気持ち」と「過食行動」に深く関わっていた共通のココロの癖が分かりやすいと思うので
書いてみようと思います。



私は過去の記事にも書いたけれど、私はずっと男性依存(恋愛依存) だったんです。



丁度、自分の心と体が本当にも求めているものが分からなくて、ヤセ願望や過食衝動にとりつかれた経緯と とてもよく似ています。



家に帰って過食しちゃうのが嫌、 過食を責める家族といるのが嫌。


だから色んな人とデートして、つきあって、
一緒にいても、笑っていても、いつも心はいつも冷めてて、淋しくて、とにかく虚しかった。


そんなんだから、誰と付き合っても、心の隙間は広がる一方だったの。


死にものぐるいのダイエットして

できなきゃ過食嘔吐して

無理や理痩せた体だったけど、

痩せてるね、かわいいね、

って言っえもらえたら、一瞬の快感。



でも心のどこかでは
「彼が好きなのは無理矢理作った嘘の私」

って思ってた。



本当は無理なダイエットで無理矢理痩せてるだけだし、心も体もぼろぼろなのに、健康で明るい自分を装ってるから、所詮愛されてるのは「嘘の自分」、って思ってたんだ。



そんな寂しさ、虚しさには気づいていたけど、
みんなそんなもんだろう、ふつうでしょ?みんな自分作って嘘で固めて人付き合いしてるんだろうって思っていたから、そんな自分がおかしいだなんて、おもわなかった。




「太ったら、こんな虚しい愛情さえも失う」
そう思うようにななり、ますます太ることが怖くなった。



それが段々エスカレートして、


好きな人と一緒にすごして、
思い出を共有していく幸せより、

 痩せること、
キレイな服を着ここなすこと

のほうが重大事になってしまったの。



あの頃、誰と付き合っても、

誰に抱かれていても
悲しくて淋しくて虚しくて、

 しくしく泣いてた。



それがどうしてなのか

自分でも説明つかなかった。。

でも 後でわかったよ。



私は不自然につくった笑顔と、不自然なダイエットでやせたカラダで、やさしさと愛情を買っている、っていう罪の意識と寂しさ、虚しさがあったのです。 



(貞操観念は親にうるさく教育されていたから余計)


でも、そんな薄っぺらい愛情でもヤセてれば 手に入る(=太ったら手に入らない)って思うと手放せなかったのだと思う。



そうやって恋愛ごっこしてるときは、家の事、摂食障害の苦しみ、 全部忘れられたから。


後から酷い虚しくなるんだけどね・・・

これは、私にとって過食とにていました。



過食後になんともいえない罪悪感があると知りながらも、過食してるそのときの快感に突っ走って 淋しさをウヤムヤにしようとする。




自分が何故そうしたくなるのかって事から 目をそらし続けて逃げてたんです。



あとから酷い寂しさと罪悪感が付きまとうのは、ヤセる事に依存したり、過食嘔吐に依ることと、本当に同じでした。




ヤセてるね!って言われる瞬間、、

大丈夫?って注目が集まる瞬間、



あの快感が癖になって、

死ぬほど辛いのに

ダイエットがやめられなかった。 


過食もヤセも、男性に依存するのも、楽になれるのはその時だけ。擬似の快楽・疑似の安心だったのです。



この点に気づいたのは、摂食障害十数年目に、
初めて心が本当に欲しがっていた種類の愛情で満たされた時でした。




私は親に助けを求めた時も 「意志が弱いからだ」とか「そんなの病気じゃない」と言われて突き放されてたから、家族でも離れていくのだから他人はもっと離れていくって思い込んでいて。



けど、彼(今の主人)は、思い切って病気を認めたら、おいおい泣いてくれて、抱きしめてくれたの。



その後は、もちろん、病気のことも私の苦しさも全部わかってるわけじゃないから、コミュニケーションとっていく必要はあったんだけど




とにかくそのときは

セックスとかそんなのなしでも、抱きしめて優しくしてくれる人、優しさをくれる人がいる事にびっくり。


私が摂食障害でだからって突き放したりしない人がいることに仰天。



そんなかんじだったの。


しかも、抱きしめて切れたときの彼のお腹はちょっと柔らかくてお母さんみたいで気持ちよかった(笑)



生まれて初めて、がちがちの心が解けて行くような気持ちになって同時に、私、きづいたんだよね。



私が本当に欲しかったのは
自分を痛めつけるダイエットで

無理やり作った体と引き換えに得るような
薄っぺらい優しさではなかったんだ


って。




それまで 自分の心が欲しがっているものが分からなくて、欲しがっていないもの(作った自分をほめてもらうこと)で満たそうとしていたから、いくら与えても私は満たされなかったんだ



っておもった。





食べることも同じで、 飢餓が原因なら 
カラダが栄養を求めて過食衝動を

起こすっていうのもあるけど、


そういうのは食欲を信じて

満たしてあげていれば落ち着いてくる

ことも本当にあるよ。



でもそうじゃなくて



淋しさとか怒りとか感情からきている食欲は、求めているのはもはや食べ物ではなく、心の栄養なんだよね。


そこに、いくら食べ物を詰め込んだって満たされることはないのです。


(この理由がわからないというメールをもらったので昔書いたことに少し触れておきますが、理由としては癒しの脳内ホルモンセロトニンが不足するとそれが手っ取り早く得られる糖、つまり甘いものや炭水化物を求めるという話が有名です。

ダイエット依存者はそうした脳の欲求にこたえて食べてしまえば、それがま た太る!という恐怖間をあおり、


満たされるどころかまたストレスになるから
結局心も食欲も安定しない、という負のループになります)



思い当たる人は、

心の栄養の部分のお話も

食べることと同じくらい

大事にうけとめてあげてね。

テーマ コミュニケーション
テーマ ホルモン関係 内の記事を参考にしてください




こんなことかいてるけど、上のエピソードでは、私の気付きのきっかけになっあということで、それでなおったわけではありません。




主人に打ち明けてからも、すぐにこの人は私の体型が変わっても、自分作らなくても離れない! って思えたわけじゃなかったですし。




今はいいけどそのうち疲れて離れていくんだろうな、とか、実際克服する過程で太ったら離れていっちゃうんじゃないか、とか考えて、なかなか「飾らない自分」が愛されるなんて信じられなかった。



彼も、私の病気も気持ちもわからないことはいっぱいあって、寂しいことはたくさんあつたよ。



でもずっと、 人に知られたらみんな離れていくと思っていた、自分の摂食障害の側面 (当時の私の90%くらいは摂食障害だった)を知っても離れていかない人もいるんだって自分の心で実感できたことは、



病気以外にも

私、だめじゃない私にひっしになって受け入れてもらう…のではなくーだめなまま受け入れられる感覚がほしかったんだ


だから必死にダイエット、人に嫌われないようなふるまい、仕事…がんらなきゃ…頑張れない…って必死に生きてたのかな…


そんなことにきづくきっかけとなり、その気付きは大きな転機となりました。





嘔吐をやめて、

体重を量るのをやめて
太る覚悟したのもそのときです。


死にたい死にたい死にたい 

という気持ちから
生きたいって気持ちが、うまれたから。

生きるときめたら、摂食障害を治すまで~できない、治すまでダメ、じゃなくて

病気を抱えた今から、幸せな時間をすごしたいって思えたのです。



摂食障害である自分

だめだと思うあらゆる自分を隠し続け
幸せを演じ続けようとする

それまでの体制から、


ありのままの自分を自分で認め、

認めてくれる人を見つけ、力をかりて
演じたり作らなくてもいいありのままの

自分で、心地くいきられるひと、こと、環境



すべて私が、わたさのために

取捨選択してしていこうときめたのです。





それまではバレないうちに治さなきゃって一人で焦ってたけど


ありのままの自分を見せたら
手を差し伸べてくれる人もいたし、

離れていく人もいたよ。



でも、
1人でも2人でも 
ありのままの自分ごと

け入れてくれる人がいれば

上辺の笑顔で多くのひとに好かれていたときよりずっと救われるものでした。



ありのままを認めてくれる存在は、 
恋人や結婚相手でなければいけないと

いってるのではありません。



重要なのは巡り合うのを待つのではなく、
今身の回りにいる人に対して 
自分がどう向き合いつきあっていくか、

ということです。

ありのままの自分を 

自分が隠している限り、


今そういう人がそばにいても
これから出会うことがっても、
その人がその存在だと

気付くことができないから。


外見でチヤホヤされるだけの安っぽい快感は”幸せ”とは違う。


外見の美しさがなければ愛されないとか
それさえあれば愛されるとか勘違いしてる限り、不幸からは抜け出せない。



死にものぐるいで体型整えてないと認めてくれない人に認めてもらってその時は嬉しくても

そのあとすぐさま地獄におちてしまう。


そんな苦しみが伴う一瞬の快感は

幸せとは別のものなんだ。



・・・そんなことにやっと気付いた時から、
山アリ谷ありの回復の道を歩きだしました。



恋愛依存に関しても、一人の人を過度に束縛してしまうタイプの人もいれば、一人の人と向き合い傷つくのを恐れ次から次へと男渡りしていくタイプもいるけど、


どっちも「ヤセてなければ、キレイでなければ愛されない」っていう強迫観念から逃れられない淋しさは一緒だよね。 




でも、ホントに自分の心が欲しがってるのは、
そんな薄っぺらい愛情じゃないって事に気づいてほしいとおもいます。


そこから抜け出せたいまのわたしは、体重の変化や加齢でシワができたって、それで大切な人たちの気持ちが離れていくなんて不安、自分がダメな人間になるなんていう不安も、全くないよ。




体型コントロールでつないでいたかすかな安心、それをしていないとなくなりそうな人間関係に依存して、自己否定しながらダイエットと食症状くりかえしていきていたときよりも



からだはふっくらしましたが

こころは、とってもとってもらくだし、

心地よくいきています。



*        *         *


ギャンブル依存や ダイエット依存の人の脳内にはエンドルフィンっていう麻薬的効果のある快楽ホルモンが駆け巡り苦しさも麻痺してしまうといわれます。

きっと恋愛依存もそういう部分があるんじゃないかと思う。



でもその快楽ホルモンが健康的な方法で分泌されるようになればいいのですよね。

それが、摂食障害者が本当にしたいこと、好きなことをみつけると、物凄いパワーを発揮する、といわれるゆえんだと思います。

 


 
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