ステップあやです。この記事は前の記事(⑤「分かってくれない」気持ちの伝え方(2021))の続きというか、補足の記事です

 

 

 

※この記事は2009年04月08日(水) のリライトです。

 


ダイエット依存・摂食障害に苦しんでいる人は
その苦しさを誰かに
分かって欲しい気持ちがあっても、

分かって欲しいと思うこと自体をいけないことと否定していたり
最初から諦めていたり


伝えいるつもりでも、本当に伝えるべき大切なことは何一つ言葉にして伝えらていない人が多いのです。

-----


摂食障害を治すのは、確かに自分自身です。

 

 

 


けれども、

コミュニケーション=
自分の気持ちを言葉で人に伝え
相手の気持ちを聞くこと
をしてなかったり不得意だったりすると、

 

それ自体がストレス=拒食や過食のエネルギーになることがあります。
 

 

 

 

 

 

私の場合も、相手の顔色を伺うのが癖になっていたため、ネガティブな気持ちについては「こう感じた、感じる」というのを伝えることは殆どしないのが私の「当たり前」になっていました。

 

※そのガマンが募って泣いたりキレたりすることはあったけど、言葉で冷静に気持ちを伝えてなかったので、相手にとっては、いきなり何で??と全く分からなくて当然だったと思います。

 

 

コミュニケーション、ー言葉で自分の気持ちを伝えて、相手の状況や考えに耳を傾けることーで解決する不安があるなんて知らなかった。分かって貰えなくても「受け取れる愛が増えること」があることも、全く知らないまま大人になりました。

 

 

 

あるきかっけがあって、自分のコミュニケーションの癖に気づいてからは、もう少し伝えてみよう、相手の話も(理想の反応でなくても)聞いてみよう、、と周りの人とのコミュニケーション、心かげてゆきました。

 

 

 

そしたら、全て解決だなんて簡単じゃなかったけど(何しろ、小さいころから言葉で伝えることしてこなかったので)、

 

相手を会話を重ねていくと

病気の気持ちはよくわからなくても、

分からないものを抱えた私を受け入れてくれる人も

世の中にはたくさんいることにも気づいていきました。

 

 

 

 

 

だけど、私の家族の反応は、厳しいものでした。

 

 

ダイエット依存、摂食障害については

 

 

「自分の問題だ」

「意志の問題だ」
「おかしい」

「わがままだ」


「体型ばかり気にしてるほうがミットモない」
「家のコトもちゃんとしないでワガママ」
「そんなに食べるな」
「食べなさい」
「甘えてる」

 

何度、病気についてちゃんと話そうとしても、先にそういわれてしまうと、何も言えなくなりました。

 

 

母はどうしても私の病気を病気だと「理解することができない」人だったのです。
 

 

私が駄目な人間だからダメなんだ、
母にとては私の苦しみなんてどうでもいいんだろうな

そう思って悲しかった。

 

愛してないから、

どうでもいいから、

あんなことを言ってるんだ、

 

あんなことをいう母は、私が死んだってその時ちょっと泣くけどすぐ忘れてしまうんだろうな、と本気で思っていました。

 

 

でもね。

 

母はそう思っているに違いないって決めつけて、自分の決めつけ、思い込みを検証しようとしなかったのは、私だったの。。


 

 

まず私の伝え方にも問題はありました。

 

 

過食嘔吐が見つかって、またそんなもったいないことをやっているのかと怒られたときだけ、病気なんだ!なんでわかってくれないんだ!って怒ったり、本を読んでよっていったりもしたけど、

 

それ以外は、治ったフリしたり、普通に食べてるフリしたりして、太ることが怖い気もちも、許可食以外食べると自分が駄目な人間になる気がして恐ろしい恐怖に包まれる気持ちも、、、

 

基本的には、隠してたからね💦

 

隠しておいて、感情的になった時だけわーといって「伝えたつもり」になって、「あいつは分かってくれない」って、いってました💦

 

※お互い感情的になった時(←こういう時は頑張っても受け入れられません。なぜなら冷静じゃないから)に言っても人間だれしも冷静に相手の言うことを消化できません。

 

 

 

 

 

母がなくなり、父と暮らすようになってからは、もう少し言葉で伝えよう!と思って手紙を書いたこともあります。

まずは文章にすることで、自分の気持ちがことばで整理できるので、これはおすすめです。

 

 

 

けど、私の父は。長文の手紙書いても理解できなかったみたい。

 

自分の知らない世界を想像する力が異様に少ない人だったので

 

本当に、私にとって「過食をコントロールすること」ができないことだったように、

相手にとっては、病気を理解することが「できないこと」だったのです。
 

 

摂食障害の本を読むのも、私にとっては「簡単なこと」「愛があればやること」だと思っていたけど、父にとってはそうじゃなかった。

新聞など得意分野は読めるけど、病気の本は読めない。できない。そういう人でした。

 

 

悲しかったけど(ノ_・。)

 

だけど、

 

 

父にとっては、

 

私が大事じゃないから本を読まない、

私の苦しみなどどうでもいいから病気を理解しない

 

という自分の思い込みは、これが私の思い込みなのかな、と気づいたら、父なりの愛を受け取れるようにもなりました。

 

 

 


食べる事や痩せる事って、
健康な人にとっては
自分の価値に関わる
重大なことじゃないから


それが全てになっちゃった摂食障害の辛さは、まったく想像できない人もいるんだと思います

 

 

 


*でも、体験しなくてもなんとなく想像できる人もいるから近くにいる人が受け止められなくても一人ぼっちじゃないからね

 



自分の痛みをわかってもらえないのは誰だって苦しい。

その気持ち、人とコミュニケーションをとることをせず、寂しい気持ち 傷つく気持ち全部一人で抱えていたら、、、

傷ついても平気な振りして笑っていたら、、

 

言わなきゃ相手もわからないから

会うたび会うたび同じことを言ったりやったりするよ><。


自分の気持ち話してみたら、あ、、そうだったんだ、ごめんねで終わることもそのまま「傷ついた体験」として自分の中に蓄積されていくしかなくなって、また摂食障害(痩せる、食べるでそのストレスを紛らわす)負のループになっていく。
 

 


 

病気のために怖い食べもの、食べ方あるのに、黙って平気なフリしていても、それで伝わるものはないよ。

 

何も言わずにその人との食事を避けたり断ったりドタキャンしても、あなたが病気と闘っている事実も、あなたが相手を蔑ろにしているわけじゃないことも、本当は一緒に平和に食を楽しめるならあなただってそうしたいと思ってる事実も伝わらない、。

 

ただ避けられていたら、

一緒に美味しいものを一緒に食べること=幸せなコミュニケーションの一つ、と考えている人にとっては

 

あなたは私と食べたくないのかな

あなたに私は大切にされていないのかな、
あなたは私の都合などどうでもいいのかな、
って事実と異なる形で伝わってしまっていたりもしまう。
 
なぜって、周りの人だって、意味も分からず避けられたり、ドタキャンされたり、不機嫌になられても、自分は大切にされてるなんて自信持てる人はいないからだよ。
 
 
でもあなたは、相手のその態度を
 
自分が愛されてないから
自分がこんな病気だからダメなんだ
自分はだれにも受け入れらない存在なんだ
自分のことも私はありのままでは受け入れられない存在だからだ
 

って真実でない誤解をしてしまって、自分を孤独に追いやってしまうこともあるかもしれない。

 

 
そして

 

他人がまず怖くなって

ますます顔色伺ってしまったり

、、。



それ、ずっとやってきたのだとしたら、心が限界超えてしまうのも当たり前だよ。。

 

 


病気はそれじゃ苦しいよって教えてくれてるんだよ
 

 


あんなに苦しい「痩せる安心」「食べる安心」が

たとえ一瞬であっても、
どんなに苦しみが付きまとっても
たった一つの救いになってしまうほど
それに助けてもらわないといられないほど

心が苦しいよって
もうそろそろ、生き方、考え方
変えようよ~って

心身が症状を出して教えてくれているのが摂食障害
なんだ。


だから、、、食べることも大切だけど少しずつコミュニケーションも練習していこうね。

 

 


摂食障害のことも
そうでないことも

自分の気持ち、伝えていくこと
相手の気持ちを聴いていくこと、、、



理想の対応が返ってくることばかりじゃないけど

 

 

そんなときも

 

自分が相手について

自分について

 

これはこうに違いないって決め付けていた捉え方、考え方をほんとかな?って見直していくことでラクになることもあるんだ。

 

 

 

 

全員に、受け入れてもらうのも、

分かろうとしてくれる人にも全部理解してもらうのも、

 

それは無理なことだ。

 

 

違う人間だから。

違う捉え方があるから。

 

 

でも、相手がわかるかわからないかは相手の事情でそうなってるのであって、

あなたの価値は関係ないし

愛や思いの量ともほぼ関係ないし

あなたが助けて貰えない存在だからでもなくて

 

人により、理解できることも、その人に可能な助け方の形が違うだけということが殆どなのです。

 

 

 

 

 

自分の感情に大きく影響する他者には

「気持ちを伝える」「相手の気持ちを聞く」をしていこう。


悲しいことがあるのに態度で伝えた「つもり」になっていてもよくあるんだけど、相手には何が何だかさっぱり伝わっていないこともおおいものです。

 

 

それなのに、伝えたのにわかってくれない私はやっぱり話をきいてもらえないって思いこんで相手とコミュニケーションをとるのをやめてしまったり

拒食や過食で「もう限界」を表現するしかできなくなっている人も少なくないのですが、それでは残念だけど何もあなたの本当の気持ちは伝わらないんだ。


自分の言葉で自分の気持ちを伝えられない人は自分にぴったりくる本やブログで伝えてもいいと思います。


そのときは摂食障害のことに関しては決して中途半端に伝えないことがポイントです。

 

 


たとえば

 

「ストレスで食がコントロールできないんだ」って自分では超~思い切って相談してみたつもりでも、それだけで伝わることってないよね。

 

過食が何か知らない人は食べ過ぎと同じくらいに捉える人もいて、でも、それってただ、その人がたまたま「過食ってどんなものか」知らなければそういう反応になるのは自然なこと。

 

軽く言われるととっても傷つくね。

 

だけど、単に伝わっていないだけのこともあるんだよ


みんなが自分の理想どおりに受け入れてくれる人ばかりじゃないけど、きちんと言葉で説明すれば想像力が働く人なら、「自分にはよく分からないけど、 とにかく苦しんでいるんだな」とは理解してくれる人は世の中には沢山いるのです

 

伝えてみて、それで傷つくこと言われたらどうしようって怖いけど、必ずしもそれって「拒絶」ではないことも頭にいれとくといいかも。


一度で分かるなんてことは、自分が相手が理解してほしいことを、少しのやり取りだけで理解できるかどうかも考えてみたら、そりゃ無理だなってわかると思うし、理解できない=愛がない、じゃないことも分かると思うんだよ。

 

 

 

一度いって伝わらなくても、それはそうじゃなくてこうなんだよ、って違う言葉で伝えてみたっていよね。、

 

別に分からない=否定してる、じゃないから、どちらでもいいと思うことはほっといていいけど、一緒にいて毎回お互いに同じようなことで嫌な気持ちになることがあれば、それは、納得するまで話し合った方がよいところだと思います。

 

 

 

自分が相手を分かるのも
相手が自分を分かるのも
一度何かいってそこで解決、っていうのではなく

会話、コミュニケーション」を重ねていくうちに
喧嘩も含めて、体験していくうちに

「お互いに」あの人こう感じていたんだな、ってわかることがあったり

 

その時は全く相手が言ってる意味がわからなくても、言われたことが心に残って半年一年かけて考えるようになり、自分とは違うけどあの人はこうなんだなって受け入れることができるようになることも、お互いに出てきたりもする。

 

 

あるいは、

 

 

この人にはここは伝わらないから、この話は他の人に聞いてもらおう、

その代わりこの人にはこんな形の助けをもらおう

 

って整理がついてくること

 

 

今はこの人とは距離を置こうと自分のための判断ができるようになること、

 

 

などなど、コミュニケーションを見直していくと、色んな形の問題解決の方法があることに気付いていきます。

 

 

 

 

摂食障害に限らず、これは学校でも職場でも基本的な事なんだよね。

伝える事を避けてると、誤解が生じたり、自分のなかに余計な不安が必要以上につのっていって、心が壊れちゃう。

私も昔、人といても孤独感があったのは、自分が勝手にコミュニケーションを中断してしまう癖が原因だったと思う。
その寂しさが、ヤセや食への異常な執着につながっていたの。

 

 


心療内科もに途中で行かなくなったのもそういう癖が原因だったと思う。 「あ、この先生わかってくれないな」って思う返事が返ってくると、もう言わない。となっていたし、最後は、あいつ何もわかってねーって決めつけてそのまま行かなくなった😭 ちゃんと言葉で説明したら「あ、そうなんだ。僕が番えたかったのは こういうことだよ・・」ってなったかもしれないのに、すぐにコミュニケーションを中断しちゃってました💦

 

※その先生には去年帰国した時に、謝ってきました。もう7年?ぶりくらいだったけど、覚えていてくれて、色んな過程を踏んで治りましたって泣きながら報告したのだけど、そうか~、よかったね~って何度もうなづいてくれて、めーっちゃくちゃ、いい先生だった。

 

 



最初は父や主人も私の過食に気づくと怒って食べ物を取り上げたりしたけど、「これ、始まっちゃったらもう私の意志じゃないの。 それを責められるとお前の意思が弱いって いわれてるみたいで悲しい。」ってつたえた。 
 

 

「じゃーほっとけっていうのかよ!!」って逆切れされたけど、「医者が書いた本にもそっとしておいてあげてください」って書いてあったよ」って。
*これは嘘じゃないです。
 
 その後、何もいわず、そっとしておいてくれるようにはなりました、

 

 

 

 

それから、完璧じゃなくても、助けられてることについては、〇〇してくれてありがとうって感謝の気持ちも伝えること、してなかったな、って思ってそこは変えてみました。

 

※ ↑ああしてほしい、こうされるのが嫌だ、って注文ばっかり伝えていると相手も、助けようと思ったって文句ばかり言われると感じて自信なくしてしまってその結果「何やっても力になれないのだからもう何も言わない、やらない、助けない」ってひねてしまうのは、自分が助けようとする立場になったと考えてもまあそうなるだろなと思って、自分の対応を先に変えてみた

 

 

そしたら、

 

全然父から欲しかった言葉はもらえなかったけど、容姿や体型について平気でデリカシーのないこと言う部分も何度言ってもかわらなかったけど、相手なりに気づかってくれることも分かるようになったり、

 

私が可愛くて心配な時ほど「怒鳴ってしまう」という相手のコミュニケーションの癖もわかるようになってきて(前は怒鳴る=私が嫌い、否定だと思ってた)、など相手の癖がわかるようになったら、受け取れる愛も増えてきました。

 

 

 


父にいたっては彼の性格もあり、優しい言葉をかけてくれるようになったわけでも食について何か協力してくれるわけではなかったけど、

過食については怒鳴ることはしなくなったし、
過食代を心配してくれることもあって。

 

彼なりの「愛」と「一生懸命」を受け取れるようになったのはコミュニケーションと向き合った大きな収穫でした。

 


 
こんな感じのことは彼氏や友達との間でもよくありました。

苦しいこと伝えたら
そんなの考えてもしょうがないよ、
なんていわれてちょっと傷ついたとき


そうだよね、そうできたらいいなって思うよ。←一旦相手の考えも受け止める


でも今の私は、頭で理解はできても、心が寂しいって感じるも、考えてもどうしようもないとわかってても考えてしまうのも、自分でコントロールできないんだよね・・。

太ることについても、頭では自分の価値に関係ないってわかってるのに、心が「太ると自動的に恐怖に包まれてしまうんだあ」って。

 

・・・っていうと、「そうかあ。そうなんだあ。。」・・・って具合には受け止めてくれる人は割といることに気付きました。

 

それでも、「きっと、あやってマゾっ毛あるんだよ、 だから自分で辛い道(過食嘔吐)を選ぶんじゃない?」とか、ガクっと来るような事いってた友達もいるけど(笑) 、それでも、すっごい真剣に考えてくれてるのはわかるようになりました。

 

 

前は、自分が分かってほしいと思うことを言ってわかってくれないと「この人は私を受け入れてくれない人だ」と決めつけて心閉ざしてたけど、いやそうじゃなかった。分からないことがあっても、私受け入れられてた。

 

違うと思えば、いやそうじゃなくてこうなのよ、って普通に話せばよかったんだ。

完全に分かってもらうことはできなくても、この人は分かろうとしてくれる、話せばそうか、って聞いてくれる・・・って思える人が一人でも2人でもみつかると心がふわふわって楽になれた。 
 

 

 


あと、言葉で伝えられなくて、キレてしまったら、後からでもきちんと相手に謝ること。どんな「気がして」寂しかったのか、冷静な言葉で伝えることも心掛けました。



喧嘩したって泣いたって、後から取返しはつくことが多いのだと思います。

 

ひとりでただ黙ってグッと飲み込んじゃうより、私の気持ちを察してほしいと無理に決まってることを望んでイライラしているより、相互の理解につながる。

 

 


その会話を勝手に放棄して黙りこくって、勝手に「どうせわかってくれない」って一人で抱えていじけていても、苦しさって心の中につもっていっちゃうんのだと思います。

 

 

 


という事で、長くなったけれどもいつも自分の気持ちを押し殺している人は、まずは気持ちを言葉で伝えてみる、それに対する相手の反応をきいて、また思うことを伝える。。。ってとても大事です。

 

相手を思い通りに変えるために、じゃなくてね


食以外で「癒しや快感を得る方法」の沢山の選択肢
が脳にしみついちゃえば、多少のストレスがあっても色んなカタチで通り過ぎちゃうもんなんだけど、その選択肢が増えるまでは、長年の癖の「ヤセ」とか「食べること」っていう一時的な快感に依存して問題を曖昧にしてないといられない症状がでてきてしまうものだけど


一つ一つ自分の心のストレス、生き辛さをラクにしてくうちに 摂食障害に頼らなくても大丈夫な心、できてくるよ。


今日の記事も悪くなかったよ~、と思ってくださったら以下のリンクをぽちっと応援お願いします!!

 

 
皆さんのクリックの応援が更新の励みです
 ↓    ↓    ↓

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 摂食障害へ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 過食症・過食嘔吐へ

 

 

ステップあやの著書及びその他お勧め本
【摂食障害、ダイエット依存からの回復】

 

 

*このブログはリンクフリー(無許可でリンクをはってもOK)です