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ミャンマーのデモ 三本指を立てる意味は? ハリウッド映画「ハンガーゲーム」が最初?

テーマ: 海外こぼれ話

ミャンマーで軍事クーデターに対する民衆のデモが始まっている。

 

 

そこで彼らが一斉に手を挙げて、3本指を立てている。

 

 

日本でもミャンマーを救おうという人たちが同様のデモをしている。

 

 

この3本指のシグナルは、何だろう?

 

どうやらこれは、2012年に公開されたハリウッド映画「ハンガー・ゲーム」シリーズで印象的な場面に用いられたのが最初らしい。

 

 

人差し指・中指・薬指の3本指を立てるこのゼスチャーは、仮想の独裁国家を背景にした映画で反乱と革命の象徴であり、愛する人への哀悼と尊敬のシンボルとして使われた。

 

 

 

映画に出た「3本指シグナル」が、次は2014年6月にタイのバンコクに登場した。

 

 

ワシントンポストなどは、タイの市民がデモを行う際、軍部クーデターに反対するシンボルとして3本指を立てたと、6月3日に、報道した。

 

 

バンコク市内でデモ隊約100人が「ハンガー・ゲーム」に出る手信号を真似て一斉に3本指を立てたという。

 

映画の中の独裁への抵抗と同じ意味に使われたこのゼスチャーは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて急速に拡散した。

 

タイのデモ隊は、3本指がフランス革命の理念の「自由、平等、博愛」を象徴すると言ったり、「選挙、民主主義、自由」を意味すると解釈するなど、多様な意味を与えている。

 

軍政の関係者は、3本指デモに対し、「個人が独自にそういった行為をするのは問題にならない」としながらも、「5人以上集まる政治集会でそういった行動を持続したときは逮捕もあり得る」と警告した。

 

その後タイでのデモ行為は沈静化しているが、軍政は変わっていない。

 

 

そして今回、アウン・サン・スー・チー女史の軟禁を含むミャンマー軍部のクーデターに反発して、ミャンマー国内各地で大きな市民デモが始まり、そこでこの三本指のゼスチャーを始めた。

 

SNSやテレビ動画を通してこのシーンが世界中に届いたのだ。

 

さあ、これでミャンマーに革命が起こるだろうか。

 

当方の推測では、多分難しいだろう。

 

今回の三本指のゼスチャーも映画やタイの真似事でしかない。

 

ずっと以前にアウン・サン・スー・チーが開始した市民革命運動が、中途半端になっており、軍部がここで逆転してしまっているからだ。

 

彼女は、ニューデリー、オックスフォード、ニューヨークなど海外で学問に集中してきた学者であり、海外しか知らないという経歴の持ち主だ。

 

1988年3月31日に母が危篤との知らせを受け、病気の母を看護するため4月2日にビルマに戻る。

 

1987年9月の高額紙幣廃止令などをきっかけとして学生を中心に始まった反政府運動(8888民主化運動)は、デモ中の学生が虐殺された3月以降に激化していた。

 

7月に1962年の軍事クーデターより独裁政治を敷いていたネ・ウィン将軍・ビルマ社会主義計画党議長が辞任した。

 

その戒厳令下で、学生や市民らが大規模なデモを行ったのである。

 

アウンサンスーチーは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて演説を行った。

 

9月18日に国軍がクーデターを起こし、ソウ・マウン議長を首班とする軍事政権(国家法秩序回復評議会、SLORC。

 

のちのSPDC―国家平和発展評議会)が誕生した。

 

民主化運動は徹底的に弾圧され、数千人の犠牲者が出た。

 

アウンサンスーチーは9月に、翌1990年に予定された選挙への参加を目指して、1988年の国民民主連盟(NLD)の結党に参加し、書記長に就任。

 

全国遊説を行うが、1989年7月に自宅軟禁され、NLD書記長を解任される。

 

国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが拒否したといわれる。

 

軍事政権は1990年5月27日に総選挙を行い、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟が大勝した。

 

しかし、軍政側は「民主化より国の安全を優先する」と権力の移譲を拒否した。

 

この強硬な姿勢は国際的に激しい非難を招き、アウンサンスーチーは1990年10月12日にトロルフ・ラフト財団からトロルフ・ラフト人権賞を受賞。

 

1991年7月10日にサハロフ賞受賞、10月14日にノーベル平和賞を受賞した。

 

ノーベル賞賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。

 

ただし自宅軟禁中のため授賞式に出席できず、受賞演説を行ったのは軍政が民主化に本腰を入れ始めてから21年後の2012年6月16日のことであった。

 

以上のように、軍部をしっかり押さえこんで民主化しなければならなかったのだが、一度もそれに成功してこなかった国、それがミャンマーなのだ。

 

やはりこの国は民衆が本当の民主化の戦いというものを知らないのだ。

 

さらに、もはやアウンサンスーチーも75歳というご高齢だ。

 

次の世代が全面に出て命を懸けて軍部と渡り合う覚悟が無ければ、結局また軍事態勢のままになるだろう。

 

どうやら今回もミャンマーの民衆は、全国で騒いだら、米国や欧州や日本が助けてくれるだろうと思っているのだろう。

 

こんな事で自分の国が変えられるわけがない。

 

フランス革命しかり、ベトナム戦争しかり、日本の幕末しかりだ。

 

おそらく1年もしない内にしっかりと軍部がこの国を牛耳るようになるのではないか。

 

そうならないことを祈るしかない。

 

 

 

 

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