●ヘンリー・ストーン(マイアミ・サウンドの立役者)93歳で死去~個人的な思い出 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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●ヘンリー・ストーン(マイアミ・サウンドの立役者)93歳で死去~個人的な思い出

【Henry Stone Dies At 93】

訃報。

フロリダ州マイアミに本拠を置き、音楽出版社、レコード会社、レコード配給会社(ディストリビューター)など手広く音楽業界を担っていた大物音楽起業家、ヘンリー・ストーンが2014年8月7日、マイアミのマーシー病院で死去した。自然死。老衰。93歳だった。(当初第一報では死去日は8月8日の朝早い時期とされていたが、正確には7日だったようで、それがのちに報道された。筆者も第一報で8月8日までに、とし、その後8月8日の早い時期としたが、訂正した) (詳細評伝は後日まとめます)

葬儀は2014年8月10日(日)午後2時(現地時間、日本時間11日午前3時)から、マウント・ネボ・ケンドールにあるリヴァーサイド・ゴードン・メモリアル・チャペル(5900 SW 77th Ave., Kendall)で行われる。ストーンは、子供たち、ドナ、ジョセフ、リンダ、クリスタル、シェリ、キム、デイヴィッドとさらに14人の孫たちによって送られる。

訃報を伝える記事

マイアミ・ヘラルド2014年8月9日付
http://www.miamiherald.com/2014/08/08/4279652/founder-of-the-miami-sound-tk.html

マイアミ・ニュータイムス(ブログ)2014年8月8日付
http://blogs.miaminewtimes.com/crossfade/2014/08/rip_henry_stone_king_of_independent_records_dead_at_93.php

ヘンリー・ストーンは1921年6月3日、ニューヨーク生まれ。1948年、マイアミに移住。以来マイアミを拠点に音楽ビジネスを幅広く展開した。

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追悼。

「ソウル・サーチン・レイディオ」2014年8月13日放送分(0時~1時、インターFM)でちょっとだけ追悼をします。マイアミ・サウンド、ヘンリー・ストーンの歴史は改めて時間とってまとめたいと思います。

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音楽人。

ヘンリー・ストーンは、マイアミの一音楽人というだけでなく、特にソウル、R&B、ブルーズなどブラック・ミュージック系の音楽に対して、ひじょうに積極的でそうした音楽を精力的にサポートしてきた。そうしたミュージシャンには、古くはレイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンなどがいる。彼らほど大きなアーティストでなくとも、インディのR&Bシンガーで南部で売りたければヘンリー・ストーンに頼め、と言われるほどの存在だった。

自身でスタジオを持ち、原盤も制作し、自身のレーベルから発売する作品も多数だったが、他のインディ作品、メジャー作品などもディストリビューターとして取扱い、そうしたレーベルとの連携も大きかった。

そしてなにより、ヘンリー・ストーンと言えば、1970年代に大きな現象となったいわゆる「マイアミ・サウンド」の立役者という顔だ。

ベティー・ライトに始まり、KC&ザ・サンシャイン・バンド、グウェンとジョージ・マクレイ、ラティモア、ティミー・トーマス、リトル・ビーヴァー、さらにディスコ系のフォクシー、ブルー・アイド・ソウルのボビー・コールドウェル、フュージョン系のジョン・トレペイなど、ソウルというジャンルにとどまらず、あらゆるタイプの音楽を生み出してきた。特にKC&ザ・サンシャイン・バンドを頂点とする「明るくポップなマイアミ・サウンド」は1970年代に世界的な現象となった。

取引。

僕は1970年代中期にアメリカからレコードの輸入をしていたが、そのときマイアミのトーン・ディストリビューターと直接取引をしていた。とにかくTK関係の作品が多いので、ニューヨークのディストリビューターを使うより、直接トーンから取ったほうが種類も数もたくさんはいると思ったからだ。しかも、結果的に値段も安かった。TK傘下のマイナーなものは、ニューヨークからはなかなか入ってこなかった。

ただ、ある程度まとまらないと発注できないので、毎週というわけにはいかなかったが、トーン(マイアミ)からのものは、月に1度か2か月に1度くらいはきていた、と思う。そんなやりとりの中で、確か、インヴォイスかレターはヘンリー・ストーン本人から来ていた。正確にはヘンリー・ストーンの名前で、秘書あたりが代筆しているのだろうが、ヘンリー・ストーンの名前と署名(これは、本人)を見て、けっこう興奮したことを覚えている。

1979年12月、ジェームス・ブラウンがやってきたときに、郵便貯金ホールの楽屋で会って、インタヴューした。そのときになぜかヘンリー・ストーンの話になり、ミスター・ブラウンの口から「ヘンリー・ストーンは古くからの友達だ」といったようなことを聞き、それもあのジェームス・ブラウンがかなりヘンリー・ストーンを信頼してる風だったのが印象に残っている。ジェームス・ブラウンは、ヘンリー・ストーンの持つレーベルからシングルを何枚か出している。

それから十年余、1980年代後期、1986年か1987年頃、ニューヨークの「ニュー・ミュージック・セミナー」でヘンリー・ストーンと会った。そのときにはすでにレコード輸入はやめていたが、彼がパネル・ディスカッションを終えて壇を降りた時に近づいて話しかけた。「あなたのトーン・ディストリビューターからずっとレコードを買ってました」と声をかけると豪快に「おおっ、そうか、それはありがとう。今でも新譜があるからな、聞いてくれよ」みたいなやりとりをしたことを思い出す。なにしろ、精力的な人物という印象だった。

僕がヘンリー・ストーンの哲学でもっとも好きなものが、「レコードは市場にでるべきである record should be in the market」というもの。これはどんなレコードでも、まずはプレスして市場に出さなければならない、出さなければどのような反応が来るかわからない。そこからヒットが生まれるかもしれない、というものだ。だから、TK関連のものはとにかく数、種類が多い。玉石混合でもあるのだが、レコード好き、特にソウルのレコード好きとしてはこれはたまらない。いまのレコード会社は、選んで選んで選び抜いて作品をリリースするというのが主流だが、ヘンリー・ストーンはその真逆だった。誰にでもチャンスを与え、レコードをプレスし、だした。僕はそれが大好きだ。

しかも、ここのプレスは甘いというかずさんなものが多く、シングル盤の中心の穴がずれていたり、紙のレーベルが2枚ぺたっとくっついていたり、それはそれはおもしろかった。

彼のおかげでレコードを出せた人は、星の数ほどいる。いや、石の数か。もちろん、ハリー・ケイシーなどそのひとり。彼はトーン・ディストリビューターでレコードを箱につめて、発送したりという雑用をやっていたところから出てきたのだ。

根っからのミュージック・マン、ミスター・ヘンリー・ストーン。死因はナチュラル・コーズというから、自然死、老衰といってもいいだろう。ミスター・ストーンは、93歳の長い音楽人生に静かに幕を下ろした。旅立つときに彼の脳裏になっていた曲は、何だったのだろうか。

ご冥福をお祈りします。

OBITUARY>Stone, Henry (June 3, 1921 – August 7, 2014, 93 year old)


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