手術室へ
2014年6月12日
その日は朝から土砂降りの雨だった
僕はいつもより早く目が覚めた
たぶん5時前だったと思う
ここの病院の面会時間は朝の7時からだった
女房らはそれより少し前に到着していたようだが中に入れず7時になるのを駐車場で待っていたようだった
この日は当時中2だった娘も学校に遅刻の連絡を入れ朝 病院に寄ってくれた
他には中村社長が来てくれた
中村社長は僕の東京の親父だ
16歳で単身東京に出てきた僕の面倒をずっと見てくれた
僕は東洋チャンピオンになるまで社長の経営する内装会社で働かせてもらっていた 夕方からはジムで練習があるので社長は僕だけみんなより早く仕事を上らせてくれた
僕のデビュー戦からの全試合に社員やお客さんを連れては試合会場で応援してくれた
僕は東洋チャンピオンの頃ジムと揉めてもう色々いやになってボクシングを辞めよう思ったことがあった
東京のアパートも全部引き払って荷物をまとめて二度と東京にはもどらないつもりで広島へ帰った
その時中村社長は僕を説得しに来てくれた
そして僕を東京へ引き戻してくれた
もしあの時 中村社長がいなかったら僕はあのままボクシングを辞めていただろう
だからその後絶対に世界チャンピオンにはなっていなかった
中村社長夫婦には僕らの結婚式の仲人もお願いした
中村社長は口数の少ない人だから何も言わなかった ただそこで見守ってくれるだけだった
この日も「また来るから」 とだけ言って僕を手術室へ見送ると帰って行った
他にはまたまた山中さんと操ちゃんが来てくれた
山中さんは一日女房が一人で待っているのは退屈だろうと僕の手術が始まったら外に連れ出そうとしていた
湯島天神でお参り→不忍池でボートに乗る→ たいめいけんでオムライスを食べる→で病院に戻ればちょうど手術が終わってる頃でしょ
どぉ?このプラン 完璧っしょ
なんならスカイツリーも上っておく?
と勝手に今日一日の計画を立てていた
あのさぁ 山中さん…家族は控室で待機していなくちゃいけないんだ
それに今日 外は土砂降りの雨だよ☂
結局山中さんたちも控室で夜まで 手術が終わるのを待っていてくれたらしい
でも手術が無事に終わったことを確認すると これで安心したと言って僕に会わずに帰って行った
元気になった姿に会いに来るからって
そういうところが山中さんらしい
娘は朝 学校を休みたい
今日はここにいたいと言っていた
僕はよく娘に頼まれたチケットを手配したり雨降ってるから送ってくれと頼まれればホイホイ送り 迎えに来てほしいと電話があれば仕方ないな〜と言いながら行ってしまう
年頃娘は僕のことを友達に見られたくないらしく僕は毎回ちょっと離れた待ちあわせのコンビニ前に車を停めて待っている(笑)
最近は大丈夫
こっそり小遣いやったのがバレてめっぽう甘いとよく女房と揉める
この日も僕は一日くらい学校休んだっていいんじゃないかと思ったのだが今日だけは黙っておいた
娘は女房に学校に行きなさい いつも通りに自分のやるべきことはやってきて
学校が終わったらそのまま病院に戻ってくればちょうどパパの手術も終わっているころだからと言われ結局 僕の手術が始まると学校へ行った
朝早くから何度も看護師が僕の病室を行き来して血圧測ったり点滴入れたりと慌ただしく準備をした
看護師はすべての準備が整うと
「8時半になったら迎えにきます
そしたら手術室へ向かいましょう
それまでゆっくりと過ごしていてください」と言って出ていった
↑病室で出発を待ってる
約束の時間になり看護師が迎えに来た
手術室までは専用のエレベーターがあって自分で点滴スタンドをゴロゴロ転がしみんなと喋りなが歩いて行った
山中さんがエレベーター内で「世界戦の時とどっちが緊張する?」と聞いた
僕は「世界戦だよ」と答えた
みんなで手術室前でなぜか記念撮影をした
同じ日にいくつも手術が行われるようで手術室はたくさんあった
そしてそれぞれが自分の手術室へ入って行いく
僕は手術が終わったあとの様子をビデオに撮ておいて欲しいと女房にお願いし
みんなに見送られ看護師と2人で手術室に入った
つづく
じゃあの。