仕事でもそういう相談を受けることがありますし、プライベートでもやはり話が恋愛になったときに二言目ぐらいで「出会いってどこにあるんだろう?」という話になります。

 

それで、今回ブログの記事にも書きたいのですが当然「出会い」のテーマって一回じゃ書き切れないので今後とも何回もしゃべっていきたいと思うのですが、まず出会いについて率直に思うことを言います。

 

「出会いって自然なものなのか、不自然なものなのか」

 

たとえばよくビジネスマナーとかで「いかに偶然の出会いを仕事に結びつけるか」とか、そういう講座もあるぐらいだから、名刺を渡す、雑談をする、そして自分を印象づけるとか、ビジネスの話になると「出会い」って「縁」の文脈では語られない。取り引きとか前向きな話に持っていけなくても上司に「いやあ、縁がありませんでしたねぇ」で報告すると怒られるわけでしょう。

 

これを個人的にずっと感じていて、就職活動のときなんかがすごく顕著(けんちょ)に出るけど、日本文化って縁信仰がとにかく強い。つまり、「結びつけられるつながりは自然なものであり、はじめから縁があった」という考え方。

 

もちろんそれにケチをつけるつもりはないし、半分は確かに縁って自然なものだと思うのです。でも、残りの半分の可能性として「縁を受け取るためには、縁を受け取る心構えとかある種の前向きな生き方が必要とされる」とも思うのです。

 

それで、

 

「大人になると出会いが減る」と感覚的に思いやすくなるのは、実は多くの人が目の前にある出会いを軽視してしまうからじゃないか。

・「この出会いぐらいで自分は影響を受けない」

・「まぁ、テキトーに話して明日も早いから明日のことを考えよう」


という気持ちがどうしても強くなっていってしまう。それも仕方ないんですよ。本当に。

 

“大人”ってその出会いが特別なものじゃなくても、相手に期待できなかったとしても、また明日から自力で生きていかなければいけないのです。だから、その出会いが「出会いじゃなかった」となっても、いちいち傷ついていられないし、明日をひとりで迎えていかなければいけない。

 

その「切なさ」に「出会いがない」という現象の多くの理由が詰まっている気がするのです。

 

「あー、今回も期待できないんだ。自分の得意分野で頑張っていこう」

 

ってなると、自分でも気づかないうちに「期待しない」という鎧を無自覚のうちに着ていってしまうことになる。

ちょっともしよかったらここらでお茶を飲んでください。一回話を変えます。少し休憩を入れます。

 

(お茶タイム)

 

はい、話を続けます。

自分がやらせて頂いてる星座占いとかで何を重視してるかと言うと、人ってその人固有の「面倒くささ」があるのです。

その「面倒くささ」って他人からみたら「なんで?」って思うし、疎ましいとも思えてしまう。

でもその面倒くささをたまに笑え合えたら人同士の関係ってもっと楽で楽しいものにもなられる。

人それぞれに固有の「面倒くささ」を持っていて、それをでも「自分は面倒くさい人間だから」と言ってずっと閉じてしまうのは違って(そういう時期もあります)、

ある人やある場面に出会ったときに「この面倒くささを改善したい」と決意した時がその人の人生の中のひとつの転機になります。

ある人との出会いが特別なものになるって

「この人は私の出現によって今までと全然違った笑顔をするようになるし、また、すごく追い詰められる表情もするだろうな」

とか、その人の人生が「私によって変わる」または「私の人生はこの人の出現によって変わっていく」と『なんとなく』予感される時だと思います。


でも、さっきも言ったように、その出会いを受け取るのが「武装された大人」になってしまい過ぎると、受け取られなくなってしまう。目の前のものにどうしても期待するのが怖くなるから。

「自力で、そしてひとりで生きていかなきゃ。誰も助けてくれないし」の武装が強くなっていってしまうと、どうしても出会いとか他人の影響を受けなくなっていってしまう。そして、その武装とか封印の反動で、「自分のすべてをわかってくれる救世主」を求めていってしまったりもする。

 

出会いってもっと普通で良いんじゃないか。その普通を誰かと一緒の努力によって特別なものにしていくものなんじゃないか。

 

だから、ときどき自分のプライドとか「傷つきやすさ」を脇にどけてみる。自分で「私はそんなに傷つきやすくないかも知れない」って、あえて自分に誤解をしてみて、脇にどけてみる。そうすると驚く程素直な自分も見つけられたりもする。「あ、こんなに喋れた」とか。

待しないより、期待した方が良い。

どんなに大人になっても期待した方が良い。

何に期待するかというと、この出会いによって変わっていく自分に。

相手はそれを与えてくれる大事なきっかけ。

自分にきっかけを与えてくれた人って、生涯大切にして良い人だから。

 

他人ではなくて「もっと良い表情ができるようになる自分」に期待してみる。

 

もちろん、いつもじゃなくても良いです。疲れてしまう時もあるから。