専門家への不遜な態度 | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

今日の判決に対して言うべきことがありすぎておよそここに書ききれないが、一つだけ。

 

今回の事件では、「せん妄」が大きなテーマとなった。

そして「せん妄」についての専門家として、第一審では精神科医、麻酔科医の分野からそれぞれせん妄についての第一人者が証言した(いずれも弁護側証人)。

彼らの証言は、今回の事件はせん妄による性的幻覚の可能性がある(あるいは「その可能性が高い」)というものであった。

 

控訴審の裁判官は、このせん妄についてさらなる専門家の尋問を行いたいと言った。そして検察、弁護それぞれにせん妄の専門家の医師を証人として推薦するように求め、それぞれが推薦した医師を職権で証人として採用した。

 

ところが、検察が推薦して出てきた証人は、せん妄の専門家ではない医師であった。

そのことは、この医師自身が作成したスライドにデカデカとした文字で「私はせん妄研究の専門家ではない」と書いていたくらいである。

一方、弁護側が推薦して出廷した証人は、せん妄についての多数の論文を執筆し、せん妄を専門に研究している大学教授(精神科医)であり、正真正銘せん妄の専門家であった。

 

そしてこの専門家もまた、今回の事件はせん妄下に生じた性的幻覚である可能性が高いと証言した。

 

裁判官はせん妄についてのズブの素人である。

もちろんせん妄について研究をしたこともなければ、ひょっとすればせん妄というものの存在自体、今回の事件で初めて知ったのかもしれない(現にわれわれ弁護人はそうであった)。

 

医学について、せん妄についてズブの素人である裁判官は、せん妄というものの実態をまだ掴めないとことから、「本当にこんなことが生じるのだろうか?」という疑問を持ったのであろう。そのこと自体は普通のことである。

 

しかし私達法律家は法律の専門家でこそあれ、その他の分野については素人であるという自覚と謙虚さを決して忘れてはならない。ここで求められるべきは他の分野の専門家の意見の尊重である。

自らが感じる疑問を専門家証人にぶつけることは当然必要であろうが、最後は専門家の意見を尊重する以外ないのである(ただし、その専門家がホンモノの専門家である場合に限るが)。

 

今回、控訴審の裁判官は「せん妄による性的幻覚」ということに納得がいかなかったのであろう。

そこで彼が目をつけたのが、第一審のせん妄専門家も、控訴審のせん妄専門家(弁護人推薦)も、日々大学病院の病棟でがん患者などのせん妄治療に従事している医師であるという点であった。

彼らが日々診ているものは、高齢者であったり、がん患者であったり、基礎疾患をもっている患者であり、そのような患者のせん妄と、今回のAさんのように若い患者とは同列に論じられないだろうと裁判官は考えた(なお、このことは、検察推薦のせん妄の専門家ではない医師が述べた内容も含むが、そこに論文などの科学的根拠は全く無い)。

 

しかし、若くて、他に基礎疾患がない患者であっても、せん妄になり、性的幻覚を体験した症例報告は海外のジャーナルに数多存在する。そのことは十二分に法廷に証拠として提出されていた。

そして、せん妄についての専門家証人も、年齢は関係ないことを証言した。

 

ところがである。

今日の判決は、第一審のせん妄の専門家証人も、控訴審のせん妄の専門家証人も、彼らは日頃がん患者などの高齢者のせん妄を診ており、彼らが言うせん妄と、今回のせん妄は違うんだという趣旨のことを言い、専門家証人の証言の信用性を真っ向から否定した。(判決の全文をまだ入手できておらず、細かな言い回しまでは定かではない)

 

そこに科学的根拠は何もない。全く無い。

 

せん妄についてのズブの素人である裁判官が、せん妄についての日本指折りの専門家に対して、科学的根拠を全く示さずに彼らの証言の信用性を否定し、無罪判決を破棄して有罪判決を言い渡した。

 

これは、専門家に対する冒涜だと思う。

専門家の分野もさまざま意見があり、専門家同士の意見が対立した中でどちらの専門家の意見を尊重するかが問われる事件もあるが、この事件はそうではない。

検察から出てきた証人は、自ら「せん妄の専門家ではない」と堂々と述べるような医師であった。

 

今回の法廷には、せん妄の専門家として出廷したのは、第一審に登場した精神科医、麻酔科医、そして控訴審で登場した精神科医の3名のみである。

そしてこの3名ともが、今回の事件はせん妄下に生じた性的幻覚の可能性がある(高い)と口を揃えて述べていた。

 

裁判官には、これを否定する科学的な証拠が存在しない以上、この証言を否定する権限などないはずである。

 

今日の判決は「おれさまはこう思う」と言っているだけのような判決であった。

そこに科学も証拠も謙虚さも何もない。

 

裁判官はいつから万能の神となったのか。

 

そしてこのような裁判官が科学的な根拠なしに専門家(ホンモノの専門家)の意見を否定することは決して珍しいことではない。

私自身もこれまで何度もこのような目にあっている。

専門家の意見を完全に無視して、無実の死刑囚に死刑判決を言い渡した裁判官もいる。

 

それくらい、この国の刑事司法は絶望的です。

 

私は死んでも彼らのような傲慢な人間にはなりたくない。


それでもS医師の人生を守るために、この国の司法に正義がまだ残されていることを信じて前進するしかない。

本日上告しました。