「少女轢殺」米軍に轢かれた子供の死体を前に米兵から事情聴取する事もなく平然と交通整理を始める日本人警官。これが沖縄の日常。







「少女轢殺」日本復帰前の沖縄。米軍トラックが少女を轢いた。嬉野は写真を撮れば生きて本土に帰れないと脅されたが隠れてシャッターを押した。(東京新聞)

日本の警察がやって来ても米兵に聴取する事もなく平然と交通整理を始めた。これが沖縄の日常。米軍による事件事故は新聞にも載らず全く知られていなかった。

米兵による事件事故は後を絶たず相当に過酷。しかしその情報は新聞にも載らずまったく知られていなかった。

米軍に睨まれたら電話を盗聴され、郵便物を開封される。水道は米軍優先、市民は雨水をためて使っているという。デザイナーだった嬉野はどうしても沖縄を撮らなければとカメラマンに。

65年写真家には渡航許可が出ない事が多かったがデザイナーと申告し沖縄への渡航。「撮影機材を米軍に見つかったら命はない」と那覇の税関から警告された。

米兵に気づかれずに撮ったのが「少女轢殺」私が撮ったとバレないか本当に怖かった。


二度目の沖縄渡航で伊江島へ。そこで米軍にフィルムを奪われ基地内に呼ばれ尋問。
その後、漁船の貯蔵庫に隠れて伊江島を脱出。那覇で新聞を見ると自分が米兵に暴力をふるったとして指名手配されていた。

弁護士に連絡をとり復帰運動幹部らに空港に付き添ってもらいなんとか東京行きの飛行機へ。本土との国境線を越えた瞬間、涙がぼろぼろとあふれた。「自分は逃げ帰る場所があるが沖縄の人たちは闘うしかない。沖縄の人たちの気持ちをわかっているつもりでいたけど、とんでもなかった