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このブログでは、ブリキやトタンの集合体である、いわゆる「バラック建築」を度々紹介しているが、今回リポートするのは、その極北と言ってよい物件である
かつて川崎市幸区戸手に、戸手スラムと呼ばれる在日コリアンが河川敷を不法占拠するスラム街があった
このスラム街の一掃には、自治体も苦慮したようで、不法占拠なのにも関わらず、結局、世帯あたり2700万円という巨額の立ち退き料を支給した上に、引越し先の住宅まで用意するという措置がとられ、一部から非難の声が上がっている
ーーが、当ブログは、そのような政治的背景とは関わりのない内容なので、そのあたりはスルーして廃墟、廃屋という括りで、この川崎戸手スラムの残骸を紹介したい
この不法占拠スラムは、前記のように、その是非はともかく既に決着が着き、十年ほど前に解体がはじまっている。しかし、不思議なことに、まだ立ち退かないで粘っている世帯があるのか、なぜか一部が残ったままになっているのだ
多摩川の河川敷をすすむと、なぜかフェンスによって立ち入りが制限されている箇所に出くわす
このフェンスに沿って多摩川の下流に向かうと
雑草に覆われ遺棄されたバラック小屋が目に入る
そのバラック小屋の先にあるのが……
「戸手地域活動センター」という看板が出ているバラックの教会である。まだ活動しているのか、軽のワンボックスが停められていた
それにしても、この教会の立地が凄まじい
驚いたことに、なんと河川敷の沼地の上に無理やり建設されているのだ。こんな水上建設の建物は、東南アジア以外では、なかなかお目にかかることはないだろう
この教会の向かいには、首都圏各地に展開する古紙回収業者のヤードがあり、ひっきりなしにトラックが出入りしていた
このヤードの並びにも、スクラップ業者のものらしきジャンクヤードがあったが、まったくひと気がなく廃墟のような佇まいを見せていた
どうやらこの奥にバラック建築のスラムの残骸があるようだが、奥に入ってゆく道がなかった
しかたないので、いったん多摩沿線道路側に回りこんでみると、道沿いに多摩川の土手があり、その上には通路のようなものが見えたので、土手に上がってみると
なにやらトタンの集合体のような物が目に入った。そして、そのすぐ近くには……
バラック群に向かって階段が造られていた
ネットで調べてみると、このバラック街は、ガスや水道も引かれ、焼肉屋などもあった……という記述を見つけたが、だとするとインフラまで不法使用していたのだろうか?
階段を降りてゆくと、下水らしき設備があった。えっ、下水道まで河川敷にあったの? と、いささかキツネにつままれた気分である
それにしても、この下水施設らしきものの前にある建物が凄まじい
ブリキの外壁はともかく、壁に使用する断熱材を、無理やり屋根にしている。真ん中がへこんでるけど、大雨が降ったらヤバいんじゃない?
恐る恐る敷地内に足を踏み入れてみたが、まったくひとの気配はなく、すでに遺棄されてしまったような雰囲気だった
ちょっと恐いけど、もう少し細部を見てみよう
「下」に続く
†PIAS†
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