前二回はウォンSirに持っていかれてしまいましたが、今回は私が司会をさせていただきますよ~。
さて、三回に分けてお届けした『ネットで画像を探してみたよ』のSDU篇。
今回は2000年代に入ってからのSDUの主要な活躍を・・・といいたいところですが、その前にまず、紹介したい人物がいるのです。
それがこちら。
季炳雄
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季炳雄。1960年中国広東省三水生まれ。
1980年代に起こった『密入国ブーム』(ホントにあったんです。そーいうの)に乗り、香港入り。身分偽造と共に市民権を獲得。
やがて、省港旗兵(本土からの密入国者)たちのリーダーとして頭角を現し、闇の売買組織とのパイプも作り上げ、瞬く間に一大組織を結成。
85年、最初の強盗計画を立て、実行。これが以前も紹介した忠信時計店強盗事件。
その後も、
86年10月29日・油麻地(ヤウマティ)の愛運佳珠寶金行(銀行に非ず。金細工のアクセサリー等の取扱い商のこと)から宝石強奪(被害・40万香港ドル)、
87年2月26日・中環(セントラル)のショッピングモール置地廣場内にある宝石店襲撃(被害・200万ドル)、
89年9月7日・同じく中環にある迪生珠寶金行から時計強奪(被害・200万ドル)
94年4月27日・銅鑼灣伊利沙伯ビル(商業施設兼集合住宅)内にある德信表行から時計強奪(被害・650万ドル)
同年5月18日・中環太古ビル内にある金輪表行よりアクセサリーと時計強奪(被害・1000万ドル。逃走時に警官隊と銃撃戦。通行人の女性一人が死亡)
と、やりたい放題。
更に犯行には毎回違うメンバーを起用するなどしていたため、容疑がかかっても証拠不十分ですぐに釈放・香港を離れてほとぼり冷ましを繰り返していました。
香港返還後もまるで懲りる気配もなく、
98年4月20日・銅鑼灣皇室ビル内の迪生鐘表珠寶行から時計強奪(被害・300万ドル)
更には
2001年5月22日・旺角(モンコック)窩打老道(ウォータールーロード)近辺で職質をかけて来た私服警官3名を銃撃し逃亡。
ここの写真はこれだけにしておきますが、警官の一人は顔面を撃たれ、血塗れの状態ながらも(ウワァ・・・)無線機から手を離さなかったみたいです。
季炳雄一味は大胆不敵にもわずか一ヵ月後の
同年6月25日・旺角のショッピングセンター始創中心内にある喜運佳表行から時計を強奪(被害・250万ドル)
しています。まさに『賊王』。
香港警察もここまでやられて頭に来ないはずがありません。
有組織罪案及三合會調查科(O記。組織犯罪専門部署)の指揮官曾偉雄氏は、季炳雄に200万ドルもの懸賞金(香港警察では過去最大)をかけ、更にインターポールが季炳雄の名を、レッドノーティス(拘束と身柄引き渡しを念頭にした国際指名手配状)のリストに掲載。
季炳雄逮捕に向けた、必死の捜査が展開されます。
2003年、CIB(刑事情報科)が、季炳雄に繋がる有力人物に目をつけます。
相手は刑務所の服役囚で、季とは親友のような間柄だったとのこと。
ちょうどこの年の8月に刑期満了で出所。
それと同時にCIBは、狗仔隊などを動員して彼を4ヶ月近く監視します。
そして12月。ついに油麻地渡船角にある『文匯街文景樓』で、監視対象者が季炳雄と接触するのを確認。
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http://www.elderlycaring.com.hk/watermarked/Kowloon/%E6%9D%BE%E6%9F%8F%E8%80%81%E4%BA%BA%E9%99%A2/001.jpg
一味が一室をアジトにしていた文匯街文景樓。集合住宅の下の部分には飲食店が立ち並び、夜は客で賑わいます。
この情報は直ちに捜査本部へと伝えられます。そして、運命の日。12月24日・・・
[賊王・季炳雄逮捕作戦]
長年にわたり、香港警察を翻弄した季一味を今度こそひっ捕らえるべく、200名近い警察官、O記や、PTU、衝鋒隊、CIBからは『HIT TEAM』、そしてSDUが出動。
午前三時過ぎに文匯街に到着。それから二十分で突入作戦準備が進められます。
まず、一味の逃走に備え、SDUの支援隊とHIT TEAMが周囲の道路を封鎖。
同時に、狙撃隊が隣接棟と、目標棟周辺に配置されます。
そして全ての準備が整った午前3時半・・・。
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SDU攻撃隊が、一味の潜む12階29号室へ突入作戦を決行。
まず、鉄製の蛇腹戸(香港のアパートの部屋のドア前に設けられているアレ)を、ショットガンで破壊(スラッグ弾を使用)。続いて本扉(木製)をハンマーで破壊し、突入。中にいた季一味は、突然の突入に抵抗する事もできず、捕らえられます。
その後、O記の刑事らが部屋を捜索した結果、
AK47一挺、レミントンショットガン2挺、コルトガバメント1挺、
黒星(ノリンコ製54式トカレフ)7挺、手榴弾7発に、銃弾882発を発見。
もしこの時、これらが銃撃戦で使われていれば、あわや、アパート一帯が修羅場になっていたやかもしれませんが、SDUの迅速な行動により、どれ一つも使わせないまま、季一味の拘束に成功したのですから、大戦果とも言えるでしょう。
捕まった季一味。
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作戦成功後に引き上げる隊員達。
隊員さんのお一人はMP5ではなく、M4・・・のクローンコピー品である
ナイツ・SR16を装備していますね
(飛虎様のブログ記事を参照しました。マダマダ無知で御免なさい)。
そんなわけで、『賊王』との戦いに見事勝利を収めた香港警察。
考えてみれば、85年に一味が最初に起こした強盗の実行犯らも、SDUによって捕まっています。
この捕り物は、季炳雄との浅からぬ因縁に決着をつけたとも言えるかもしれませんね。
[その後のSDU]
大犯罪者逮捕に貢献したSDUは、その後も、今日に至るまでも活発な訓練と活動を見せています。
ちなみに、この事案では6億ドル相当の麻薬が回収されました。
更に2012年6月、南丫島(ラマ島)で発生した客船衝突・転覆事故では、救助のため出動。
そしてSDUが活躍した事案として、近年最も記憶に新しいのが・・・
[啟晴邨銃撃立てこもり事件]
2014年5月31日深夜11時。
たまたまその場にいた男性一人が、銃弾を受け死亡する惨事が発生します。
発砲した男は、10階の1006号室(住人は外出中で無事)へと逃げ込み、立てこもります。
この緊急事態に、約120名の警察官が出動します。
重案組やCIBをはじめとする刑事人員、PSU(一般の巡回警官隊)、PTU、衝鋒隊、そしてSDUが集められます。
巡回専門の警官達が、啟晴邨内の一部屋一部屋を見てまわると共に、狗仔隊が監視を行います。
結果、被疑者が1006号室に立てこもっていることを突き止めるのに成功。
日月が明けた6月1日(どーでもいいけどブログ主の誕生日ですw)4時50分、10階全域が封鎖されます。
朝の9時45分、1006号室の前にHIT TEAMが配置され、監視が続けられます。
以前も引用しましたが、本事案に出動したHIT TEAM隊員。やっぱり軽装すぎる・・・。
11時5分。被疑者が突然部屋から出てきてHIT TEAMへ発砲(隊員達に負傷者無し)。現場は再び騒然とします。
香港のニュースサイトの挿絵ですw
約5分後、被疑者が窓から外へと顔を見せます。
銃口を自らに突きつける被疑者。
李德仁という男で、香港の黒社会組織『14K』の一員だったとされています。
拳銃は二挺所持。黒星と、もう1挺は何と自作品だったそうです。
11時45分。
被疑者を確保し、事態の悪化を食い止めるべく、ついにSDUによる突入が決行されます。その作戦とは・・・
何と
SDU隊員二名が、現場の上階にある部屋からロープで降下するという派手極まりないもの。
その姿はテレビ局により、全世界(と言っても例によって日本では無視w)の人々の目に焼き付けられることになります。
制圧作戦をこんなおおっぴらにさらけ出していいのか?
いえいえ、実はこの降下した隊員二人は、
テレビを通して見ているであろう犯人の気を窓辺に惹くための、いわば囮。
突入作戦の本隊は、密かに1006号室の扉の前でチャンスをうかがっていたのです。
そして・・・
攻撃本隊は部屋の入り口をこじ開け、
お得意のフラッシュバン投げ込みとともに突入。
外にいた『囮』隊員(ショットガンを背中に背負っていますね)も窓から突入。
しかし、突入した隊員たちが目にしたのは・・・
既に、自らに銃弾を撃ちこみ、果てた李德仁の姿でした。
相手がSDUでは、直ちに制圧される、勝負は既に決まったと悟ったのでしょうか・・・。
撤収するSDU隊員達。今回は私服で参加したメンバーが殆どでした。
四枚目には砂漠風のマルチカム迷彩仕様の装備を身につけた隊員が写っていますが、これはつい最近になって採用されたパターンですね。
今年の1月10日、警察学校の催しで行われた訓練にて。
ボディアーマーも、その下に着るアサルトスーツもその他ポーチやバッグ、ホルスター類もマルチカム迷彩。
何だか中東派遣の米軍みたいですけど・・・これ、香港で使い道あるんでしょうか?
森林での活動なんかは、旧来の英軍DPM仕様↓の方が有利だと思うのですが・・・。
↑は『飛虎雄心』に出演していた陳國邦(チャン・クォックボン)氏の記事より。
この人結構何にでも出ていらっしゃる役者さんなんですが、それはまた次の機会に・・・。
話を現代に戻しまして・・・銃器ですが、M870ショットガンのタクティカルタイプに、こちらもM4のコピー『SIG SG516』の他、H&K.G36KVも使用していますね 。現時点ではこれが最新装備のようです。
[その他訓練・事案等]
訓練の話題が出たので、最近SDUが参加した主な訓練やちょっと変わった事案を紹介して最後とさせていただきます。
まずは、昨年11月10日に、香港地下鉄MTRの堅尼地城(ケネディタウン)駅で行われた対テロ訓練。バスから降りる隊員達。オリーブグレー(?)のアサルトスーツに黒タイプの装備品の組み合わせです。ヘルメットは暗視スコープ付。
銃器は、G36KVの他、MP5のRAS(レールハンドガードを装備したタイプ。ちなみに写真のものはフォアグリップ付)も使用していますね。
訓練では、夜中の二時に、CTRUが初期対応隊として到着、その約30分後にSDUが到着。
一時間後、地下鉄内に立てこもる想定テロ集団の制圧に成功、EODによる爆処理と、救急・消防隊による怪我人搬送・手当てを終えた後、午前4時に完全撤収したそうです。撤収する隊員達。それにしても、G36KVがかなり大振りに見えますね。
file/201401/20140111015120.jpghttp://bemil.chosun.com/nbrd/data/10044/upfile/201401/20140111015141.jpg
別の訓練にて。やはりMP5等と比べるとデカい感が否めません。
フランス内務省警察隊の『GIPN』等では、もっとコンパクトなG36Cが使用されているんですが、なぜSDUはこのタイプを選んだのでしょうか・・・?
まあ、G36系はストック折りたたみ状態でもコントロールが効きやすいそうですから、別にどうってことないのかもしれませんが・・・。
ちなみに、G36KVの導入は、ウィキペディアによれば2001年頃とのこと。
意外と最近でもなかった・・・。
2000年代初期ごろに行われていたと思われる訓練。
狙撃隊員はL96A1(?)と思われるボルトアクションライフルを使用しています。
ちなみに最近では・・・
L96A1と同じ英国アキュラシーインターナショナル社製の次世代ボルトアクションライフルAX338、更には・・・
対物ライフルのバレットM82まで(゚Д゚ノ)ノ
これに関しては、ハイジャック事件などへの対処策で導入された模様です。
航空機の風防ガラスは、当然ですが丈夫にできているため、狙撃してもうまく目標(ハイジャック犯)に命中しないこともある。
それを解決するべく、貫通力のあるバレットライフルが導入されたとのことです。
潜水チームの水鬼隊を、2000年に再編成した
MCTBT(Maritime Counter Terrorism Boat Team:海洋テロ対策小艇隊)。
今でも俗称で水鬼隊と呼ばれています。
この画像ではMP5のノーマルハンドガード(ライト無し)を使用していますね。
さすがにもう使っていないかもしれませんが・・・。
『水鬼隊』隊員を乗せる高速艇。ちなみに、この写真の事案ですが・・・
男が老いた両親を殺し海に投げ捨てたという恐ろしいもの((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
高速艇から水中へダイブする『水鬼隊員』。
派手な作戦だけでなく、このようにドザエモンじゃなくて海で亡くなった方のご遺体や、犯罪の証拠となる物件を引き上げたり、或いは水上警備などにも貢献します。
飛虎隊員らを運ぶ『政府飛行服務隊-GFS』のヘリコプター。
ユーロコプター社製のEC155とAS332が活躍します。画像のEC155は四機(B-HRU
B-HRV、B-HRW、B-HRY)が配備されています。
大型のAS332。三機が配属されていますが、このEC155と同じ塗装は一機のみ。
後の二機はオレンジと白のカラーリングです。
以前は、シコルスキーS70(UH60)ブラックホークが使用されていましたが、既に退役しています。
最後は、先ほども見せた、警察学校の年始催しにて。仮想武装犯に立ち向かうべく、ランクルに乗って駆けつけたSDU隊員。私服に黒装備、MP5の馴染み深い仕様です。
警察犬クンも大活躍。ちなみに相手側はこんな感じ。
ソコ、ワロタラアカンデwwww(←笑ってんのあんたでしょうがwww)
ワンチャソにとっ捕まるテロリスト役w
更に応援で、マルチカム装備の隊員らがウニモグ装甲車で駆けつけ、先ほどの写真のように、テロリスト、プレハブに逃げ込む→突入→制圧となるのでした・・・。
というわけで、三回に渡って続いた『ネットで画像を探してみよう・飛虎隊SDU篇』は、これにて終幕です。
まあ、他の企画でもまた取り上げる可能性は大いにございますが・・・ともかく、今回はこれで終わりです。司会は・・・え~と、マイク・ウォン氏と・・・。」
M「分かっているじゃないか、ウンウン」
「・・・私、金沢弥生でした!!!では、皆さん、またお会いしましょう・・・。」