『小ネタ』『小ネタ』と言うと
物語の主線に絡まない”小さなネタ”
と言う意味にとられがちだが
決してそうでは無い!

俺が考える”小ネタ”とは
”小さなところ”まで気を使った”ネタ”
だったり
”小道具”の”ネタ”
すなわち主線に絡む
”美術小道具のネタ”なのである



そもそも『ネタ』とは

寿司で言えば
『マグロ』や『ウニ』と言った
上にのっかるヨリ重要な方

お笑いで言ったら『ネタ』は
『ストーリー』で
そのもの全てなのである



そこにきてドラマの場合
台本には
シュチュエーションやセリフといった
主線の大ざっぱなネタは書いてあるものの

そのセリフの”言い回し”や
そのセリフを言われた”リアクション”
美術で言ったら
”そこに何があるか”と言う事は
ほんの少しの
芝居に絡む物しか書かれていない

しかしながら台本に書かれていなくても
しなければならないリアクションや
なければならない物
あった方が良い物といった
沢山の芝居や美術小道具が
必要になってくるのが
ドラマの現場なのだ

そこで
その台本から人物を読み取り
演出と俳優陣が話し合い
その物語に深みを出す為
繰り出すリアクションやアドリブが
『小さなところまで気を使っネタ』
だろうし

演出と美術で話し合い
その物語に深みを出して行く為に
準備する物
それが『小道具ネタ』なのである



『99.9』第1話
赤井英和さん演じる
赤木社長の運送会社には
悪く言えば”ふざけた”社訓などが
沢山飾ってある

しかしそれは
そんなふざけた社訓で
社員に笑いを振りまく
社員との垣根がとても低い社長を
美術小道具で演出しただけ

言わば”リアル”を追求した
美術小道具演出なのだ



かたかなこがCDをものすごいペースで
リリースしている事も
『家が金持ちなのか?』
『事務所の税金対策か?』
なんて考えてもらえれば
バックボーンが広がる

たとえドラマの主線にあまり絡まない
出番が少ない役でも
そのドラマの中の世界では生活があって
その少ない出番の中で
その生活を感じてもらえるように
”小道具ネタ”があるのである


”リアルを追求した美術”というと
まじめな戦争映画や
まじめな社会派ドラマで
よく使われる言い回しだが

俺からすればそれは逆に
ただ作風を統一させる為
『真面目』の逆の
『不真面目』や『矛盾』を排除した
非現実にしか過ぎない



先日たまたま買った
某有名ドリンクメーカーのジュースには
『こだわりの果汁!』と書いてあり
よ~く見るとその下に
『果汁1%』の文字があって笑ったし

以前石川県にロケで行った時には
デカデカと『はっけよい書店』たる本屋の
看板があり大爆笑した

凶悪な殺人犯がそのジュースを
飲む事だってあるし

葬式の帰りに
その看板の横を通る事だってある

それが現実



リアルを追求するなら
そんなツッコミどころ満載な美術小道具が
たまに出てくるぐらいが
リアルな現実社会なのだと思うのである

そして美術だけではなく
演出や俳優陣もそんな事を考えていると
一風変わった演出だったり
一風変わった演技に
なっていったりするのだと思う

『嘘はいけませんよ!』と
朝礼で話す校長先生がカツラだったり

『化粧するのなんて十年早いわよ!』
と怒る化粧バリバリの女教師が
怒られている生徒と
八つしか歳が離れてなかったり



現実社会はそんな小ネタで溢れている



もちろん後は”写す側”の
カメラマンや照明さんなどが
それを受け入れるかいなかで
作風は大きく変わっていくのだが…

『99.9』はそう言った作品の方向性が
スタッフ・キャスト一同定まっているに
過ぎない作品だと思うのである

そもそもドラマの空間とは嘘の世界で
現実社会の弁護士に松潤はいないし
松潤自体も弁護士ではない
そんな嘘の世界・フィクションで
現実社会のパラレルワールド的な
空間でしかないのだから

現実社会にある物がモジってあったり
奇跡的な偶然だってあるはず

それならそれでオモシロい方がいいでしょ?

『事実は小説より奇なり』ならば
その『事実』より
奇なる『ドラマ』だって
あっていいはずだし

そんなドラマ作って行かなくちゃ

オモシロく無~いじゃ~ん!



※いちフリーランスの美術の意見です