中国地方の鉄道ファンの方には有名なお話かと思いますが、備忘としてつづりました。

 

寝台特急「安芸(あき)」号のお話です。

1975年3月10日〜1978年10月1日(ともに出発日基準)までの運転、3年半の短命寝台列車、でした。

※寝台特急「いなば」号は??というツッコミは予測しております。別で取り上げますね。

 

ちなみにほんとに細かいですが、1978年10月2日ダイヤ改正だったので、前日の運転調整が行われ、下り(新大阪発)は10月1日運休となり、9月30日発が最終便でした。

 

  山陽路のローカル急行時代

 

実は「安芸号」という愛称には長い歴史を有するのですが、ここではその安芸号の詳細な歴史の説明は割愛させていただき、格上げ直前の急行「安芸」号から紹介となります。

 

その急行安芸号のダイヤは下記の通り。

1974年8月号の時刻表から。岡山〜呉・広島を呉線経由で運転されていた電車急行でした。

運転本数ですが、岡山〜広島間2往復、岡山〜呉間1往復で1日3往復。なお、この1974年夏には、下記紙面から見切れていますが、下関発広島行という急行安芸62号という臨時列車も設定がありました。

 

一例として、下り安芸2号のダイヤです。

413M 岡山発14:21 → 広島着17:30 ※呉線経由

途中停車駅 倉敷、玉島、金光、笠岡、福山、尾道、糸崎、三原、忠海(ただのうみ)、竹原、安芸津、安浦、仁方、広、呉、海田市

 

 

 

  寝台特急に「格上げされました」

 

1975(昭和50)年3月の新幹線博多開業のダイヤ改正で、寝台急行「音戸(おんど)」号が、寝台特急に格上げされた際に、昼行急行で活躍していた「安芸」号の列車名が採用された、というのが、格上げ時に起きたお話。

ちなみに、昼行急行「安芸」号の後は、呉線内に入線する急行列車の設定はなくなりました。要は「安芸」の名称を絶やさずに、名称の歴史を繋いだということですね。

 

ここで、寝台特急「安芸」号のダイヤ。

1001レ 新大阪線22:58 → 下関着8:38

1002レ 下関発20:05 → 新大阪着5:36

途中停車駅 大阪、三ノ宮、姫路、竹原(上りのみ)、広、呉、広島、宮島口、岩国、柳井、徳山、防府、小郡、宇部

 

例として、上り紙面を提示します。ですが、下関は20:05に出発、呉線経由で新大阪に5:36に到着。呉線を経由するダイヤながら、肝心の呉線からの乗車にはちょっと使いづらい時間帯での設定になっていますね。

 

 

  短いキャリアならが、車両の更新も行われました

 

運転開始当時の編成は下記の通り。20系客車が使用されました。

1号車に「A寝台」が連結され、それ以外は客車3段式寝台、荷物車含め10両編成。

 

1977(昭和52)年9月1日に、24系25型に車両更新されました。ここで、B寝台は3段式から2段式に。しかしながら、A寝台車は外されてますね。。。

 

各方面のサイトで指摘されているのは、関西〜下関間の夜行寝台列車について、寝台急行「音戸(おんど)」号時代から利用客は少なかったようです。

 

当時の国鉄の意図は、特急化による「テコ入れ」だったのでしょう。並走する山陽新幹線と比較した上での存在意義を考察すると、各方面の新幹線最終列車の後に出発し、始発列車が到着するまでに目的地に到達するダイヤだったので、時間に縛られず行動したいという利用客には喜ばれたのでしょうが、そのニーズはとても低かったということだったんですね。

 

参考資料 国鉄監修 交通公社の時刻表 1974年 8月号、1975年3月号、6月号、1978年2月号、10月号、昭和の鉄道<50年代> JTBの交通ムック

参考サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/山陽本線優等列車沿革