月のサインのまとめ(占星術を知らない方でもお読みいただけます) | マドモアゼル・愛 オフィシャルブログ「水瓶座時代」Powered by Ameba

月のサインのまとめ(占星術を知らない方でもお読みいただけます)

 また占星術の月のお話しとなります。占星術をよく知らない方には抵抗があるかもしれませんが、占星術がわからなくても、月のように働く心理は誰にでも共通してありますので、月を意識しないでも心の働きとしてお読みいただくことができると思います。それによって、一人でも多くの方の心の闇と迷妄がストップし、自由な気持ちになることを願っています。

 

月サインの基本的定義

月のサイン、すなわち月があるところの星座は、その人にないもの、わからないもの、欠損しているものを示します。

 

しかし、月は7歳までに認識したものを反復的に表現することはできます。要するに、内容はわかってはいないものの、自身に欠落しているもののマネをすることはできます。マネをしてしまうことで、マネをしたものの本質に迫れなくなるため、月は永遠の欠損として働いてしまいます。

 

以上が、月のサインについてのまとめです。月のサイン、星座ですがそこに示された才能や素質や能力は、月の未熟性により発展することも深まることも、まして完成することも永遠にありません。

 

月サインによる日常の支配

月は永遠の不足感や不安感を私たちにかきたてます。そのため、月サインの事柄とそれに付帯するあらゆることに、私たちは注視し、常に気にし続けます。太陽などの意識が月サインへの介入を無にするまで、月は日常のすべての時にわたり、私たちを監視し続けます。意識の働きがない時には常に月が主役となりますので、無意識的に生きやすい子供時代、老年時代、そして失意や落胆時、自己嫌悪に陥っている際に、月は支配力をとくに強めるのです。

 

月の働きの成り立ち

なぜ月がこのように私たちの日常へ感覚的支配を行うようになったのかの理由は、月が観賞者を必要とすることで得た7歳までの記憶を元にしているためです。月の影響の成り立ちは、7歳までの私たちが母や周囲の人たちとの間に作られた、人気や評判と関係します。

 

何かを真似することで母や周囲に受けることを子供は体験しています。母や周囲がそれを見て喜びます。子供には物事の本質はまだわかりませんので、母や周囲に受ける表現はマネごとの演技となります。

 

母や周囲に受け入れられたという潜在的記憶、そしてマネを期待されているという思いが、月の影響の成立と深く関係します。何かを真似ると母や周囲は喜び、それを期待されていると子供は思うようになります。

 

スポーツ選手のマネはおひつじ座の月でしょうか。お料理のマネはおうし座の月だったでしょうか。スターのマネでうけたのはしし座の月でしょうか。お掃除を誉められたのはおとめ座の月だったでしょうか。等々。

 

こうして私たちは人生の早い時期に演技者としての人気を博す体験をしてしまうのです。それが自己認識のスタートとなっていくのです。母に喜んでもらえた演技、、、周囲に喜んでもらえた演技、、、、それらは十分な価値になり得ることでしょう。

 

しかしその演技は発展することはないのです。受けて人気を得ることが目的のため、発展し、本物になってしまうと受けなくなりますので、最初に受けたことは欠損したまま生涯にわたって欠損状態として続きます。

 

スポーツ選手のマネがうまかったおひつじ座の月は、本当のスポーツ選手にはなれません。料理がうまかったといわれたおうし座の月の味覚は、その時と同じまま成長していません。お掃除のマネで褒められたおとめ座の月は、掃除の真似事を続けるため部屋は汚れていきます。

 

フリをする人生とその生涯

どんなにマネごとが受けてもうまくても、それは本質に根差すものではなく、そこには発展はないのです。むしろマネという嘘から始まったそれらのことには発見という意識が介在できなくなるため、月で行ったことは固定的な事柄に留まります。月サインの表現は固定的となり、それを打ち壊して意識化していくことは、幼少の成功体験を自ら破壊しねくてはならないこととなり、容易にはできませんし、その必要を感じることもないでしょう。

 

そのため、幼少の成功体験は何事もなく受け入れられ、その後の人生も、フリをする人生、演技者としての人生の道に入りやすくなります。人は無いものにこだわり続けますので、無いにも関わらず受けたものを自ら捨てることはできないでしょう。

 

しかしフリをする人生、演技者としての人生からは深い喜びも本質的な事柄に近づくこともできなくなります。月に囚われることは、成長の拒否であり続けます。

 

演技者であるということは、常に観賞者を必要とします。月の人気は、鑑賞者あってのものだからです。それが月が関係するすべての人間関係の縮図となります。月の人間関係の基準は人気であり、人気があれば安堵し、人気がなければたちどころに人は不安となり自己嫌悪に陥るのです。

 

私たちが人間関係に悩み、神経症にまで至ることがあるのは、月に頼った人間関係の結果であり、単に、人気がないことで不安になったり悩んだりしていることとを意味します。なので神経症はその苦しみは別として、安易な悩みとも言えるのです。

 

人気を気にするというのは、実体のない偽りの演技であることから、どんなに成功し続けても喜びとはなりません。しかし、今の時代や社会は、政治を含むあらゆる商業活動、消費活動も、人気を中心に展開していく人気本位制のようなものです。月文明と言ってもいいでしょう。なので、どんなに盛大でもどんなに明るく見えても、そこから本当の喜びを得ることはできない構造をしています。

 

月の感情について

月は感情を表すと言われています。しかし、月の表す感情は自己憐憫であり、深い感情とは別のものです。月に深い感情はありません。月の感情は今、生きている人を過去に引き戻し、ロマンの名の元にエネルギーのない過去に引っ張り込む構造をしています。そのため、自己憐憫や過去の思いをロマンとして捉えることで、私たちをいつまでも過去に縛り、一見美しく見える幻想の世界に私たちを繋げ、それによってエネルギーを奪うのです。

 

三丁目の夕日という映画がありましたが、あれは私が生まれ育った三田をかなり正確に表現していて、非常になつかしさを覚えました。もし、三丁目の夕日を見たその時の私に、現在という手ごたえが薄かったとしたら、容易に過去の思いの中に私を沈殿させたことでしょう。意識の光が弱くなったとき、加齢その他で生命力が弱まった時、月は容易に私たちを捉え、残されているエネルギーをもさらに奪おうとするのです。

 

そこにはかくされた月の目的があります。月が死の星と言われるゆえんです。月からもっと人類が自由になれれば、人間の寿命は驚くほど伸びるはずです。

 

何度も言いますが、月には深い感情はありません。愛する人が亡くなり、失望と悲嘆にくれて苦しむとき、その時の感情は月などではありません。深い感情は冥王星の方がずっと上でしょう。深く悲嘆に暮れている人を見て、他人が「かわいそうに」という感情が月であって、月自体には深いものはないのです。

 

かわいそうに、、、というような鑑賞者としての立場からの感情が月であって、月自体に深い本物の感情はありません。

 

嘘で生きようとする人の太陽のようなものが月なのです。私たちを何度も輪廻に戻し、価値あるものを無価値にさせ、自然にあるエネルギーを消耗させ、何ひとつ本当のものを与えようとしない月。私たちは月を誤解していたのです。

 

月は悪いのか

ではどうすればいいのか、、、という質問をいただきます。どうすればいいか、、、という視点もよくわかりますが、大切なことは、どこに落とし穴があるかを知ることです。どこに落とし穴があるかを知っていれば、そこに落ちることはなくなります。落とし穴を埋めることはできませんが、落とし穴がある場所がわかれば、どこに行くにも色々な道を通っていくように、自然に落とし穴を避けて歩くことができるようになります。

 

また月が反射であるところから、私たちのすべての想念を反射しているため、今は悪い月になっている、、、との考えもおそらくあると思いますが、それは月に限ったことではなく、惑星すべてに言えることです。

 

月に捕まることで、私たちは輪廻に戻されると思うのです。月が徹底的に嘘であり、幻影であり、不誠実であり、見せかけであり、エネルギー泥棒であり続けることで、私たちはそのことにいずれ気づき、本当の自分の人生を生きることができるようになります。

 

 月のお働きは、私たちが輪廻を抜けたところの時点からしかわからないもので、その時、おそらく私たちは理解することとなるのでしょう。

 

今回は月サインについてまとめさせていただきました。機会を作りまして、次に月とハウス、♋のハウスカスプについても、近々に語らせて頂きたいと思っています。

 

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