現在37歳。



クミコカーロという名で
ジャズを弾き語りしています。



細々ではありますが
とても幸せを感じながら
お仕事をさせて頂いています



しかし、その中で、いつも
苦しい瞬間があります      



本当はとても伝えたいことがある
でも、結局長年踏み出せずにいる、、




自分が復帰した意味。
本当にやるべきこと。使命。。



コンプレックスだらけの
長年逃げ続けてきた、自分の人生と
そろそろキチンと向きあいたい



綺麗に伝えるとか、無難に伝えるとか、
上手く伝える、、とかじゃなく



ただただ自分の今の正直な思いを、
そのままの真実のみを、綴らせて
頂きます



あまりにも長く、私事ですが、、
もしお時間宜しければ最後まで
お読みいただけましたら幸いです









わたしは、今から約7年前、
30歳の時に、がんである事を
告げられました



子宮がんでした



その時、わたしは人生で最も
幸せな時を過ごしていました  



『妊娠』です



不妊治療に通い、主人と待ちに待った
望んで望んで授かった我が子でした



妊娠できた時は、今まで生きてた中
間違いなく一番嬉しかった。



主人は、普段あまり感情を
表に表さない人ですが



その時はあきらかに解りました。
付き合って10年、出逢ってから見た
彼一番の最高の笑顔でした。



わたしは、いつも思うことがあります。

音楽家として
ダメダメだなぁって。。

その時、一瞬で思いました。



音楽活動、今すぐやめよう
仕事ゼロなっても
もう音楽の仕事出来なくなっていい

迷いは一つもありませんでした。



それから数ヵ月後の
現実とは思いたくないけれど
現実の出来事、、



やっと安定期に入った時でした



『ご家族の方は…』

言いにくそうに先生が仰り


『大丈夫です。ハッキリ仰ってください』



告知をうけ



この子は死んでも守らなきゃ、



それ以外の頭の回路はまったく
働きませんでした



ドラマであるような
頭が真っ白、
などはなく



『この子は何があっても産みます』
といったあと、
お医者さまと
淡々と話を進めていた
ことをハッキリ覚えています。



しかし、
精密検査の結果はあまりにも
悲惨で酷いものでした。。



現状は甘いものではなく
母体保護法…
ガイドライン…
自分の命か
我が子の命か



両方となると
かなりの命のリスク、、



こんな事が本当に現実にあるんだろうか




ドラマみたいだな、、
どこか客観的な自分もいる中、、



様々なことが
駆け巡りました




しかも
毎年子宮ガン検診は
必ず欠かさずに受けていた…



妊娠初期にも受けている…




引っ掛かったことも
何ともなかったのに




どうして今?…





向井亜紀さんの
『16週』
という本があります




奇しくもわたしは
彼女とガンの種類も進行度も
全く同じ状況でした




見つかりにいけれども
拡がりやすいという
悪性の中でも
特に良くないタイプの
がんだったようで、、


 
自分にそんな事が
起きるとは。。



悲しいとか
辛いとか
もう解らなく



ただただ不思議で



自分のいのちか
我が子か、、
選らばなくてはならない事実は
はたして現実なんだろうか、、





そこからが
本当の地獄だった気がします




綺麗事は1つもなく




何度も
何度も
何度も



家族とお医者様方々で
話し合いをし


先生方々チーム皆さんで
何とか両方救う道はないか
とても親身になってくださいました



大学病院、明日どうなるか解らない
患者さまが大勢いらっしゃるなか、
異例の話し合いの頻度だったかと、、



精神状態も
状況も
何もかも
全てが普通では
なかったかもしれません。



本当に家族や、お医者様方々
当時、主人の職場の上司や先輩、
同僚方々にもお世話になり、、
数々のみなさまに感謝しかありません。




しかし
その後は
地獄のような現実でした、、



もう、わたしは、
一生前を向けることは
ないだろう、、心底思いました。







10時間に及ぶ手術のすえ




子宮、
リンパ節92個





そして
愛する我が子を失いました。









針みたいな
おちんちんが
ついていたと。



息子でした。
『強(つよし)』
と名付けました



アダ名は
『ポンちゃん』




主人、姉、母、父
わたし以外の
家族で
ポンちゃんを
送り出してくれました




今でも
主人に
いつも聞きます



『頭どのくらい?』
『かみはえてた??』
『手足はどのくらいだったの?』



毎回
毎回



夫はキチンと説明してくれます



『このくらいでね~
かわいーかったよー!』



家族で
話し合い
写真ではなく、



絵を
ということで
主人がポンちゃんの絵を
描いてくれました



わたしの精神状態を
考慮しての
選択だったと思いますが、



絵も、最初はちゃんと
見れなかった…



辛くて怖くて辛くて苦しくて




でも




今は一番大切な宝物




描いてくれた彼に心から感謝しています




当時28歳の彼。息子の亡骸を
どんな思いで描いてくれたんだろう…




彼はいつも言ってくれます
『俺、いっぱい抱っこしたからいい』




夫は世界一凄い人です
どんな偉人よりも凄い人


間違いなく
世界一
男らしくて
素晴らしい男性




わたしには勿体ない人
とてもとても精神的に
卓越し成熟した人



彼はわたしからも、現実からも、
病気からも、息子の死からも
一切逃げなかった、、




そんな素晴らしい男性の
遺伝子を本当に残したかった



ポンちゃんはわたしを
恨んでるだろうなぁ…



そして、、
わたしじゃなかったら
彼は子供と過ごせたんだ、、



考えれば考えるほど
大好きな旦那様との
時間でさえ辛くなったり




そんな悪循環の中、
自分の事しか考えられない
現実にも向き合えない
惨めで未熟な自分が
大大大嫌いでした




大きな愛に包まれて
やっと今は落ち着きを
取り戻していますが



わたしは本当に
どうしようもない
未熟者です、




術後は、、
ビックリする
痛みに忙しい日々、、

悼む間もない

苦しみでした



非常に強い薬漬けの毎日、、
『○麻』
とかかれた薬。
ああ、、

今、自分は
麻薬なしにはいられない
身体なんだと思い知らされ



さらに、
息子と子宮を失っただけでは
済まされず、、


手術の後遺症は
惨憺たるものでした



一番は
『排尿障害』



30歳という年齢と、
ガンの性質、進行度を考慮し
リンパを広範囲にわたっての
切除によるものです


聞いただけでもぞっとする
『排尿障害』
尿意はあるのに、
どうしても出ない
味わったことのない
恐ろしい程の気持ち悪さ



今、思いだし、
想像しただけでも
うぅー、、です。



毎回毎回、麻酔薬を使い
カテーテルを、自ら尿道に
通して排尿を促す



それが
とにかく痛い、、




30歳のわたしは
ドン底の底の底でした。。




自分が惨めな時ほど
周りが気になるもの



音楽で、人生経験で
さまざまな経験は
積んできたつもりでしたが…

そんなの甘すぎました




人生はじめての
本物の挫折だったのだと
思います



でも、今ならハッキリと解ります
こどくと思っていたのは自分だけで




家族、親友、音楽仲間
応援してくださる皆様
みなさんに支えていただいていた、、

未熟さを
自分の
どうしようもなさを
目の当たりにした
7年間でした




『感謝』




と、わたしはよく使います。




サインにも必ず書くと決めています。
軽々しく言ってはいけない言葉と
重々承知しています



でも
わたしの人生は
感謝から切り離せません



だから
毎回つかいます
自戒の念も込めて。




1年4か月、、
3時間おき
1日もかかさず
導尿(自ら管を入れての排尿)は
続きましたが
幸い今は自排尿が出来るように
なりました



自分でオシッコができたときには
嬉しすぎて、、思わず大泣きして
しまいました。。



今でも出しきるのには
少々時間がかかり
急いでるときは
焦れったくなりますが
毎回毎回
カテーテルを通してた事を
思えば、本当に今は天国です。




今までそれらの闘病記録は
大学ノート40冊にのぼり
長くなりましたがほんの1部。。



書ききれません




がんは、いまや珍しい病気では
ありません



二人に一人は生涯で癌になると
言われています。



しかし、
特に若い方の癌になる確率は、
国立がん研究センターのデータ
でいくと30歳男性~40歳まで
0.5%、、50歳まででも2%、、




ほんの僅なのも現実、、



そのため若いかたのがんには
何重もの苦しみがある



わたしは幸運にも
手術をすることができた
人間ですが


若いかたのがんは
もう手術も出来ない
手の施しようがない段階で
見つかることも珍しくありません



さらに、
闘病のくるしみにくわえ、
再発の恐怖に怯えながら
周りとの違いで苦しむ孤独
そして誰にも言えない苦しみ。。



もちろん、がんをすぐに公表し
前向きに闘っている素晴らしい
若い方々も沢山いらっしゃいます



治療も日々進歩しています




しかし、、
厳しい現実があるのも事実。。
今まで、全てにおいて、
気付いたら行動していた
という自分が


こんなに踏み出せない事があると

病気をして初めて知りました。


どんなに努力しても
どんなに足掻いても
どんなに苦しんでも

どうしようもできない事がある

病気をして初めて知りました


こんなにも自分を信じられなくなるもの
こんなにも自分を責めてしまうものと

病気をして初めて知りました。
そして、

こんーーーなにも人に言えないもの
なのだと、、

病気をして初めて知りました。




命、というものを目前に突きつけられ
学んだことは沢山あります



命、というものの前には
どんなものも全てが無力だと
いうことを身をもって体験しました




でも、
子宮がんは
お願いだから
誰にもなってほしくないんです




こんな思い
他の誰にもしてほしくない


強く
強く
思います



自分も、自分の
まわりの大切な人をも
沢山沢山泣かせてしまう病気、、
あまりにも辛くて
あまりにもしんどくて
あまりにも惨い


女性としての
アイデンティティ
全て奪ってしまう


年間、2000人~3000人もの
尊い方々が命を落とす


恐ろしくて切ない病気です



特に若い女性には何があっても
なってほしくない。。。



この病気は
早期発見が
可能なものの一つです



わたしは、残念ながら
検診では見付けにくいけれど
遠隔転移もしやすく、
拡がりやすい、という
少数派の方にかかってしまいましたが



大半は、0期での早期発見が可能であり
それであれば出産も可能です



女性のみなさん、
どうかどうか
検診に行ってください
ああいう風にはなりたくない


こう思われてもいいです


もう、発表するからには
どう思われてもいいです


だってわたしの命は
そのためです
それが、使命です



わたしは、
音楽家ですが

絶望の最中は音楽を
奏でるのはもちろん、
聴くのさえも
受け付けなかった

なので、
『音楽がないと生きていけない』
正直、この言葉はわたしには言えません



でも、、

本気で立ち上がりたいと思った時、

孤独と向き合わざるを得ない時、

音楽はわたしの
支えとなってくれました



女性として
全てを失ったと思ってしまった時、
周りの大好きな人々が
優しくしてくれてるのに
それさえもしんどい時には、



ただただ音楽だけが希望に
なってくれました


ただただ歌を歌っている時だけが
全てを忘れられました


本当に時間がかかりましたが
今は笑顔で皆さんに歌を届ける
存在でいさせて頂けることに
心からの喜びを感じています


『あなたの歌に救われました』
涙されるご婦人に、、

こんなわたしでも生きてていいんだって
本気で思わせていただきました。

そんな言葉をいただく度、
こんなわたしでも
死ななくてよかった

こんなに皆さんのお言葉が
励みになるなんて
様々な経験をするまで
知りませんでした



わたしは、
人のためというより
自分が生きるために
歌わせて頂いていたのかもしれません


相変わらずダメダメです。。



病気になる前までは、
『こんな音楽を届けたい!』


明確なものがあったのですが



今は正直、
一切何も自分の希望はありません



素晴らしい才能、環境、ルックス、
全て揃っているミュージシャンの方々
全国にはごまんといます



我こそは!
そんな思いや
世に出るに相応しい
実力も伴う素晴らしい
ミュージシャンがひしめいている



誤解を恐れずに言えば
素晴らしい音楽は
世にでるべき相応しい才能ある方々は
もう沢山沢山揃っています



わたしがやるべき事は、
そこではないと
いつも思っていました



強がりでも何でもなく


物理的にも
体力的にも


ガツガツは
生きるのは
もう無理で


それが
現実です



わたしは、ただ、
普段の生活をしながら
何かを感じてくださったり
明日も頑張ろ~って
そう少しでも思っていただけたら
こんな嬉しいことはありません



指導もしておりますが、
『先生について本当に良かったです』

わたしは、子育ては出来なかったけれど
生徒さんを育てる、という仕事させていた
だいている

何て幸せなんだろう。。
心から思います。


仲間たちと美味しいもの食べながら
お酒のんでワイワイ
わらいあったり 

素晴らしい共演者の方々とご一緒させて
いただいたり仕事での達成感をいただける。。


ありがたいなぁ…
ってただただ本気で思うんです



こう感じられるのも、
私が今、生きる事ができているから


今生きることができ、
仕事をさせていただけているから


息子の存在があったからです



家族に

必死に一緒に悩んでくれた
親友たちに

いつも応援してくださるみなさんに
心から感謝しています。



これから、
自分がどうなるのかは解りません



もちろん、同情されたいわけでも
お涙ちょうだいしたいわけでも
全くありません



ただ、
もう自分に嘘はつきたくない


宿命に逆らうことはできない
この6年半、苦しむだけ苦しみぬきました。


そろそろ自分を許してあげても
いいと思えました。


そして、もう、伝える、
という信念を絶対にまげたくない。


どんなに素晴らしい周りに
恵まれていても
最後は、自分で立ち上がるしか
ありません


それが
自分にとって
今日なんだと思っています


これからも
悼みと
共に生きる人生には
かわりありません


『自分を好きにる』
ということは
わたしには
ハードルが高すぎるけど


本当に今の今、、
ほんの少ーーしだけ
自分の人生を受け入れられた
気がしています。


彼(息子)と会える日まで
こうなった運命の意味を
探し続けながら、
いただいた命を精一杯
生きたいと思います。


気負いすぎず
でも、うつ向かず。


今のわたしじゃなきゃ
伝えられないものが
ある、と信じて。


今、自分が出来ることを


自分じゃなくちゃ
ダメなんだって活動を

一歩
一歩
少しずつ


弾き語りと
実体験を話す
スタイルで


地味でいい
もう華やかでなくては
ならない理由はありません

わたしぐらいの人間が
何になりたいわけでも
何になれるわけでもない

いい人にも
悪い人にも
どう見られるかなども
もう一切関係なく


クミコカーロという
このままの人生ごと

自然なかたちで
できる範囲の中
新たな活動に邁進していけたら
最高に幸せです




今日からが本当の意味での
本番だと思っています。



今後、わたしのような
思いをする女性が
ゼロになる日を
心から願って。。



拙い長文、最後まで
お読みくださり感謝します。




多謝。 




P&Vo   

KUMIKO KAHLO クミコカーロ

ジャズシンガー/ピアニスト/教育者
http://kumikokahlo.com/