性別にモヤモヤしてるけど、いい感じにカスタマイズして生きていきたい。

ただの「映画好き」が #ぼくゼロ 映画上映会を主催したら、映画の尊さを知れてめっちゃよかった話。

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それまでは、

ひとりの「映画好き」だった。

 

 

映画好きの休日は忙しい。

毎週水曜日にいそいそと映画館に足を運び、「見たかった映画が今週で上映終了!?」と映画のスケジュールに翻弄される。時には有給をとることもある。上司に「映画見たいので有給とります!」というと「何言ってんの」と宇宙猫みたいな顔されたけど、そんなことは気にしない。

朝昼晩と見る時は、映画館のロビーでコンビニのパンをかじる。急ぐ時はビスコ。

おいしいご飯より、映画代と時間を優先するとこうなってしまうのは、映画好きあるあるなのだと思う。

 

映画館は映画館でも、

私はミニシアターが好きだ。

 

大きなシネコンも素敵だが、ミニシアター独特の濃い空気が好きだ。映画好きが密集している、あの熱気に溢れた空間が好きなのかもしれない。その熱気を吸い込んでは、私の脳細胞が息を吹き返しているような感覚はある。あの空気があるから、私は毎日が楽しい。

そして、ミニシアターで上映される映画は、とても儚い。ほんとうに儚い。

最寄りの映画館で公開が終われば、次はどこで観れるか分からない。

県をまたいでの移動でも、見れればまだ良い、それも逃せば本当に一生見れないかもしれない。

DVD化もあまりない。特に、私が主に好むドキュメンタリー映画はその傾向が強い。

 

映画は、儚い。

 

 

こんなことを考えるのは、私だけかもしれないが、

映画を「作る人」と、「見る人」との間には、ハッキリした境界線があるように思える。

(映画業界で働く人は行き来していると思うけど)

 

映画になぞらえて言うなら、スクリーンだろうか。

 

スクリーンの向こう側では、「作る人」として監督さん、出演者さん、編集さん、宣伝する人、買い付ける人·····たくさんの人の手によって映画館にたどり着き、「見る人」である私はお金を払ってスクリーンに映るものを見る。

私は、スクリーンの向こう側には行かない。

というか、行けないし、行ける機会もない。ただ、映画を「見る」だけ。

·····そう思っていたんだけど。。。

 

2020-02-16、私は京都で「ぼくが性別ゼロに戻るとき~空と木の実の9年間~」(旧題・「空と、木の実と。」)の映画上映会を行った。

 

男でも女でもない」というテーマに惹かれたのがキッカケだった。どうしてもいち早く関西で上映したい、というか、私が見たい。映画好きとして上映会の開催は、悲願であり本望·····。わんオフ!も設立半年を迎え、目に見える実績がほしいという打算も正直あった。

そう思った私は、「とりあえず」問い合わせをしたのだった。

 

映画上映会は、それまでに行っていた小規模なオフ会とは桁違いの規模だった。

カネもかかるし、準備も煩雑。なにせやったことがない。なのに、「なんかイケる気がする」と開催を即決してしまったのは、「目に見えない何か」に導かれているように自然な感覚だった。

正直言うと「自分が上映会やった映画を、また映画館で見れるとしたら映画好きとして最高すぎ…」という野望めいたものもあった。

私はこれを後に「夢」としてTwitterで呟くこととなる。

 

上映会をやると決めてからは、本当に怒濤の日々だった。

やっと会場が確保できたと 震えて喜び、会場のシステムトラブルで焦りまくり、宣伝ツイートを思わぬ人がTwitterでRTしてくれた感動と感謝に震え、協力者の登場にマジ泣きし、動作確認のために何度も会場を訪れた。映画上映会を取り巻く熱気の渦は、私の想像の範囲をはるかに超えていた。開催日が近づくにつれ、TwitterのRTが増え、申込人数も跳ね上がった。そのスケールの大きさ、かなり予想外だった。

私はほぼ全ての準備をひとりで行っていた。

その緊張や疲労はかなりのもので、上映会が終わったあとの自分が全く想像できなかった。

なんなら2020/02/16で、私の世界が終わるんじゃないかとまで思った。

 

迎えた当日。

スタッフ1人に対して参加人数27名というキャパではあったが、不思議とスムーズに進行ができた。

あの空間は、ぐらぐらと熱を帯びていて、天井を見上げると何かが渦巻いているのが見えた(気がする)。

あぁこれが熱気なんだろう」と思った。

初対面の参加者同士が向かい合わせになり、思い思い語る姿は、私が作りたくて仕方なかった「場」そのものであった。

私は、あれ以上の「場」を、作れる自信がない。

 

 

もし「映画の神様」なるものが

この世に存在するなら、

あの空間には、きっと、いた。

 

 

そして、私を映画上映会開催に導いたのも、「映画の神様」なんだろうと思った。

「映画の神様」は、私の背中を押し、映画上映会を成功にまで導いてくれた。

その正体を、私は未だ知らない。

 

 

「映画の神様」に手を引かれ、背中を押され、「ひとりの映画好き」から、「映画上映会をやったことのある映画好き」になっていた。

映画を見るだけでなく、映画上映に関わったことのある映画好きに。

そして、いつのまにか冒頭で触れた「スクリーンの向こう側」に来てしまっていたのだ。「行かない」「行けない」「行ける機会もない」と思っていた、憧れの世界へ。少しだけ、来ることが出来た。

これは、とても大きなことだった。

そこから見える世界は、とても鮮やかで刺激的で、芳醇で豊かだった。

 

映画ひとつにしても、「映画館での上映」までの苦労は自主上映会の比ではないだろう。

映画館にたどり着いてくれる映画の尊さを知った。

 

そうこうしているうちに、「空と、木の実と。」が「僕が性別ゼロに戻るとき」に名前を変え、アップリンク渋谷での上映が決まった。

Twitterで「公開初日は満席」と聞いて私は震えた。職場でランチを食べながら震えた。

自分のことのように嬉しかった。

 

そして、私の住む京都でも上映が決まったらしい。びっくりした。

「自分が上映会やった映画を映画館で見る」って夢、最短ルートで叶う気がして震えた。

まだ上映スケジュールは確定してないようだけど、秋あたりらしい。もう秋が来ている。

 

映画上映会から半年あまりが経った。

ぼやぼやと頭の中で考えていたことが、半年経ってやっと文字にすることができた。

 

「映画を応援する」ことの楽しさ、映画がミニシアター各地に辿り着く尊さを知った。

(「ぼくゼロ」ではないが)とある映画祭で上映された映画が、この秋にミニシアターでの上映が決まったらしい。まずは1館から。その尊さ、いまの私なら分かる。めでたい、ほんとうにめでたい。

その尊さに気づけたのは、自分で映画上映会をやったことがあり、今でも映画を応援できているからだと思う。

 

私は未だかつて、

映画にここまで感謝をしたことがない。

 

映画は儚い、

そして、とても尊い。

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