おはようございます。終活の窓口ばらっち のブログです。今朝も訪問いただきありがとうございます🙇
今日は昨年の3月に書いたブログを再送致します。朝から、寺山修司の話題がフェイスブックに載って来まして、思い出しました。今日もどうぞよろしくお願い致します。
こんにちは。終活の窓口 ばらっち のブログの小原貴恵子です。今日も訪問いただきありがとうございます。今日は、お休みだったので、「鶏肉のトマト煮」をいま作っているところです。朝からたくさん洗濯をしたけれど、今日は雨模様なので、部屋干しですね。
今日は絵本も出していて、なんとなく親しみが湧く「堂園晴彦医師」のことを取り上げてお話ししたいです。今日もよろしくお願いいたします。
堂園さんは、1991年まだホスピスという言葉をほとんどの人が知らない鹿児島県で、在宅ホスピスを始められました。次第に在宅での見取りが多くなっていきました。患者さんやご家族から入院施設を作ってほしいと強い希望があり、1996年「堂園メディカルハウス(DMH)を作りました。
1991年から1996年までは在宅ホスピスで、1996年から2015年まで有床診療所でホスピスケアを行い。これまでに約2,000人の方をほとんど一人で看取ってきました。「生あるものは皆死ぬ」これは自然の摂理です。
堂園医師は学生時代、寺山修司率いる”天井桟敷”に所属していました。当時天井桟敷の芝居は、アンダーグラウンドとか、サブカルチャーと呼ばれていました。堂園氏は寺山から、「敗者への優しさや、日の当たらない裏町で生きている人への温かい眼差し」を学んだといいます。
この眼差しは、「私のホスピス医療の原点かもしれません」
寺山の、「あなたはどんな芝居を作りたっかたんですか?」という問いに対して「一人の顧客のためにすべての人が役者である芝居を作りたかった」と答えています。
現在の医療の不幸は患者不在の医療であり、客観無視の演劇的医療のためです。と語っています。現在の医療は、診断医、治療医、緩和医療と、次々と主治医が変わるパッチワーク医療になっているのです。
あの人の最期はいい最期だったとか、みじめな最期だったとか、ひとの最期の時を評価したがるのも、患者さん抜きとしている医療従事者の驕りのような気がします。
寺山修司の「スポーツ版裏町人生」のあとがきに、「裏窓からは、川が見える。ときどき人の別れも見える。だが、どんなにみじめな眺めでも、裏窓はあけておかなければならない。あけておくと、いつか陽がさしこむよ」と書いてます。
堂園医師は絵本も書いています。 情緒が豊かな人間性なのでしょうね。
ここまで生きてきて私にもどうにもならないいろんなことがありました。 この絵本が私には衝撃でした。これは私の宝の本です。
今日もありがとうございました。