防弾少年団ジョングク、デビュー秘話 | K-POPちょっといい話

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防弾少年団の末っ子ジョングクは1997年9月1日生まれ、釜山広域市出身で、父、母、兄の4人家族。

歌、ラップ、ダンスのどれもが優れ、「黄金マンネ(末っ子)」の呼び名を持つ。

 

 

<ダンス留学>

 

デビュー前(2012年)にパンシヒョク代表から「ダンスに感情がこもっていない」と言われ、米国にダンス研修に行ったことがある。ロサンゼルスにある有名なダンス学院「MOVEMENT LIFESTYLE」だ。そこで、有名な振付師からアーバンスタイル、女性ダンサーが踊るスタイル、とてもパワフルなスタイル等様々なものを学んだ。ビッグヒットのパフォーマンスディレクターのソンソンドゥク振付師はパンシヒョク代表の許諾を受けてジョングクに同行しアメリカへ行った。研修に行った後、実力が本当にとんでもないように増えた。 ジョングクが最初からダンスが上手であったわけではない、というジミンの証言もある。 短期間でダンスの実力が飛躍的に上昇したことをみれば、ダンスの才能をある程度持って生まれたようだ。 ジョングクは韓国に帰ってくるやいなや、メンバーたちに「とても良かった。 また行きたいです」と言ったという。

 

 

<スーパースターK2オーディション>

 

G-DRAGONの歌を聴いたことをきっかけに歌手になりたいという夢を持ったジョングクは、スーパースターK2オーディション(2次釜山予選)でIU「迷子」を歌ったが不合格となってしまう。恥かしがり屋のため、カメラの前で歌を歌うことに慣れていなかったからだ。しかし、7つの企画会社からキャスティングの提案を受けた。7つの企画会社はJYP、CUBE、FNC、スターシップ、Woollim、TS、ビッグヒットと大手ばかりであった。

 

 

 

<ビッグヒットへ練習生として入社>

 

その中の一つ、ビッグヒットを訪れたジョングクはラップモンスターが練習する姿を見て「カッコイイ」と思って入社を決め、今に至る。 余談だが、初めて入社したときはシュガより背が低かったいう。

ダンスとスケボーが趣味だったジョングクは防弾少年団でのデビューに向けて高校へは進学せず、先に書いた米国ロサンゼルスにダンス留学をした。そのため、同い年の学生たちとは1年遅れてソウル公演芸術高等学校に入学した。入学時にはすでに防弾少年団のメンバーとして活躍していたため、入学式には女子生徒に囲まれてしまうなど、高校でもその人気は凄まじいものだった。そして、2017年2月6日卒業した。GFRIENDシンビ&オムジ、宇宙少女ウンソと同期である。

 

 

<デビュー>

 

防弾少年団は2013年6月13日「エムカウントダウン」でタイトル曲「No More Dream」のステージを披露し、デビューした。