私は東日本大震災の被災者ではないけど
東京にいてあの地震を経験し
被災地に行ってあのすさまじい
破壊的光景を見て
大きく人生観は変わったと思うのです。

東日本の人は少なからず
あの異様な地震を経験し
人生観が変わった人、多いんじゃないかなと。

でもあの日、私はそこまで
すさまじいことが起きているとは
想像できていなかった。

確かに地震が一度ではなく
大きな地震が連続して
何度も起きるのは異様だった。

でもどこかであれほどまで
被災地が大変なことになっていようとは
まったく思いもせず
私が3月11日にただひたすら考えていたのは
「電車がいつ動くのか?」
「家に帰れるのか?」
ただそれだけだった。

しかしこの時、確か政府だったか
対応が素晴らしかったのは
私の記憶違いでなければ
18時か19時ぐらいに
無理に帰宅しないように
電車は動かないってことを
アナウンスしたと思うのです。

私はそのおかげで
「家に帰れるのか?帰れないのか?」
「電車は動くのか?動かないのか?」
に右往左往せず
「今日はもう無理。あきらめて会社に泊まろう」
と決めたのだ。

ただ電車が動かず徒歩で帰ろうと
していた人も大勢いた。
私は無理に徒歩で帰るより
会社にいた方が安全だし
明日になれば電車は動くだろうと思っていた。

会社に泊まることに決め
食料の調達をと思い
18時過ぎにコンビニに行ったが時すでに遅し。
もうほとんどの食べ物は売り切れていた。
コンビニのわずかに残っていた
売れ残ったカップ麺を食べたのか
まだ営業していたラーメン屋で
食べたのかはもう忘れてしまった。

しかしこの時もまだ
私はことの重大さに気づいていなかった。
映像をみていなかったからだ。
テキストベースのニュースしか
見ていなかったので
大変な事態になっているとは思わず、
私の次なる悩みは
「会社に泊まるなら同僚から借りていた
漫画スラムダンク全巻を
今日読むまいか否か」という
今から考えれば
あまりにもバカげたことを
真剣に悩んでいた。

しかしそれどころではないことに気づく。
テレビがネット放送を開始したからだ。
会社にテレビはなかったが
パソコンでテレビを見ることができた。

そこで映し出される恐ろしい被災地の惨状。
次から次へと被害が拡大していく様子。
スラムダンクを読むかどうか
なんていっている場合ではなかった。
しかも夜になっても東京も
相当何度となく揺れていたのだ。

しかし今思えば奇跡的だが
この時、会社は停電しなかった。
そのおかげでネットも見れたし
ネット経由でテレビも見れた。

2011年はまだたったの10年前だが
でもこの時はガラケーがまだ主流だったはず。
私もガラケーだった。
今から考えれば大バカ者だが
私はガラケーの充電器を持っていなかった。
幸いにして会社で同じ機種の
充電器を持っていたおかげで助かった。
この時から携帯の充電器を
持ち歩かないとやばいということにはじめて気づく。

そして靴だ。
靴。
靴が重要なのだ。

私は徒歩帰宅はしなかったが
それでも電車で3駅先の取引先から
会社まで徒歩で帰ってくるのは大変だった。
何が大変かって靴がしょぼかったからだ。

靴などどうせすぐダメになるからと
スーパーで安い靴を買っていたが
長時間歩くとなると疲れるし
歩きにくいしぜんぜんダメ。
この東日本大震災を機に
普段から歩きやすい靴が大事だと気づいた。

あの時、大変だったのは私鉄組。
JRが早々と「今日は動かない」
と決めてくれたおかげで
私は迷わず済んだが
私鉄や地下鉄は動かそうとしていた。
そのため社内で私鉄で帰れる人たちは
ずっとそわそわしていた。

いつ動くのか?
どうなるのか?

あの時思ったけど
「もう動きません!」
と早めに行ってくれた方が
どれだけ助かるか。

その日は会社に泊まったが
何度となく起きる地震で
あまり眠れなかったように思う。
翌日品川までは電車で行けたが
その後がいけず
品川駅で1時間ぐらい並んで
家にタクシーで帰ったと記憶している。

すぐに人って切り替えられなくて
これだけのすさまじい地震が起き続け
被災地はすさまじいことになっているのに
心配するのは月曜から会社にいけるのか?
とか電車が動くのか?とかそんなことばかり。
3月11日が終わって翌週も
地震が揺れまくりさらには
福島原発が爆発したというのに
私も含め多くの人は出社していた。

電話はまるで通じないので
無言のオフィスが異様だった。
でも電気もメールも問題なかったので
電話ができなくても仕事は進む。

でもまだまだ頻繁に大きな揺れがあり
私も他の社員も仕事しているふりして
まるで仕事に集中している様子はなかった。
刻一刻と変わる恐ろしい東日本大震災の
ニュースが気にならないはずはなかった。

節電で駅は暗く
本数も減り異様な雰囲気だった。
コロナの緊急事態の比なんかではなく
異様な雰囲気だった。

でもたまたま3月の3連休に
西日本を旅行する予定で行ったんだけど
そこでどれだけ心が救われたか。

西日本はまるで異様な雰囲気はない。
普通だ。
こっちは安全だ。
空気も雰囲気も変じゃない。
もしかしてもうこのまま
東京に戻らない方がいいんじゃないか
とすら思ったほど
東日本と西日本とでは雰囲気が違った。
被災地を離れるって大事なこと。

1ヶ月ぐらいは都内は異様な雰囲気だった。
原発もまるで状況がよくわからない。
ただ津波被災地のすさまじい
この世のものとも思えない惨状が
日々ニュースで繰り返され
「何かしなくては」という思いも
強まる一方だった。

どうしても被災地に行きたい。
ボランティアで石巻にいく予定だったが
なんとその時、腹痛か何かで
行けなくなったんですよね。

それで4月20日、平日に
急に会社を休むことにして
とにかく被災地をこの目で見なくてはと
石巻まで日帰りで行ってきた。
新幹線は福島あたりまでで
その後在来線に乗り換えて。

で、1ヶ月以上もすぎたのに
かつて2度訪れたことがある
石巻の海岸エリアの惨状が
あまりにもひどすぎて言葉がでなかった。

いやもうそんな光景は
テレビで何度もみたはず。
にもかかわらず現地で現場でこの目で
あの惨状を見たら本当に衝撃だった。

それから会社員のかたわら
休みをとって被災地にいくようになった。
各所のすさまじい被害状況や
まるで進まない復旧状況、
被災者やボランティアの方に
何人もインタビューして
このすさまじい地震が
3月11日だけで終わるものではないことを
実感させられていく。

多分あの年、2011年。
私の価値観は大きく変わった。
自分が死ぬ思いをしたわけではない。
でもあっけなく街が全滅する状況や
原発で死の街になる状況をみて
「明日死んでも悔いのない人生といえるのか?」
という思いは強く育っていったように思う。

多分そんな思いもあったせいか
パラレルキャリアがいいと思っていたけど
会社の社長と合わなくなり
会社を2012年にやめることになったんだと思う。

温度差。
被災地に行っているのは
社内で私しかいなかった。
被災地を毎週のように行き
すさまじい惨状や
人手や物資が足りない状況や
問題が山積みの状況で
できることをしようと
毎週行っている自分と
「何もしない」被災地の現場を知らない
社長や社員たちとはなんとなく
価値観というか会話がずれていくような
そんな感覚があった。

まあそれは今から考えれば仕方がない。
人にはそれぞれ事情があり
別に被災地に行かなくても
多額の義援金を寄付している人もいるだろうし
自分の生活で精一杯の人もいるだろうし
子供がいて被災地にいけるような
状況ではない人もいる。

でもあの国難とも言える状況で
1人でも多くの人がきてくれれば
被災地がいくぶんかでも助かるのに
そこに気をとめずに
日常に戻って過ごしている人たちとの
温度差はぬぐいさりがたかった。

本当にすさまじい破壊で
街があっけなく全滅する。
それが1つや2つではない
あのとんでもない状況に
さらに原発事故まで起きた。

会社を辞めて4ヶ月アジアを旅することなんかより
東日本大震災の方が
人生の価値観を大きく変えたと思う。
だからこそよりよく生きたいと
今まで以上に思えるようになったし
いつ死んでもおかしくはない
世の中に生きているってことを
肌感覚で実感できたように思う。

これはもう経験しないと
実感できないことなので
なんともいえないと思うけど
ただほんとなんというか
比較すべき対象ではないけど
30歳未満がわずか3人しか死んでいない
コロナバカ騒ぎが1年も引っ張られ
さらには緊急事態宣言がさらにまた
延長されるだの第四波だのと
脅され始めているけど
私が伝えたいのは日本にいる限り
コロナなんかよりはるかに恐ろしい
自然災害におそわれるかもしれないってこと。

東北沖〜北海道東方沖は
かなりの確率で再び大地震が起きるのでは?
と専門家が予想している。
首都直下地震しかり。
そしてあの東日本大震災を経験していない
西日本で南海トラフ地震が起きた時
きっと東日本大震災の教訓を学ばず
死んでしまう人も出てきてしまうと
危惧している。

あと実は未知なのは火山噴火で
地震や津波はある程度経験のある人も
多いけど、火山噴火が起きると
どんなことが起きるのか、
何に気をつけたらいいのかとか
いくら本やネットで調べても
実感としてわからないから
ピンとこないんだけど
富士山噴火も含め火山噴火の災害も
十分あり得ることなのです。

ただ私が言いたいのは
いつ起きるかもわからない
大地震や火山噴火におびえろってことじゃなくて
コロナとは違って
この30年以内にかなりの高確率で
起きると予測されていて
しかもある程度備えはできるから
人生を楽しく生きるために
リスクをできるだけ最小限にするために
しっかり備えをしておこうってことと
それでも不運にも災害で
なくなってしまうことも
十分あり得るからこそ
「明日死んでも悔いのない人生を」
ってことなんです。

それをこの10年、表現方法を変え
伝えてきたつもり。

今年は東日本大震災10年の節目の年。
ただ残念ながらコロナのせいなのか
10年のせいなのか非常に関心は低い。

でもそれは仕方がない。
災害は忘れた頃にやってきて
すさまじい地震が起きれば
否応なくそれぞれが
備えの足りなさを後悔したりするのだろう。

結局は肌感覚で実感しないと
人は学ぶことには限界がある。

でも備えをして
いつ死んでも悔いのないような
生き方をしていれば
もしとんでもない大災害が起きても
それはそれで「受け止めて」
いい意味でそれをバネに生きていけるはず。

いやもうなんか10年目という節目でも
関心の低さはいかんともしがたく
独白のような長文をあえて
書いてみたわけだけど
本当に本当に本当にコロナなんかより
日本は地震や火山噴火の方が
リスクも確率も高いから
きっちり備えをしてほしいなと。

明日死んでも悔いのない人生を。

東日本大震災は私の人生観を
大きく変えた出来事です。

 

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