類は友を呼ぶの本当の意味  「50を過ぎて気がついた(はあ)」第12回 | 50を過ぎて気がついた~♪(はあ)絶対に諦めない「ひねくれじじい」の悪戦苦闘人生日記

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世の中の批判ばっかりしてても仕方がない!
50を過ぎてようやくそんな当たり前のことに気付いたオッサンが
なかなか思いどおりにいかない自分の人生について赤裸々に語っています。
皆さん、こんなオッサンですが仲よくしてやってください。

「50を過ぎて気がついた~♪(はあ)」  第12回



「類は友を呼ぶ」の本当の意味!


それは……


自分の今のレベル・程度に


ちょうどお似合いの人が近寄って来るということ



「類は友を呼ぶ」って諺、最近はあまり諺を耳にすることもなくなりましたが、


知ってる人は多いと思います。


僕はこの諺、あまり良い意味ではないと思いつつも、


「趣味や嗜好が似通った者同士は仲良くなりやすい」


程度の理解でいました、40を過ぎるまで(><)


でも、ある時、ある人から


「今のあんたは、類は友を呼ぶ状態だ」と言われました。


「ん?ん?ん? どういう意味?」


その人は、言いました。


「要するに、今あんたに近付いてきてる人は、


今のあんたのレベルにお似合いのレベルの低い人が近付いてきてるんや」


それを、「類は友を呼ぶ」、つまり類友だと言われました。


「類は友を呼ぶ」って、そんな意味だとは思ってなかったから


すごくショックでした。


こんな話になったのは、多分僕が、その時の人間関係について


ぶつぶつと愚痴を言っていた時だったと思います。


その人曰く、


「今の人間関係が嫌で、もっとちゃんとした人と付き合いたいなら、


自分がちゃんとした人と付き合うにふさわしい人間になりなさい」


と、叱られました。


しかし、その時の僕は、


「ふーん、なるほど。でもそうは言ってもなかなか難しいじゃん」


程度にしか思ってませんでした。


どんな人が近づいてくるかなんて、自分では決められないし、


そんなこと言われても困るなあ、言ってる意味はわかるけれども、


近付いて来る人を拒むわけにもいかないし、


かといって、こっちから近付きたい人って、そんなに簡単に近付いていけないし


ってな感じでした。


多分まだその人の言う本当の意味が理解できてなかったんだと思います。


それから、はや10年近く……。


常にその言葉は僕の頭に浮かびます。


なぜなら、それを言ってくれた人の娘さんとのお付き合いがありましたから。


娘さんからもよくその言葉を言われてましたが、


「友達だから」とか「長い付き合いだから」と言って抵抗してました。


ところが去年あたりから、自分でも我慢できず、


友達であろうと、長い付き合いであろうと、


付き合いたくないと思った人とは付き合わなくなりました。


それでも最初の頃は、それで友人が減るのは寂しいとか、


やっぱり多少は我慢して付き合った方がいいのではないかと


葛藤のようなものが少なからずありました。


ところがです!


そうしていると、何故か、そういう人と付き合わなくなった分を補うかのように


新たな出会いが出てくることに気づきました。


しかも、今までの友人よりはいい人間関係が築けそうな人と。


そういう一年を過ごしてきて、


最近ようやく


「類は友を呼ぶ」の本当の意味がわかってきたような気がします。


何も、偉そうに今までの友人のレベルが低いと言うつもりはありませんが、


やはり、人間関係のあり方をちゃんとしていると、自然に人間関係が


変化してくるということに、情けないながら


「50を過ぎてやっとこっさ気がついた~(はあ)」


のひねくれじじいでございます。


だからって、急に人生が好転するほど、世の中も神様も仏様も


甘くはありませんが、一つだけ皆さんに!


今までの惰性を捨てて、何が正しいことかをちゃんと見つめ、


おかしな関係や、捻じれた関係、我慢と不満の多い関係を


断ち切ったら、それだけでも気持ちがすっきりして


毎日の気分がとても良くなりますよ。


毎日の気分が良くなれば、自然といいこと感謝することが増えてきます。


それが大事なんだと思います。


「類は友を呼ぶ」の本当の意味を教えてくれた人は


哀しいことに亡くなってしまいましたが、


今でも命の恩人だと思って感謝してます。


50を過ぎて、ようやく人生において大事なことが分かり始めたのでしょうか。


そんなことを繰り返しながら、少しずつ少しずつ、


まともな大人になりたいと思う今日この頃のひねくれじじいでした。