ジンジャーベイカー(ドラム)
Forbes バークス 2015
(ヘヴィメタルについて)
嫌悪、猛烈に嫌っている。スパンデックスのズボンを履き、異様なメイキャップをしてる連中、僕はものすごく不快に思っている。いつもそうだ。クリームがヘヴィメタル誕生の一端を担っているのはわかる。でもな、僕だったら間違いなく中絶していたよ(笑)。僕はヘヴィメタルが大っ嫌いだ。
あいつらの多くが、僕のとこに来て(あなたに影響を受けた。あのドラムの激しい叩き方)って言うけど、あいつら、なんにもわかちゃいない。僕が激しくプレイしてたのは、自分の演奏を聴くためだ。怒りだったんだ。楽しみじゃない。苦痛だよ。アンプのヴォリュームがでかかったせいで、僕はステージで苦しんでいたんだ。
(レッドツェッペリンについて)
ジミーペイジはいいプレイヤーだと思うが、レッドツェッペリンが、クリームのいない空白を埋めたとは思わない。あいつら、大金稼いだけどな。僕があいつらのしてきたことで気に入ってるのは5%くらいだ。2つ3つ、ホントにクールなのがある。でもあのヘヴィなドタバタは好きじゃない。
何年も前、ジョンボーナムが(ロックンロールには2人のドラマーがいる。ジンジャーベイカーと僕だ)って言ったが、ジョンが僕に匹敵したわけがない。彼はミュージシャンじゃない。僕が勉強したことを知らない奴らが多いんだ。僕は音楽を作れる。1960~1961年、僕はビッグバンドのパートを作っていた。ドラマーならドラムの楽譜を読めるように勉強しなきゃいけないって思ったんだ。僕は読んだらすぐ理解できる能力に長けていた。ビッグバンドの1人に2冊薦められ、同時に勉強したんだよ。1冊は基本的なハーモニーのルールについてで、もう1冊はそれをどうやってぶち壊すかって本だった(笑)
ヘヴィメタルの連中は楽譜が読めない。ポールマッカートニーでさえ、彼のために書き出す人が必要だ。彼はそれがいいと思っている。彼が(もし楽譜の読み方を勉強してたら、同じように曲は書けなかったかもしれない)って話している記事があった。僕らは1963年、ビートルズについて(あいつらはハチェット(手斧)とクロチェット(四分音符)の区別もついてない)って言っていたもんだよ。
ジャックブルース(クリーム ヴォーカル ベース ソングライター)
ジョージハリスンの訃報を聴き、大変ショックを受け悲しみを感じている。世界中の大勢の人たち、彼の世代のすべての人たちとともに私たちすべてに感動を与えてくれた感受性と精神性を持ったミュージシャンの死を深く追悼したい。
ビートルズでの彼の業績と彼の大切なソロレコーディング以外においても、ジョージは1960年代に世界の注目を集めたインド文化の影響をもたらし、その結果、西洋の音楽の方向性を変えた最初の人物だった。彼はまた、彼のハンドメイドフィルムスという映画制作会社を通じ、イギリス映画界の復興をほとんどひとりで引き受けた。彼の貢献なしには、(ザライフオブブライアン、ブラジル、ウイズネイルアンドアイ、モナリザ、アプライベートファンクション)をはじめとする多くの映画が制作されなかっただろう。
クリームの(グッバイ)のセッションで、彼といっしょに仕事ができたことを光栄に思う。彼の(バッジ)でのすばらしいリズムのあるギターワークに刺激され、僕の初めてのソロアルバム、(ソングフォーテイラー)のなかの(Never Tell Your Mother She’s Out of Tune)で演奏してほしいと思わず頼んだほどである。このとき彼は契約上の理由から、(ラアンジェロミステリオソ)という名前を使ってくれた。彼はライブレコーディングのために誰よりも早く開始1時間前にスタジオに現れるほどこのセッションを真剣に捉えてくれた。
僕はまた(静かなビートルズ)である彼に特別な共感を持っている。なぜなら、僕もまた、(静かなクリーム)だったからだ。
さようなら、ジョージ。君がいなくてさびしい。
https://www.youtube.com/watch?v=4hjVjYfLMjI
べースプレイヤーマガジン
◎あなたにとって真のエレクトリックベースプレイヤーは誰ですか?
ポールマッカートニー、ジェームスジェマーソン、そして僕だ。モータウンのベーシストは基本的にほとんどが素晴らしかった。だけど60年代にはモータウンにはベーシストのクレジットがなかった。だからジェームスジェマーソンをはじめとするモータウンのベーシストという言い方が一番正確だ。
僕やポールマッカートニーは元々ベーシストではなかった。それなのに僕らはそれまでのベースギターの演奏を刷新して、元々いたベーシスト達にロックミュージックのベース演奏というものを教えてあげたんだよ。
エクスクルーシヴ 2012
◎あなたはどのくらいクリームの遺産について(誇り)(にしていますか?
(誇り)なんてわからないな。だけど僕はそのバンドの価値がわかる。今でさえ人々は僕らがつくったその音楽をまだ好きでいてくれる。そして僕は僕自身その音楽に距離を置くことが出来ないし、そうしようと思わない。
ちょうどポールマッカートニーがビートルズのポールマッカートニーであった様に僕はクリームのジャックブルースだった。僕はあのバンドでかつてしたことを全く恥じていないよ。
つまりこういう事だ。僕は何曲かちょっとしたポップソングを書いた。それは僕がクリームの為に書いた曲なんだ。もし僕がたまにはその曲を演奏しないなら、人々はとてもがっかりするだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=wC5rvfaA3HQ
https://www.youtube.com/watch?v=pwDo0JUeKqM
https://www.youtube.com/watch?v=CgP7kfIwlE8
エリッククラプトン (ギター ヴォーカル ソングライター)
当時のお決まりはポップスで最新の大流行はマージ―サウンドだった。ちょうどビートルズの人気が出始めた頃、週に一度(ポップゴートゥーザビートルズ)というラジオ番組をやっていた。その番組は彼ら自身が自分たちの曲と他のアーティストのカヴァーを演奏することですべてが構成されていた。
彼らはあっという間に有名になったのでみんな彼らの様になりたがっていた。(ビートルズマニア)の始まりだった。イギリス中の人間が彼らの様な服を着て、彼らの様に演奏して、彼らの様なサウンドを出し、彼らそっくりに見えた。馬鹿げていると思えたのは、これが人間がいかに従順な生き物であるかを示していたからであった。
僕の尊敬するほとんどのアーティストが無名のまま、時には一文無しでたった一人で死んでで行ったというのに、みんながこのプレイヤーたちを神の領域に高めようとして待ち構えているのだ。僕らは勝ち目のない戦いをしているようなものだった。マージ―サウンドの人気がじょじょに上がってくると僕の様なミュージシャンは地下に潜るしかなかった。僕らはまるで音楽業界の転覆をたくらんでいるアナーキストの様だった。
最初にビートルズに会ったのは、オデオンのバックステージをぶらついているときだった。ポールマッカートニーが代表して挨拶に来てくれた。彼が半分以上出来上がっていた(イエスタデイ)を弾いて聞かせ、みんなにどう思うか聞いてきたのを憶えている。まだ歌詞はなく彼は(スクランブルエッグ)と呼んでいて(スクランブルエッグ、エブリバディコールズミ―スクランブルエッグ)と歌っていた。
ジョージと僕はすぐに気が合った。彼は僕の演奏を気に入っているらしく、ギターの話をたくさんした。彼は僕にグレッチギターのコレクションを見せ、僕は彼にいつも行くアールハムストリートのクリフォードエセックスと言う店でライトゲージの弦を見せた。それをいくつかあげたのが、その後長いこと続くことになる友情の始まりだった。だが、当時のビートルズは我々とは別の世界にいたので、実際に付き合う様になるまでにしばらく間があった。彼らはスターでまっしぐらに高みに昇って行った。
ジョンと会うのはこれとは少し違う。ある晩、地下鉄に乗ってハマースミスに向かっている時、年配のアメリカ人の女性と話をすることになった。迷子になった彼女が僕に(何をしていて、何処へ行くのか)と聞いてきたので、(ビートルズのコンサートでギターを弾きにいくところだ。)と答えた。(ビートルズ?)びっくりして彼女はそう言った後に(私も一緒に行っていいかしら?)と聞いてきた。
(あなたが行きたいのなら何とか入れてもらいますよ)と僕は答えた。オデオンに着くとステージと同じ階にある楽屋に連れて行った。出番が迫っていたが彼らは時間を割いてくれて、彼女を優しく迎えてくれた。ところがジョンの所に行って彼女を紹介すると、彼はわざと退屈そうな顔をしてコートの下でマスターベーションをしている格好をした。
僕が大きなショックを受け、頭に来たのは、この罪もない老婦人に対して責任を感じていたのと同時に、ある意味で僕自身、彼にバカにされたと思ったからだ。その後の人生でジョンの事がわかるようになってきたので、友達だったとは思っているが、とんでもないことをやりかねない彼にいつも目を光らせていた。
みんなが夕方のお茶や音楽の夕べにやってきた。常連はヤードバーズにいた頃から知っていたジョージハリソンだった。当時、僕は自分から友情を押し付けるタイプではなかったので、彼の事をミュージシャン仲間の一人と考えていた。彼はいつもサヴィルロウの自分のオフィスからイーシャーのバンガローへの帰り道に立ち寄り、ビートルズが作っているレコードのアセテート版を持ってくることも良くあった。
時々、イーシャーのジョージハリスンの家に行って、一緒にギターを弾いたり、アシッドをやったりしているうちに、徐々に友情が育ち始めた。9月のはじめのある日、ジョージは彼がレコーディング中だったアビーロードスタジオに僕を車で連れて行った。着くと彼は、(ビートルズが自分の曲をレコーディングするのでギターを弾いてくれないか)と言ってきた。
彼はビートルズのギタープレイヤーだし、彼らのレコードでいつも素晴らしい演奏をしているから、私はおかしなことを頼むものだと思って面食らった。ビートルズのレコードで演奏してくれと頼まれる人間はあまりいないと思って、得意にもなっていた。自分のギターを持ってきてさえいなかったので、ジョージのギターを借りなければならなかった。
スタジオに入り、しばらくして周りを観察し、状況を判断すると、ポールとジョンがジョージとリンゴのバンドへの貢献をほとんど認めていないように思えた。ジョージがどんなプロジェクトに楽曲を提供しても、目立たないところへ押しやられてしまうばかりなのだ。僕らの友情が多少の支えになると感じた彼は、僕がそこで演奏することで自らの立場が安定し、幾分かは尊重されると思ったのだろう。ジョンとポールはかなりの切れ者だし、僕は部外者なのでちょっと緊張していたが上手くいった。
その楽曲が(While My Guitar Gently Weeps )だった。ワンテイク録音しただけだったが、素晴らしいサウンドだと思った。ジョンとポールの反応は曖昧だったが、ジョージはコントロールルームで何度も聞き直していたから、僕には彼が満足していることがわかった。多少のエフェクトを加えてラフミックスを作った後、他のメンバーたちはそれまでに録音した曲を聴きなおしていた。僕は彼らの聖域に連れてこられたような気がした。
数週間後、ジョージハリスンがフェザントリーに顔を出して、その曲が入っているアセテート盤を置いていていった。これが(サージェントペパー)に続く待望のアルバム(ホワイトアルバム)だった。翌月、クリームのサヨナラツアーでアメリカに行った時、このアセテート盤を持って行った。いろいろな友人達にこのアルバムの曲を聴かせていると、ジョージから電話がかかって来た。僕がこのアルバムを聴かせて回っていると聞いて、ジョージは怒り狂って文句を言ってきた。彼らの音楽を耳の肥えた人間に宣伝するという重要な仕事をしていると思っていた僕はひどく傷ついたのを憶えている。
これで現実に引き戻され、かなりきつかったが、おかげで物事には境界線があること、そして思い上がらないことを学ぶことになった。しばらくはジョージを避けていたが、二人はそのうちにまた友達になった。でもあれ以来、彼の周りではいつも警戒を緩めないように少し用心していた。
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https://www.youtube.com/watch?v=SYjrqu60DvA
ベースプレイヤーマガジン
◎ ギタリストが選ぶベースプレイヤー
僕のキャリアは長く、素晴らしいベースプレイヤーには何人も会ってきたが、ここではその中でも二人の最高のプレイヤーを選ぼう。ジャックブルースとポールマッカートニーだ。
ジャックブルースは僕がブルースブレーカーズにいた頃、後に(フリートウッドマック)を結成する事になるジョンマクヴィーが首になり、ジャックに交代することになった。彼はグラハムボンドオーガニゼーションでベースを弾いていた。僕は彼をマーキーで見たことがあった。ジャックがいたのはほんの2、3週間だけで(マンフレッドマン)に移ってしまったが、その間、我々はイギリス南部のクラブサーキットを回っていた。我々二人は仕事をするうちにお互いを評価するようになった。
彼は音楽的にはそれまで演奏した中で一番迫力のあるベースプレイヤーだった。ステージでベースをまるでギターの様に弾くが、それも邪魔にならない程度にだった。それに驚異的なリズム感を持っていた。すべては激しくて頭の回転が速い、彼の個性から来ていた。
僕がビートルズのアルバムでギターを弾きにアビーロードスタジオに入った時、真っ先に注目したのがポールマッカートニーだった。彼らの聖域とでもいう場所で(こんな人間もいるのか)って思った事を憶えている。ポールマッカートニーはコンプレックスを持つ必要がなかった。なぜなら、彼は楽器を上手に演奏でき、歌を上手に歌うことが出来、多くのヒット曲を作ることが出来たからだ。
まず、彼はまるで記念碑のようなベースプレイヤーだった。多くのベースプレイヤーはこの記念碑から前に進むこととなった。彼の演奏はタイム、トーン、タッチ、フレーズ、そしてライン、すべてが素晴らしかった。そして、彼はビートルズのギタリスト達よりも上手にギターを弾く事ができた。彼がビートルズでギターを弾かないことは一面ではビートルズの複雑さを表していた。その上、彼はスタジオでピアノを弾き、ドラムセットに座ったりしていた。
そしてポールのハイトーンのヴォーカル、コーラスにも感動させられた。あれほどすばらしいハイトーンのヴォーカルを生で聴いたのは、他にはグラハムナッシュぐらいだろう。そして彼は(イエスタデイ)、(ヘイジュード)、(レットイットビー)と言った記憶に残る素晴らしいヒット曲をたくさん書くことが出来た。
成功したミュージシャンでさえ、ほとんどの人間はコンプレックスを持つことになる。僕にもコンプレックスはある。僕は自身のヴォーカルにはいつも引け目を感じていたし、僕が憶えている限り、僕の曲でナンバーワンヒットになったのは(ティアーズインヘブン)だけだろう。僕がポールより優れているのはおそらくギターの腕前だけだろう。
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https://www.youtube.com/watch?v=ZwE3ZztRCCk
https://www.youtube.com/watch?v=J9JkKWruhrw
https://www.youtube.com/watch?v=YRSbnhUXhuQ
https://www.youtube.com/watch?v=3n92zksrhbc
https://www.youtube.com/watch?v=xl7Hd2r0LOs
https://www.youtube.com/watch?v=JxPj3GAYYZ0
https://www.youtube.com/watch?v=x11NA63gLDM