皆さん、こんにちは。

今回のブログ記事は前回に引き続きまして、読書批評文:魯迅『阿Q正伝』をご紹介します。

 

本作品の主人公・阿Qは、近代化から取り残され、列強にいいように食い物にされる清朝末期の中国の擬人化キャラと言えます。

彼は、その日暮らしで文盲、そして独身で疥癬持ちという、およそいいところの無い男です。

しかも自尊心だけはやたらに高く、自ら「むかしは偉かった」ということを吹聴しては他人を軽蔑してばかりいるので、生活している「未荘(ウエイチワン)」という村の住民からは煙たがられています。

 

阿Qは、賭け事をしてもいいように騙されては折角稼いだお金を巻き上げられるのですが、それでも彼は、妄想の中で敗北を「勝利」に変換します(精神勝利法)。

ある日、彼はたまたま村にいた尼さんに欲情してしまい、それ以来《おんな、おんな!・・・・・・》と、女性のことばかりを気にかけるようになります。

そして趙(チャオ)旦那の元で、米つきの仕事を終えた後に、とうとうお手伝いさんの呉媽(ウー・マー)を強姦しかけます(未遂)。

これにより、阿Qは趙旦那の屋敷への出入り禁止。

そして村中に悪い噂の広まった彼は、野菜泥棒をして飢えをしのぐようになります。

しばらく経過して、未荘に再び阿Qが姿を見せます。

しかし、この時の彼は、妙に羽振りがいい。

阿Qは「挙人旦那」の家で働いていたそうですが、実は盗人の下っぱをしていただけでした。

そのことを臆面もなく吹聴した彼は、「これまた畏るるに足らざり」とばかりにますます村人から敬遠されることとなります。

そして1911(宣統三)年、革命党が村にやってくるとの噂が流れます。

ところが、これに対して阿Qは、「カクメイ」に便乗して村で威張り散らそう、と考えるのでした。

阿Qは普段ねぐらとしている土地廟で、相も変わらず因縁のある「小(シャオ)D」「趙旦那」「秀才」「にせ毛唐」「ひげの王(ワン)」etc.がしょっ引かれて処刑される妄想にふけります。

しかし、革命による変化はあまりなく、彼は不満を募らせます。

そんなある日、趙家が掠奪の被害に遭い、その濡れ衣が阿Qに着せられ、遂に彼は逮捕・処刑されて物語は幕を閉じます。

 

さて、この清朝末期の中国の擬人化キャラ・阿Qを、日本人は果たして嗤えるでしょうか?

バブル崩壊からこの方、日本は坂を転げ落ちるように政治的にも経済的にも、産業面でも科学技術面でも他のアジア諸国から取り残され、衰退する一方です。

今現在、「日本スゴイ!」と自画自賛するようなTV番組・出版物が巷に溢れていますが、これらは阿Qが《おいら、むかしは――おめえなんかよりずっと偉かったんだぞ。おめえなんか、なんだってんだ!》などと、空威張りするようなものでしょう。

 

現在の中国・韓国をはじめとするアジア諸国が、名実ともに政治・経済・軍事・技術・産業etc.で欧米をしのぐほどの超大国となってゆく一方で、日本人はみじめにも「精神勝利法」によって妄想の中で中国や韓国に「勝ったつもり」になっています。

そのことは、ネトウヨの言動をつぶさに観察してみると一目瞭然でしょう。

日本人は今こそ『阿Q正伝』を熟読して、魯迅が訴えたかったことは何か、そしてもはや日本が「経済大国ではないという現実」に思いを馳せるべきでしょう。

ある種の勝利者は、敵が虎や鷹であってはじめて勝利の喜びを感じられるので、敵が羊や鶏のひなだと逆に勝利のむなしさを感じるのだそうだ。また、ある種の勝利者は、征服の完成によって、死ぬものは死に、降伏するものは降伏して、みんな「おそれ多くもお上に言上」式の臣下となり、もはや敵も競争者も友もなく、ひとり、ぽつねんと、さびしく、自分だけ上位に取り残されると勝利の悲哀を感じるそうだ。しかし、わが阿Qはそんな弱虫ではない。かれはいつだって意気軒昂である。これまた、中国の精神文明が世界に冠たる一証かもしれない。

(『阿Q正伝』p,116)

 

最後に、かつて日本で大ヒットしたCMをyoutubeに貼り付けます。

これをご覧になりながら、日本がバブル経済の下、大繁栄を謳歌していた時代を偲ばれてください。

 

 

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