最近、記憶の保たなさが激しくなってきている。

数日前のことも遠く感じるし、昨日のことすら霧の中のようで、意識的に焦点を合わせないと思い出せない。

数年前から段々とそんな感じになって来て、今年になってからは、特に顕著になってきている。

内観やらヒーリングで観念をどんどん解いていくと、物事と物事の関連性が解けていって段々とこうなるのだなと、実体験の感覚とともに感じていて、これはヒーラー仲間の間では割と共通見解だ。

スピリチュアル界隈でいう「今ここ」とやらを追求するとそうなってくる、とも言い換えられるかもしれない。

リアルに、今しかない状態。

いや、世間一般的に言えば、若年性健忘症って話だろうけど。


今まではそこまで致命的ではなかったが、最近、販売した商品の値段を忘れたり、大切な予定をWブッキングしてしまったり、お金を払ったことを忘れてもう一度払いそうになったり、自分でもあり得ないと突っ込みたいレベルのことを多々やらかしている。

少し前までは、記憶したり何かと何かを結びつけたりが問題なくできていたから、その前提でつい動いてしまい、その結果何かをやらかして凹むことが、最近立て続いている。

いよいよ社会人として末期ではと、悲しさや悔しさが湧いてくる。

その反面、何とかなるし、実は別に困っていないしどうでもいい、みたいな気持ちもあり、根本的に悲観してはいなかったりもする。

様々な思惑が湧いて来て、まだらだ。

まあ、とりあえず、混乱している。


実務的レベルでは、何とか工夫して折り合いをつけたいし(当たり前のことだけれど、記憶を過信せず全てをメモしたり、まめに周りに確認をするなど)、完璧主義や自分への期待は益々手放しにかかることになるだろう。

じゃないとまじ辛いわ、これ。


今までは、できる人でいたかった。

何でもこなせるハイパーな自分でいたかった。

それを目指していて、割とできてきたつもりでいて、そんな自分に誇りを持っていた気がする。

しかし、そのプライドが邪魔をして、できない自分を受け入れられず、葛藤している。

昔からの友人に相談したら、
「うっかりとかどじっ子なのは、ずっと前からそんな感じだったよ?そんななおさんが可愛いなって思うし、大丈夫だよ」と言われた。

何ということだ。

ちゃんとできていたと思っていたのも、ちゃんとできていないと愛されないと思っていたのも、自分だけだったとは…。

完璧な自分など幻想だったのだなと、痛感する次第です。

自分の中で、うまい具合に諸々が落ち着くことを願っている。


別件だが(根っこは同じようなことかもしれないんだけど)、最近友人と話していて、今年に入ってから出会った人の顔を一切覚えていないことに気づいて愕然とした。

昔に出会った人の顔はちゃんと思い出せて、最近会った人のことは覚えていない、って、まるで認知症のようだと思う。

ただ、名前を聞けばその人の雰囲気は個別にちゃんと思い出せるので、エネルギー的には記憶しているようだ。

顔でなくエネルギーを見て判別するということが、いつの間にか自分の中で当たり前になってしまった。

そりゃそうだ、お会いしたこともない人の、石を乗せた手の写真や名刺を見れば、その人の情報を読めてしまうのだから。

ただ、そんな自分の変化を改めて認識した時、自我としての自分が、ぎょっとすることがある。


全ては許されているし、何でも良い、のだけれど、実社会で生きる以上、最低限のルールは尊重していきたいし、ある程度の社会性を持って生きることは、今のところ個としてのわたしの望みだ。

だから、スピリチュアルとかヒーリングとか何か浮世離れした(と世間では思われていがちな)ことに邁進しつつも、自分の心地良さと周りとの調和をうまいこと両立させていきたいと思うのです。

いくら不思議な人であっても、この社会の中で生きていきたい。

またしばらくしたら、感じることも変わると思いますが、今はそんなことを思っています。


特に結論のない話で恐縮ですが、記憶が解けていく同じような方が他にもいらっしゃるかも、と思って、書いておきます。