今日は、発達障害の人が親となった時に直面する困難について、例を出して書いてみます。この先親となる予定の人や、たった今辛い思いをしながら育児をしている人に何かプラスになればと思います。


自分が発達障害である、と理解していた場合、まだ親になる準備が多少はできますが、そうとは知らず結婚、子供が誕生、育児となると、かなりの難しさがあるように思います。親族のパートナーはまさにその例です。ほぼ、「予想をまったくしていなかった、今まで経験したことのない」変化と疲労の連続で、混乱して自分のペースも、自分の気持ちや状態もわからず、そのまま迷走しそうになります。


幸い、私達の場合は片方が「自分は変わっている」という自覚のもとにあれこれと対応策や知恵を親や大人達から授かってきていますので、それを伴侶にも提供することができます。その際に伴侶達について感じたこと、どういう促しをしたか、については以下の通りです。


<変化についていけない、自分を見失う精神的な混乱>


結婚(慶事)

新居でのパートナーとの共同生活(好きな人との同居)

仕事以外の家事・交流の増加(身体的・精神的負担)

妊娠・出産(身体的変化、自閉から外界に出る成長を無意識に強制される状態)

育児(未経験、不測の事態の連続、睡眠不足、精神的疲弊)

親の役割(園・学校での活動、外界での対人交流の急増、自閉できないストレス)


これだけの変化と、変化が自分に与える心身への影響があります。これは慶事、つまりその出来事そのものが良いこと、悪いことかというのは全く関係なく、発達障害の人にとってはどれも「変化」という強烈な刺激を受けます。そしてこれは男女共に、同じようなストレスを受けます。出産した本人だけが変化という打撃を受けるのではなく、共同生活をしている発達障害の人間全員が巻き込まれる刺激なのです。


この予想を上回る急激な刺激は、ほとんどの場合、発達障害の人にマイナスに働きます。どんなに自分研究をして安定していた私達のような一族でも、結婚・共同生活・出産・育児、仕事と家庭の両立、親としての外界での活動は「待ったなし」でこなさないといけない課題ばかりなので、さすがに疲弊します。


なので、大事なのは「ストレスのがし」をしながら、なるべく平静でいられる状況を自分で作り出す工夫です。自分の中からそぎ落とされるエネルギーをどこかで蓄えるためと、誰とも何とも関わらないでいられる「一人、完全自閉の時間」を作る事です。



そう、発達障害の人にとって大事なのは、「自閉できる時間」です。自分が子供の時には、自閉時間がたくさんありすぎて逆に社会生活の「いろは」を学べないので、自分研究をして自分を知り、知恵や工夫を得ていく作業でなんとか「自閉と外界とのバランス」を取っていました。ですが、親となるとこのバランスが崩れて、圧倒的に「外界に引きずり出される」状況ばかりになります。


まず、パートナーとの共同生活で、自分ひとりで自閉していられなくなります。他人を意識する気力がいります。

赤ちゃん、乳幼児という手助けを絶対にしないといけない対象が出来るので、子供と居る時は「他人(子供)を意識している」状態が続きます。


子供が成長すると、子供の友達、その親、学校関係者、地域の活動という怒涛の対人関係にまみれた日々を過ごします。



自閉の特性が強い発達障害の人間が、これだけ他人や外の環境に無意識のうちに強制的に外界に引っ張り出され、会話し行動し考えることをしないといけなくなるのですから、これで疲弊しないわけがないのです。ですので、結果として自分の心身のバランスを取るために「自閉の時間」が必要となってくるわけです。


自分の状態や気持ちがわからないので、「何をしたら自分にエネルギーがたまるのか、気持が安定するのかわからない」という人がほとんどです。この場合、「誰とも合わずにリラックスできる、環境的に気持ちいいと思える場所で一人で過ごす」ことがいいかなと思います。家にいると誰かと接触するので、男性の場合は都心のネットカフェで24時間を過ごして飲み食い、ゲーム、マンガ三昧の1日を過ごすことが多いようです。完全個室でシャワーもあり、食事もドリンクも注文できるので全く困らないようです。女性の場合は、家族(夫、子供、祖父母)に外出してもらい、その間は一人でのんびり家で過ごすことが多いように思います。私はやや遠方にドライブして、人があまりいないような小規模の美術館や博物館へ行き、そこに併設されているカフェや近くのレストランでのんびり食事をしてリフレッシュをします。もちろん乳幼児だろうと、子供だろうと、自分が疲れて養生したい時には親族でも無認可の預かりだろうと、どこでも利用して預けて一人になります。


家族が穏便に、平穏に過ごすのが最優先事項なので、継続的にできる対処法としては、夫婦で交代で休日を利用して親が一人の時間を持つことがコツです。そして、子供も親や兄弟姉妹と一緒にいること、一緒に活動することを親が強いることがないようにします。お兄ちゃんの野球の試合に、夫婦が下の子を説得して連れて行くということのないように、下の子はどうしたいかを見て感じて聞いて尊重したり、夫がどうしたいか、自分がどうしたいかを考えるのも大事です。「家族全員で楽しく過ごす」という定型一般の描くファミリードラマを演じようとすると、家族全員が疲弊することになりがちです。私達は定型ではありませんから、それは性質的にも根本から合わない生活スタイルです。家族全員、というのは意識しなくてもそういう時間はたくさん持っているので、休日まで全員での集合を固定化させる必要もありません。お兄ちゃんが一人で野球の練習に行けるのなら行かせて、親や他の子はそれぞれにしたいことをする。それでいいと思える生活が大事です。各自ばらばらなようだから他人からは勝手で奔放、まとまりがないと言われるかもしれませんが、家族各自が自分の世界を大事にしていることになるんです。



これは意味がないように思えるかもしれませんが、「ガス抜き」というのはこういうものですし、長期的に見て必要な「無駄な事」です。一生懸命に育児、家事、仕事をしている最中にはこうした自分だけの時間つぶしは「無駄な事」で家族を放り出して自分だけ好き勝手する時間を持つことに「罪悪感を感じる」かもしれませんが、必要な緊急処置です。なぜなら、私達は発達障害で本来は自閉することが自然な性質を持っています。過剰に外界に引き出され、自分のペースが乱れ、必死で不測の事態に対処している状態は自分が努力でやれる範囲を超えています。


これを自覚して、自分ひとりの快適さを感じていた生まれ持った自閉の性質を、時々思い出して大事にしていくことも、自分を知る、そして忘れないことの一つの大切な儀式です。この一人でいること、自分のペースがあること、自分はどいういう性質であったかを親になろうとも忘れないことが、親となった時に直面していく様々な「不測の事態」をエネルギーある状態で処理できる、工夫を思いつく余裕が持てる源泉となると思います。




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