故翁長雄志・前沖縄県知事の妻 翁長樹子さんへのインタビュー(概略版) | 群青

故翁長雄志・前沖縄県知事の妻 翁長樹子さんへのインタビュー(概略版)

前話でアップしたかったんですが、ハイライト版で約5分23秒がありましたので、それをアップさせて頂きます。
オール沖縄の気持ち、ここにあり。そう強く感じました。翁長さんの懐の深さ、「直情」で沖縄の戦後をストレートに想われている奥さん。
基地だけでなく、色んなことが若い世代にある・・・。そう簡単なことでは無い・・・と。
「東京」の保革から見える沖縄の基地の争点と沖縄人から見える沖縄は違うんだなと、自分は感じました。翁長さんが言っていた「沖縄のアイデンティティ」は、これからももっと知る必要があるように思います。


 


 

●概略文字おこし

さて、このIWJ岩上さんによる翁長樹子さんロングインタビューを、概略で文字おこしされたものがありました。Shanti Phula9月6日です。よくぞ、聴きながら辿られたものだと思います。
以下、そのまま転写します。ただし、強調文字、フォント着色だと文字数制限を超えてしまいますので、シンプルに。

 

△ 岩上安身による故翁長雄志・前沖縄県知事の妻 翁長樹子さんへのインタビュー/概略

 

翁長知事を側で支えておられたのが、こんなに気丈で聡明で、ご本人曰く「直情径行」まっ直ぐなお方だったとは、知事もたいそう心強かったことでしょう。

 無駄のないストレートな言葉に溢れる想いの詰まった語りから、翁長氏がこれまで政治家として、どのような思想で戦ってこられたのか、そしてご夫婦ともまさに沖縄に身を捧げるような人生だったことがうかがえます。

 

  まず誰もが思う「保守だった翁長氏が野党の立場でオール沖縄に立った時のこと」を聞かれた時の言葉が本質をついています。「沖縄の人はみんな沖縄を愛しているのに、好きでもない基地を挟んで保守だ革新だとやり合わなければならない。その戦いを上で見て笑っている人がいる。あなたの言う保守だ革新だと言うのはヤマト式の保守革新」とスパッと言い当てられました。(5:15〜)

 

  翁長氏が革新陣営から出馬する時の驚きのエピソード(8:00〜)、「実はあの時は、保守・革新両方から知事候補と言われていた。その時、翁長が自民党に言ったのは『僕は辺野古は諦めないよ。必ずあそこは止めるよ。』、革新に言ったのは『僕は自民党だよ。安保容認だよ。』とそれぞれ、どうするんだと痛い確認をした。すると、自民党は『なんとか辺野古だけは諦めていただければ支える』、革新は『なんでもイイ、なんでもイイ』と呼んで下さった。たった一つの条件、辺野古を自民党が認めていれば、あの時は自民党から出馬したと思う。」

 

 「復帰前はアメリカと沖縄が直接対峙しなければならなかった。けれど復帰を経て『ああやっとこれで日本に守ってもらえる』と心から安堵したのに、なんと日本という国はアメリカを背後に沖縄をずっと抑えにかかっている。どっちを向いているんだ!」(12:50〜)

 

 沖縄での意見の違い、立場の違い、選挙結果についても翁長氏は常々「恨みに思ってはいけないよ。ウチナンチューはみんな分かってるよ。心の中はみんな一緒なんだよ。責めてはいけないよ。」と言っておられたそうです。涙の出そうな沖縄への愛が深い言葉でした。(14:30〜)

 

  県庁での辺野古埋立て撤回のための聴聞開始の会見も、私たちが想像していた以上に苦しい病状だったそうで「こんな身体状況で30分しゃべれるだろうか」と初めてご本人が弱気になるほどだったそうです。夫人の言葉を聞くのが辛くなります。(23:00〜)「長い政治家としての思いを込めた会見だったのでしょうね。」と。

 

  謝花副知事や県職員の頑張りも、そしてその時の政府からの卑劣な脅しがあったことも語られています。(36:00〜)

 

  岩上氏が今度の選挙の意味を、翁長氏の遺志を追認するのか否かだろうか、と問うたところ、「そんなにシンプルなものではないけどね。」と即答です。「そういったことに一切関心のない方々も選挙に行くのです。若い世代の生活が良くなった方がいいという感覚で意味もわからず選挙に行く人も多い。」と鋭く世情を見ておられます。「基地に関心がなく深く掘り下げて考えていない、当たり前と思って育った子たち、それは大人たちの責任ですけどね。簡単ではないなと思いました。」(37:55〜)

 

  これまでアメリカとの交渉が全てないがしろにされてきた現状を語り、「日本地位協定は沖縄とアメリカが結んでいるのではないのですよ。日本とアメリカですよ。日本全国民、沖縄県民と同じ立場に置かれてるんですよ!」そこで岩上氏をポンと叩き「頑張ってよ、マスコミ!」「マスコミが権力に媚びてどうするんですか!国民巻き添えですよ!」(43:00〜)

 

 「ねえパパ、70歳近いお爺さんが死んだら、20代の見知らぬ若い女性が泣きながら花束を捧げてくれるなんて、あなた幸せだよ!」

ここでも夫人から、そういう人生を目指して頑張ってね、と喝を入れられる岩上氏。本当にハキハキした気持ちの良い女性です。(47:50〜)

 

  デニーさんについて「今回の選挙ということではなく、将来的に誰を後継にしたら良いか翁長はずっと考えていた。タレントでちょっと軽く見えるけれど壇上の言葉を聞くと鋭い、という夫婦の話し合いはあった。ぶれずに筋を通して頑張っているしね。」(50:00〜)

 

この選挙を弔い合戦と見る人も居ますが、との問いに「弔い合戦は一回で終わるでしょう。そうではない。沖縄のこの戦いは、もう連綿と続いていて、これからも続いて行く。沖縄のこれからをかけて沖縄のために頑張ってもらいたい。私たちが信じている結果にならなくても『恨むなよ』と翁長が言うのはそこなんです。私が弔い合戦と聞いたら怒るよね。」政治の現場を見てこられた夫人のお話を聞くと、本当に厳しいものなのだなとひしひしと感じます。(56:50〜)

 

  全国の知事誰も知らなかったこと、「沖縄は地方交付税も国庫支出金ももらった上に別途、沖縄振興予算ももらえていいねと思われていますけど、あれ、国庫支出金ですよ、と翁長が言うと、その場にいた知事さん全員『え〜!』と言った。」しかも、その振り分けはあの内閣府(!)が握って離さないという非道ぶり。沖縄は基地のおかげで潤っているというデマも平気で流されてきたのですね。(58:40〜)

 

 「(国民が)沖縄を別枠のように考えておられるのが、そろそろ、、辛い。何が違うの?あなたの故郷と同じ私たちの大事な故郷だということを分かってもらいたい。」と強く話されました。(1:02:00〜)

 

やはり実際に身近におられた方のお話を聞くと、いろんな背景が見えてきます。翁長氏は国の出方をよく把握し、承認撤回は最後の手段と位置付けておられたようです。いろんな戦い方があった中で、皆んなと一緒にいろんな証拠を積み上げて行く方法を選んだそうです。だからすぐに承認撤回の手段を取られなかったのか。「もちろんそのような戦い方をしても国は屁でも無いと蹴散らすと思うけれども、沖縄県民はみんな翁長の積み重ねてきたことと、それを国がどう扱ってきたか、ちゃんと見てる。やってもいいけど県民がそれを許すと思ってる?」(1:10:40〜)

 

  最後は、岩上氏に「いつでも良心に照らして、義憤をいつも忘れず、頑張って下さい。」と笑いながらメッセージを贈られました。