「悪妻の汚名なんかヘッチャラ、喜んで着てあげるわ」

あの世でこう申しているのは、切腹作家三島由紀夫の夫人瑤子さんであります。ノーベル文学賞候補にもなり、作品だけでも十分有名だった三島由紀夫。その死に方でさらに有名に。表に出ることが極端に少なかった瑤子さんは夫に同性愛のウワサがついて回ったこともあって、不仲、仮面夫婦に見られていた。本当はどうだったのか、見ていくことにしましょう。、

 

 

三島瑤子と三島由紀夫

 


「慌てて大学中退して結婚したのは失敗だったかもね」

瑤子さんは有名画家杉山寧の長女。日本女子大在学中に三島由紀夫と見合い結婚。21歳、33歳のカップルでした。この結婚は結婚する気のなかった三島が、母親のガン宣告を機に「安心させるため急遽した」と言われたが、実際は瑤子さんが一目惚れして積極的に嫁入りした。格式にこだわる三島家の要請で大学は2年で中退。しかし、学生妻だって別に良かったわけで、この点、妙に母親に忠実な三島に従ったことが、瑤子さんにとって唯一悔やまれること。ただ、結婚を機に三島は軟弱な文学者から少しづつ変身していくことになります。

 

 

 

 

 

結婚数年前から肉体を鍛え始めた


「妻としての役目は100%果たしたつもりよ」

結婚の翌年長女誕生、三島は自宅を造り盛んにパーティを開く。瑤子さんはホステス役を完璧に演じた。三島作品は時代とのズレを生じはじめ、彼はだんだん国粋主義的な思想に傾斜、ついに自衛隊殴り込み切腹に至りますが、壊した自衛隊総監室の調度類の弁償から何から後始末はすべて瑤子さんが仕切り、書誌編纂など夫の作品保護と名誉の保全に力を注いだ。とくに同性愛的なウワサは、あらゆる手段を講じて毅然たる態度を示した。三島との結婚生活はわずか12年間でしたが、あの世の三島も文句のつけようのない賢妻ぶりでした。

 

 

 

 

三島を溺愛した母とともに


「作家としての三島より楯の会の三島が好き」

三島はおばあちゃん子、母親っ子の一面を持っていたが、晩年はそこから脱して行く。そこに瑤子さんの影はありませんが、当時誰にも理解の外だった楯の会結成を瑤子さんはどう見ていたか。文学関係の人より楯の会の若者のほうに親近感を持っていたと思われる。また、仮面夫婦も隠れ蓑で、2人は一緒にUFOを目撃している。心が通じあってなければありえないこと。いろいろ考えると、結婚後の三島の変身には瑤子さんの影響が色濃くあったのかもしれません。あるいは三島の裸の本心を彼女がよく理解していた。どっちかですね。

「世界中で2人しか知らないこといっぱいあるのよ」

 

 

 

 

お坊ちゃまの三島由紀夫(平岡公威)


結婚2年後、2人は世界旅行をする。旅先で海外出版社宛てに三島が送った手紙に瑤子さんのことが書いてある。「私の妻はとってもキュート」。これたぶん本音。三島の死後、息子を溺愛した彼の母親を自宅敷地内の家から追い出し、老人ホームへ送り込んだのも見事。結局、瑤子さんは三島を独り占めしたのです。さて、今日も元気な悪妻の皆さん。あなたは周囲の評判、気にしすぎてませんか。そんなもの無責任なんだから完全無視。どうせ夫が先に死ぬんだし。夫は私のもの、夫のものも私のもの。これこそ妻の特権というものです。

 

 

 

 

文学者三島を育てた祖母夏

 


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