「好きと嫌い」の漢字の由来 | shirablog

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虚構新聞が相変わらず楽しいことをしてますね。テレビや普通の新聞とどちらがネタなのかわからなくなります。

さて、OKwaveでこんなの見つけました。
文字はおもしろい。


『<質問>
こんにちは、中学生です。
最近本読んでて気になったのですが、漢字の「好き」と「嫌」はへんは女を書いていて、それぞれ好は「子」、嫌は「兼」を使っていますが、なぜなんでしょうか?

<回答>
漢字の成り立ちは、いろいろの説があってどれが正しいか決めづらかったり、わかっていないことが多かったりで、正解はわからないというのが正直なところです。
そのせいか、公立高校の入試では15年ぐらい前から成り立ちを問う問題は出題されていません。
ただ、成り立ちを考えることは、漢字の形や意味を覚えるときにとても参考になります。
できれば漢和辞典を自分で引いて成り立ちを確かめてほしいのですが。これからそうしてくださいね。

「常用字解」(平凡社)には、次のようにあります。


「会意。女と子を組み合わせた形。(中略)もと母親が子どもをかわいがることをいう漢字であろう。(中略)母親の子どもに対する愛情の意味から、姿が「うつくしい」という意味、「したしい」の意味となり、すべて状態が良好である(よい)ことをいう。また良好なものを「このむ」の意味にも使う。」


「形声。(中略)音符は兼。兼は二本の禾(稲)を併せて手に持つ形。(中略)二本併せて持つことは、一本の禾のみをとるのに比べて、何か不充分・不満足であるとする意味があるのであろう。(中略)不満足である、あきたらぬの意味を人間関係に移して嫌という。それで嫌は人を「きらう」の意味となる。」

「漢語林」(大修館)では、「嫌」の成り立ちを次のように説明しています。「好」の方は、「常用字解」の方とほぼ同じ説明です。

「音符の「兼」は、かねるの意味。心が二つのことにまたがって安らかでないの意味から、うたがう・きらうの意味を表す。」』


ということで、やはり心は二つを求めるのではなく、一つにまとまっている方が望ましいようです。
「子」という漢字は「一」(はじめ)と「了」(おわり)の組み合わせで、最初から最後までという意味だとtwitterでみました。
なので、○子というのは最初から最後まで○の状態であってほしいという名前だそうです。

変化することは自然で、変わったからどうのとは思いませんが、変わりゆく中でも心が二つにまたがることなく、美しく、よい状態でありたいと思うのです。かんたんじゃないですけど。