http://freeilluminati.blog.fc2.com/blog-entry-25.html


ヒトラーを狂人化した洗脳タヴィストック機関


 グレッグ・ハレットの著書『ヒトラーは英国の工作員だった(Hitler Was A British Agent)』では、戦争はオカルト魔術師が呼び起こした残酷な幻覚であり、その目的は人類を堕落させ、最終的に世界政府の奴隷にすることだとしている。

 ヒトラーが「英国の」工作員だったというハレットの主張は、元諜報部員の怪しげな組織の証言に基づいている。ハレットは証拠書類こそないが、説得力のある状況証拠を提示している。

 たとえば、アドルフ・ヒトラーは1912年から1913年まで英国に滞在しており、その事実は彼の義柿の著書『ブリジット・ヒトラーの回想録(The Memoirs of Bridget Hitler)』(1979年)によって裏づけられている。
しかし、ヒトラーの伝記作家ジョン・トーランドをはじめ、多くの歴史家がこの驚くべき事実を無視してきた(もしハレットが正しければ、トーランドのような歴史家はヒトラーについて不都合な事実を削除し、彼を大物に仕立て上げたという罪を犯したことになる)。

 ハレットによれば、ヒトラーは1912年2月から11月まで、デヴオン州タヴイストックの英国軍心理作戦訓練学校とアイルランドで洗脳の訓練を受けていた。
「軍事機構は戦争を必要とし、〔それは〕その走狗となり、手先となり、傀儡の敵となるために資金提供や訓練、支援を受けた二重スパイ〔が必要であることを意味する〕」と、ニュージーランドを拠点とするハレットは記している。

 ヒトラーの義姉は、リヴァプールの彼女の家へ手荷物もなしにやってきたヒトラーを、惟悸しきった様子だったと述べている。「彼〔アドルフ〕は病気のようだった。ひどく顔色が悪く、目つきも変だった」と彼女は書いている。
「彼はいつも本ではなく、ドイツ語で書かれた小冊子を読んでいた。 
そこに何が書かれていたのか、それをどこから持ってきたのかはわからない」。ハレットはこれらがタヴイストックの訓練用マニュアルだったとしている。

『ヒトラーは英国の工作員だった』は、既存のものとは異なる理論的枠組みを提示している(たいていの場合、私たちは「教育」というフィルターによって間違った理論的枠組みを与えられているため、真実に気づかない)。
ハレットが「英国」と言うとき、それはカルテルのネットワークを支配する富豪の銀行家たちによるフリーメイソンのカルト集団、イルミナチィを意味する。
彼らはロンドンの金融街シティーを拠点としながら、英国をはじめとする多くの国々やイデオロギーを、歴史という人形劇の操り人形として利用している。

 ハレットの主張は、第二世界大戦における数々の不自然な出来事を浮かび上がらせる。たとえば、ヒトラーはなぜダンケルクで33万5000人の連合軍兵士を追撃せず、撤退を許したのか。
この非現実的な命令は寛大な和平工作として説明されているが、もしその軍隊をナチスが捕虜としていたら、英国はその後の戦闘でもっと従順だったはずだ。

1940年5月のナチスの勝利は、第一ラウンドでのKO勝ちのようなものだった。
イルミナティはその戦争をそれほど早く終わらせるつもりはなかったし、ナチスに勝たせるつもりもなかつたのだ。

 英国が劣勢にあった1940年夏、ナチス情報部長官のヴイルヘルム・カナリス海軍大将はルーマニアの外相プリンス・ミヘル・ストゥルザに、「戦争に勝つのは英国なので中立を守るように」と言った。 彼はこのメッセージをスペインの独裁者フランコにも伝えた。




 ハレットの理論はまた、ユダヤ人銀行家の第一の敵とされたヒトラーが、ほとんど周知の事実であったロスチャイルド家による英国(および米国)支配について、なぜ知らないふりをしたかも説明している。 もしヒトラーが本気であったなら、ロシアを攻撃する前に英国へ侵攻していただろう。

 ハレットの仮説は次のような疑問に答えている
(1)なぜヒトラーは報復を恐れることなく、ラインラントなどへ拡大できたのか?
(2)なぜナチスの軍事機構はイルミナティに支配されたイングランド銀行や英米企業の有力者から資金援助を受け、構築されたのか?
(3)なぜヒトラーはジブラルタルで地中海を封鎖しなかったのか?
   そしてなぜスペインの独裁者フランコはスペイン内戦でナチスに巨額の借金をしていたにもかかわらず、中立を守ったのか?
(4)なぜIGファルベンのフランクフルトの本社は爆撃されなかったのか?(この建物は戦後CIAのドイツ本部となった)、
(6)なぜイングランド銀行はプラハを占領したヒトラーに対して、ロンドンに預託されていたチエコの金準備を与えてそれに報いたのか?

 それはヒトラーがなぜ戦争に勝つことよりも、愚かな人種政策を優先させたのかという疑問にも答えてくれる。
彼はソ連を倒すために何百万人ものスラヴ人(やユダヤ人) の協力を得ることもできたはずだ。にもかかわらず、ヒトラーは彼らを和解しがたい敵にした。

 さらに、なぜドイツの同盟国である日本はロシアではなく米国を攻撃したのか、なぜナチスはその情報が漏れていることを知らなかったのか、なぜヒトラーはその機会があったにもかかわらず、ロシアや中東の油田を獲得しなかったのかといった疑問もある。
もうおわかりだろう。そこには裏工作があったのだ。

 ヒトラーはソ連に侵攻することで、英米の資本家たちに役立っていると思っていたのかもしれない。おそらく彼は自分(とドイツ)が騙されていることを知らなかったのだろう。

ロスチャイルド血縁者・ヒトラーとは何者だつたのか

 何よりも不自然なのは、オーストリアの浮浪者であり、清掃作業員であり、男娼であった男がドイツの首相になれたということだ。
ヒトラーは卑しい身分でありながら、目に見えないカを借りて一躍世界に名を馳せた者たちの一人で、恐喝されてもおかしくない人物だ。

 ハレットはヒトラーの祖父がネイサン・マイヤー・ロスチャイルドであると記している。
ヒトラーの祖母マリア・シクルグルーバーは、ロスチャイルド家のウィーンの屋敷で女中をしていたとき、悪魔崇拝の儀礼強姦によって「恐怖のうちに」、彼の父アロイスを身ごもった。ロスチャイルド家は一族の間でしか結婚できないため、匿名の工作員として働く非摘出子をつくつた(これはイルミナチイの定法のようだ。あくまで噂の域を出ないが、ビル・クリントンもロックフエラー家の人間だという巷説がある)。

 ヒトラーの祖母は、おそらく彼の祖父の仲介者だったユダヤ人実業家から養育費をもらっていた。
ブリジット・ヒトラーは彼の妹パウラのこんな言葉を引用している「〔アドルフが〕人種政策を始めてから、アドルフと私には祖父がいないの。望めば誰だってそこからうまい取引ができるはずよ」(『ブリジット・ヒトラーの回想録』)



                               
 ロスチャイルドの息子、アロイス・ヒトラーは姪のクララと三度の結婚をし、彼女がヒトラーの母親となった。父親は虐待的で、母親は過干渉だった。18歳で母を亡くし、極貧となったヒトラーは、同性愛者のたまり場だったウィーンの男性用宿舎で暮らした。

 ドイツの歴史家で教授のロータル・マハタンによれば、ヒトラーはミュンヘンとウィーンの両方で男に嫌がらせをしたという長い前科を持つ同性愛者だった。
こうした調書はロシアと英国にも届いたが、それが宣伝に使われることは一度もなかった。
これはその戦争が茶番だった可能性を示すさらなる証拠である(マハタン『ヒトラーの秘密の生活』)。

世紀の殺戮者はこうして形成された

 ハレットによれば、ヒトラーは1912年、ドイツ語で行なわれる訓練を受けるために英国へ向かった。
この「訓練」とは、その後のドイツにおける彼の役割を意識に植えつけ、聴衆を魅了する方法を学ばせるものだった。

 それにはトラウマとなるような洗脳も含まれていた。
残虐行為を見せられ、性的虐待を受ける様子をすべて撮影されることにより、「もう一人の自分」の意識が粉々に打ち砕かれる。そして様々な意識の断片が心にプログラムされ、特別な暗語によってアクセスできるようにされる(イルミナテイによるマインドコントロールの詳細については、フリッツ・スプリングマイヤーとシスコ・ウイーラーの著書が参考になる)。

 ヒトラーは1922年五月にドイツヘ戻り、ドイツ軍に入隊した。
第一次大戦中、彼は伝令係を勤め、英国軍に二度捕まったが、いずれの場合も英国諜報部の「ホモ」によって処刑を免れた。

 ハレットによれば、ヒトラーには自分の上で女性に排便させるという嗜好があった。また、彼は性器が小さく、皐丸が一つしかなかった(ヒトラーが付き合った女性の多くは自殺した。生涯の恋人は姪のゲリだったが、彼のお抱え運転手の子供を身ごもった1931年にヒトラーによって殺された。
マハタンはヒトラーが真に愛していたのはそのお抱え運転手だったとしている)。

 ナチスの同性愛の詳細については、「ピンクの鈎十字(The Pink Swastika)」のサイトを参照していただきたい。