低脳劣等民族日本人に告ぐ

資料:岸信介から安倍晋三まで…首相一族の「在日人脈」と「金脈」

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・【日韓国交50年】岸信介から安倍晋三まで…首相一族の「在日人脈」と「金脈」(Daily NK 2015年3月5・6・7日)

※日本と韓国は今年、国交正常化50周年を迎える。両国関係はいま、従軍慰安婦や領土問題をめぐり「最悪」とも言える状態にある。しかし、日本国総理大臣の座にある安倍晋三の一族が、政治家として他に類を見ないほど朝鮮半島と深い縁を結んできたことも、また事実なのだ。

地元・山口県と韓国にまたがる「王国」を築く

手元に、1冊の写真集がある。タイトルは「関釜フェリー就航記念アルバム」。1970年に編纂された非売品だ。当時から在日本大韓民国民団(以下、民団)の活動に関わってきた下関在住の在日コリアン(以下、在日)2世の男性は、「ごく限られた人々に配布されたのでしょう。私も初めて見るものだ」と驚く。

1965年に国交正常化した日韓両国にとって、韓国・釜山との間を往復する関釜フェリーの就航は、新時代の訪れの象徴だった。アルバムの70枚を超える写真からは、当時の興奮がひしひしと伝わってくる。



関釜フェリーの就航式典に参加した岸信介(前列右)/「関釜フェリー就航記念アルバム」より

その中に、山口県を地盤とするふたりの政治家の姿がある。国交正常化の立役者となった元総理の岸信介、そしてその娘婿であり、安倍晋三総理の父でもある晋太郎だ。日韓協力委員会初代会長の岸の名は、アルバム巻末の関係者名簿の筆頭に掲げられている。

岸と晋太郎、晋三は三代にわたり、朝鮮半島、そして在日の人々ときわめて密接な関わりを持ってきた。下関の街を歩くと、その縁の深さを示す手掛かりがいくつもみつかる。

JR下関駅から車で5分。関門海峡に面した所に、室町から江戸時代にかけ日本を訪れた外交使節団「朝鮮通信使」の記念碑が建っている。2001年、地元政財界の有志が建立したもので、碑の裏には晋三の名も刻まれている。「朝鮮通信使上陸俺留之地」と揮ごうした韓国の金鐘泌(キム・ジョンピル)元首相は、岸や晋太郎と親交を結んでいた。

父親が晋太郎の支援者だったという在日2世のパチンコ店経営者は、「金元首相が下関に来たときには、私の父や地元の民団幹部が晋太郎さんといっしょに食事をしていた」と懐かしむ。

下関駅前のコリアンタウン「グリーンモール商店街」には、64年間営業を続ける食堂「アリラン」がある。晋三が常連で、店内には本人が「福」と墨書した色紙や、昭恵夫人といっしょに訪れた際の写真が飾られている。

在日1世の店主、鄭順さんは話す。

「(晋三は)奥さんとふらりとやってきて、ホルモン鍋を食べて行く。偉くなってからは、店がボディーガードであふれたこともあった。最近は忙しいからか姿を見せないけど、本当に気さくでいい人」

韓国情報機関と旧日本軍人脈

1993年までの中選挙区時代、岸は生家のあった山口市を含む旧山口2区を、晋太郎は郷里・油谷町(現長門市)や下関市などからなる旧山口1区を選挙区としていた。

その後、小選挙区比例代表並立制に移行してからも、下関と長門(山口4区)は晋三の地元だ。

下関の地名は、在日韓国・朝鮮人にとって特別な響きを持っている。戦前戦中には関釜連絡船が年間200万人を運び、半島から労働力として送り込まれた人々が、後に在日コミュニティーを築いた。戦後は故郷に帰る人々を送り出す一方、朝鮮総連と民団が凄惨な抗争を繰り広げたこともあった。

現在、下関市に暮らす在日外国人のうち、韓国・朝鮮籍の人は約 2900人。留学生なども含まれる数字だが、大多数が戦前に渡ってきた人とその子孫だ。

下関市の全人口(約27万人)に占める在日の比率は1パーセントで、全国平均(0.4%)の倍以上だ。日本国籍を取得した人とその家族を加えれば、下関の在日人口は万を超える。

そんな土地柄にあって、地元選出の政治家と在日の関係が深まるのは何ら不思議なことではない。

だが、現地を取材する中で改めて見えてきたのは、岸から晋三に至る三代の政治家が、「単なる近所づきあい」ではくくれないほど、在日社会と深い因縁を結んでいる事実だった。

日韓国交正常化からこれまでの間に、韓国経済は世界でも稀に見る高度成長を遂げた。その“元手”となったのが、国交正常化に際して日本が提供した無償3億ドル・有償2億ドルの経済支援であったのは論をまたない。

1961年5月、クーデターで政権を掌握した韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)少将(後に大統領)は、1951年に予備会談が開始されて以来、10年以上にわたり難航していた日韓国交正常化交渉を一日も早く妥結させ、日本の賠償金で経済復興を成し遂げることを急務としていた。

交渉打開の糸口を探るため、韓国中央情報部(KCIA)が頼ったのが、海軍特務機関出身の児玉誉士夫や、戦時中に上海で「大陸新報」を発行していた、国策研究会常任幹事の矢次一夫だった。

日韓漁業協定で繁栄した下関

満洲国の元高官だった岸は、そうした人脈の仲介でKCIA幹部の崔英沢(チェ・ヨンテク)と赤坂の料亭で面会。ふたつ返事で協力を約束し、政界の根回しに動いた。

そういった経緯を考えれば、岸は韓国経済にとっての「大恩人」と言えるのかもしれない。

しかしその一方、岸が日韓国交正常化を踏み台に、地元・山口県と韓国にまたがる「王国」を作り上げた事実はあまり語られていない。

ある週末の夜、下関の繁華街・豊前田の通りを歩いた。飲み屋街も人影はまばらで、地元経済の衰勢は覆いようもない。

「昔はこんなんじゃなかった。漁船員や水産関係者が落とすカネだけでもたいへんなものだったし、東京や大阪からの出張客も毎日のように来ていた」(地元の料理店主)

1960年代、下関漁港の水揚げ量は日本一を誇り、地域経済は繁栄をきわめていた。

そのきっかけになったのが、他ならぬ日韓国交正常化だったのだ。

韓国の初代大統領・李承晩は1952年、「海洋主権を守る」として日本海と東シナ海に一方的に軍事境界線(李承晩ライン)を引き、排他的経済水域を設定。ここに入った日本の漁船をことごとく拿捕し、約4000人もの船員を抑留した。その大部分が山口県民であり、岸の元には早期救出を求める陳情が殺到したという。

そして、国交正常化と同時に日韓漁業協定が締結され、李承晩ラインが撤廃されると、下関を母港とする漁船団の漁場は一気に拡大。山口県経済の隆盛を呼んだのだ。地元財界人が言う。

「当時、下関に本社のあった大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)は、東大卒の新入社員を取り放題というほど勢いがあった。漁業だけでなく関連産業も潤い、巻き網やウインチの製造で世界のトップを占めた会社もある。それらの業者がことごとく岸さんの応援団になり、もちろん献金もした」

暴力団「東声会」会長・町井久之

岸はまた、町井久之をはじめとする在日の有力者とも人脈を広げていた。

町井は、本名を鄭建永という。1923年、東京に生まれた町井は戦後、在日を中心に1500人の無頼漢を糾合し、暴力団「東声会」会長として名をはせた。政界の黒幕・児玉誉士夫とはとくに親しく、その政界人脈を足掛かりに、日韓国交正常化交渉の水面下で橋渡し役を果たした。

この時、岸と町井は児玉を介して接近。それ以降、岸は町井のパーティーにちょくちょく顔を出すようになり、町井が六本木に巨大な複合ビル「TSK・CCCターミナル」を建てると、主賓として竣工式に招かれている。

町井は愛国者であると同時に、商売にも貪欲だった。国交正常化後、ソウル市地下鉄開発など巨額の日韓ビジネスを差配していた岸は、町井が利権に食い込むための最重要パートナーであり、両者の協力関係は下関にも及んだ。



初めての航路に就く関釜フェリー/「関釜フェリー就航記念アルバム」より

実は、冒頭で触れた「関釜フェリー就航記念アルバム」は、町井の生前の書棚に所蔵されていたものだ。しかし、巻末に記載された関係者名簿に、彼の名前を見つけることはできない。

「それでも、関釜フェリー就航が町井さんの尽力によるものだったのは間違いありません。昔のこととは言え、暴力団の親分だった町井さんが、岸さんと名前を並べるのははばかられたのでしょう」(前出・パチンコ店経営者)

岸が日韓国交正常化を踏み台に築いた王国と人脈は、彼の秘書官を経て政界に打って出た晋太郎にも受け継がれた。その上、晋太郎は在日とのパイプをさらに太いものに育てていく。

派閥政治とパチンコマネー

岸信介が日韓国交正常化を踏み台に、地元・山口県と韓国にまたがる形で築いた「王国」と人脈は、彼の秘書官を経て政界に打って出た娘婿・安倍晋太郎(晋三の父)にも受け継がれた。その上、晋太郎は在日コリアン(以下、在日)とのパイプをさらに太くしていく。



関釜フェリーの就航式典に参加した安倍晋太郎/「関釜フェリー就航記念アルバム」より

かつて晋太郎が住み、いまは晋三名義となっている敷地面積2千平方メートルの豪邸は、下関市街を見下ろす高台に建っている。

この家のかつての持ち主の名は、吉本章治という。福岡市に本社を置くパチンコ店チェーン・七洋物産の創業者で、日本に帰化した在日1世である。

晋太郎は長らく、自宅と地元事務所を七洋物産の子会社から格安で賃借していたほか、福岡事務所をタダで借り、スタッフの提供まで受けていた。自宅は後に晋太郎が購入しているが、地元事務所は現在まで借り続けている。

“トラブル処理”に強い人脈

吉本は下関で商売を始め、地盤を九州に広げつつ成功を手にした。

数年前に80才で他界した吉本は生前にも、晋太郎については「生きる姿勢が在日と良く似ている」「本当に気のいい男だ」などと語るだけで、深い部分については容易に語ろうとしなかったという。

下関出身の在日の会社経営者によれば、吉本は地元の“トラブル処理”において、きわめて強い人脈を持っていたという。

「吉本さんは若い頃、訳あって妻子の元を離れていた時期があったんです。その間、彼の妻子の面倒を在日の鯨肉業者が良く見ていました。
その後、この業者の次女が、ある画家に嫁いだ。映画館の看板を描いていたその画家は、なかなか腕前がよく甲斐性もあったのですが、父親が死ぬとその遺言を受けて、下関のトラブル処理に関わる“稼業”を継がねばならなくなった。そうなって以降、商売に成功して鯨肉業者に恩義を感じていた吉本さんが、その“稼業”をバックアップしていたのです」

「トップ当選」を果たすために

また、吉本のそうした人脈は、安倍家ともつながっていったという。

「吉本さんは、北九州地域の“トラブル処理”に強い影響力を持っていたK氏という人物とも親密でした。安倍家の人間の中には、吉本さんの奥さんやK氏の夫人と海外旅行などに出かけていた女性もいます」

興味深いのは、晋太郎が在日の支援を受けなければならなかった理由だ。

意外かもしれないが、もともと晋太郎の選挙地盤はぜい弱だった。中選挙区時代に晋太郎が立候補したのは旧山口1区だが、岸の地盤を継いだわけではなく(岸は旧山口2区)、落下傘候補に近い。実際に2回目の選挙では落選の憂き目にあっている。地元政界の事情通が話す。

「旧山口1区の定数は4議席で、3つを自民党候補が分け合い、残りを社会党が取る構図が定着していました。次期総理をねらうには単に当選するだけではダメで、トップ当選が至上命題だった。
しかも、晋太郎さんには林義郎元蔵相という強力なライバルがいました。林家は下関の三大名家のひとつで、サンデン交通や山口合同ガスといった地元大手企業のオーナー筋に当たる。それに勝つために、晋太郎さんは中小企業を幅広く糾合する必要があった。
在日の企業は資金力があり、多くの従業員を抱えていた。帰化していれば献金しても問題ないし、従業員はほとんどが日本人ですから、票集めの上でも無視できなかったはずです」

児玉誉士夫と町井久之が号令

また、晋太郎は地元での票の取り合いに加え、中央政界での権力闘争でも勝ち抜かなければならなかった。時は、派閥政治の全盛期である。総理の座をつかむには、カネはいくらあっても足りない。

ちょうどその頃、下関では日韓国交正常化で商機をつかんだ在日の商売人が急速に力を増していた。

ある在日の水産業者は漁獲だけでなく、「副業」からも莫大な収入を得たという。

「むかし、貧しかった頃の韓国では日本製の腕時計がたいへんなステータスで、安いモノでも高く売れた。しかし普通に輸出したのでは高率の関税がかけられる。そこで、船員たちの下着に時計をいくつも縫いつける方法で密輸したんです。だから下関の時計屋は縫い子の女性をいっぱい雇っていたものです」(前出・在日の会社経営者)

水産業以外の商売でも、在日はおおいに潤った。

「下関の全盛期、漁師たちは大金を握りしめて陸に上がり、酒にオンナ、博打で湯水のように使った。在日はもともと、水産業よりそっちの商売が強かった。大きくなったパチンコ屋は、あのとき商売の土台を築いたんです」(同前)

その後、下関の水産業は乱獲のため水揚げが減少。急速にパワーを落として行った一方で、バブルの追い風を受けたパチンコマネーは拡大を続けた。

地元の在日が日々稼ぎだす膨大なキャッシュに、総理の座をうかがう政治家が魅力を感じないはずもない。

一方、在日の中からは、こんな話も聞こえる。

「岸さんが児玉さん経由で、町井さんに晋太郎さんへの支援を要請したと聞いています。韓国民団草創期の大幹部だった町井さんは、下関にも仲間が多く、いくらでも号令をかけることはできましたから」(同前)

もっとも、町井から声がかからずとも、下関の在日が晋太郎を支援する理由はいくらでもあった。韓国と北朝鮮の国力に今ほど大きな差がなく、冷戦下で熾烈な体制間競争が繰り広げられていた時代である。「未来の総理」と親交を深めることは、韓国系の民団と北朝鮮系の朝鮮総連の双方にとって重要な課題だったのだ。

週刊誌が報じた「黒い交際」写真の真実

安倍晋三首相の父・晋太郎は1974年、農林大臣(当時)として初入閣している。晋太郎に接近し、漁獲や水産物輸入枠の割り当てで便宜を図ってもらおうと考える水産業者は日本人にも在日コリアン(以下、在日)にもいたという。

「実際、晋太郎さんの関係者の助力を得て、実績を大きく伸ばした在日の水産業者もいます。その会社は晋三さんの代になっても支援を続けている」(前出・政界事情通)



安倍晋三首相/首相官邸ホームページより

晋太郎はさらに内閣官房長官、通産相、外相とキャリアを重ね、権力の階段を着々と登って行った。

晋太郎が「未来の総理」として嘱望されるようになったこの時代、韓国と北朝鮮の国力には今ほど大きな差はなく、両国は冷戦の真っただ中にあって熾烈な体制間競争を繰り広げていた。

韓国では1980年5月に光州事件が発生。軍の介入によって市民に多数の犠牲者が出たことで、クーデターで権力を握った軍事政権に対し、国際社会は厳しい視線を向ける。一方、経済力で韓国に差をつけられつつあった北朝鮮も焦りを募らせていた。巻き返しが思うように行かない危機感の表れか、1983年にはラングーン爆弾テロの暴挙に打って出る。

民団・総連の双方とパイプ

こうした本国の事情は当然、在日本大韓民国民団(以下、民団)や在日本朝鮮人総連合会(以下、朝鮮総連)にも影響を与えた。日本政界のニューリーダーである晋太郎と太いパイプを持つことが、重要な課題となったのだ。

「実際、晋太郎さんは民団とも総連とも全方位で付き合っていました。下関には呂成根(リョ・ソングン)さんという総連の大物商工人がいたのですが、その方とも相当に親しかった」(同前)

安倍晋太郎・晋三一家に40年余り家政婦として仕えた久保ウメは、かつて雑誌のインタビューに応え、晋太郎についてこんなことを話している。

「お棺に入れるときにあの人の骨格、あれはやっぱり日本人のものじゃないと思ったの。肩の幅から下までまっすぐに定規を引いたみたいな。
これは完全に韓国の体形。自分で『僕は朝鮮だ、朝鮮だ』と言っていたけども、なるほどこれは朝鮮だなと思った。だから、あっちですごくモテたってよ」

そんな晋太郎は生前、山口県の在日の間で絶大な人気を誇ったという。

「人柄が素晴らしいんですよ。悪く言う人はひとりもいない。いまだって人気は色あせていません」(民団幹部)

一方で、晋三はどうか。

初陣の「逆風選挙」でも在日が支援

晋三が初めて立候補したのは、自民党が下野した1993年の衆院選である。地元では晋太郎の系列だった県議が反旗を翻して対立候補となり、突然の逆風に見舞われた。

そんな中でも、父の代から安倍家を支えた在日は晋三の応援を続け、経営するホテルの従業員とともに「エイエイオー」とエールを送った経営者もいた。

「あの時は、秘書や支援者の一部も反対陣営に回った。在日の義理堅さは有難かったでしょう」(地元紙記者)

地元の在日の間で、晋三の人柄に対する評判は必ずしも悪くはない。

「孫の披露宴には、札幌から駆け付けてくれました。本当に義理堅い人です」(アリラン食堂の鄭さん)

「国籍や民族で、分けへだてする人じゃありません。在日の人ともフランクに付き合っていますよ」(安倍事務所の関係者)

もっとも晋太郎の時代と比べると、晋三と在日の付き合い方には変化も見える。前出の在日2世のパチンコ店経営者がいう。

「晋太郎さんと父たち在日1世の時代には、政治家との付き合いに対する世間の目も大らかだったんです。外国人献金がどうのと、あまり細かいことはいわなかった。ところが今では、10万円や20万円の献金でも叩かれる」

とはいえ、晋三の周辺から、在日人脈がまったく消えてしまったわけではない。

晋三の下関にある地元事務所は、晋太郎の後援者であった在日系企業・七洋物産の子会社から今も借りているし、晋太郎の助力で業績を伸ばした在日の水産業者は、晋三の代になっても支援を続けている。

もちろん、日本に帰化していれば、彼らが献金などの形で晋三を支援することに何ら問題はない。

また、下関出身のある在日の実業家は、晋三に様々な人脈をつないでいる。

晋三の隣に立つ大物金融ブローカー



『週刊ポスト』は2012年10月26日号で、「安倍晋三『黒い交際写真』の謀略」と題する記事を掲載した。その写真は議員会館の安倍事務所内で撮られたもので、晋三をはさんで2人の男性が写っている。

晋三の右側に立ち、白い歯を見せて笑っているのは、米国の元アーカンソー州知事、マイク・ハッカビーである。共和党の大物政治家で、 2008年の大統領選(党予備選)にも出馬して善戦した。ハッカビーは同年6月に来日しており、写真はそのときに撮られたものだ。

『週刊ポスト』が「黒い交際」として問題視したのは、晋三の左側に立つ、短髪で白いスーツ姿の男性である。「山口組の金庫番」とも言われた在日2世の大物金融ブローカーで、総連にも民団にも太いパイプを持つ。男性は写真が撮られた数年後、中堅ゼネコンの架空増資事件に絡み有罪判決(貸金業法違反)を受けている。

もっとも、件の写真が撮られた経緯は、いたって単純なものだった。晋三の関係者が話す。

「晋三さんの地元の有力後援者に、米国のハッカビー氏から『安倍さんを紹介して欲しい』と打診があり、すぐにオーケーしました。ところがハッカビー氏の到着当日、大統領選の候補者の送迎にふさわしい車両の手配が出来ていなかったんです。そこで件の在日男性が、『タクシーに乗せるわけにもいかんだろう』と、自分のロールスロイスを出してくれた。そういう流れで本人も同行し、写真を撮っただけなんです」

北朝鮮中枢につがなる「力道山人脈」

ちなみに、晋三にハッカビーをつないだ在日の実業家はアントニオ猪木とも親しく、北朝鮮にも複数回にわたり渡航したことがあるという。

本人に渡航の目的をただすと、「政治的な意味はありません。帰国事業で向こうへ渡った親族に会いに言っているだけ」との回答があった。

それがウソでないにせよ、この後援者が、猪木と晋三の会談の場を提供したことがあるのも、また事実だ。そして、猪木が連なる「力道山人脈」(関連記事)は、北朝鮮の権力中枢に近いところにいた。

ほかにも、北朝鮮や韓国に特殊な人脈を持つ在日は、晋三からそう遠くない所に少なからずいる。今のところ、晋三がそうした人脈に手を伸ばした形跡はないが、岸や晋太郎ならば存分に活用したはずだ。

今後、晋三が在日とどのように関わっていくのかはわからない。

しかしいずれにせよ、岸信介から安倍晋太郎、晋三と三代にわたる政治家一族が在日人脈を政治的な「資産」として運用し、自らのパワーに取りこんできたのは、紛れもない事実なのだ。

・「力道山ファミリー」が張成沢の復権後に出世街道まっしぐら(Daily NK 2009年11月21日)

※日本でプロレス界の第一人者として認められた朝鮮生まれの力道山(本名キム・シルラク)の娘婿や家族が、北朝鮮の権力の核心部に進出して出世街道を走っていることを、日本の毎日新聞が20日に報道した。



力道山の故郷は現在の北朝鮮にある

新聞はこの日、北京発の記事で「いずれも金正日(キム・ジョンイル)総書記の義弟である張成沢(チャン・ソンテク)朝鮮労働党部長に近い人物で、一時失脚していた張氏が最近復権したことで取り立てられたらしい」と伝えた。



新聞によれば北朝鮮で取り立てられた人物は力道山の娘婿、朴明哲(パク・ミョンチョル、68)氏と2人の妹たちだ。朴明哲氏は今年初めに国防委員会の参事に抜擢され、朴氏の妹朴明善氏(推定67歳)は9月に副首相に登用されたという。

国防委員会は北朝鮮の最高権力機関で、国防委参事は権力中枢に非常に近い職責だと新聞は説明している。

また、下の妹(氏名不詳)は張氏の妻で金正日の妹、金慶喜が部長を務める労働党軽工業部の副部長を務めている。

新聞は「北朝鮮は9月、力道山の弟子であるアントニオ猪木さん(66)に平壌事務所開設を許可しているが、この背景にも力道山の親族の台頭がある可能性がある」とも分析している。

北朝鮮政権に近い関係者によれば、金正日は朴明哲氏を参事に任命して、「左遷先で墓地を探したか?」と声をかけたという。この関係者によるとこれは「墓地を作れるほど現地で苦労したという意味で、一種のねぎらいの言葉」であり、「明哲氏は喜びの撫??bゥべたという」と新聞は伝えた。

朴明哲氏は2002年釜山アジア大会で選手団を引率した北朝鮮体育会の大物で、北朝鮮五輪委員会委員長や体育相などを歴任したという。明善氏は1990年代から内閣対外奉仕局長を務め、組職拡大などで功績があったと新聞は伝えている。

3兄妹の父親であり力道山とも姻戚関係にある朴ジョンホ氏も、金日成に近い存在で、対南工作部門で功績があったといわれている。

・総連本部とはいったい何なのか(Daily NK 2015年1月23日)

※在日本朝鮮総連合会(総連)中央本部の土地・建物が、競売で落札した香川県高松市の不動産会社マルナカホールディングスから、山形県酒田市のグリーンフォーリストに44億円で転売されるニュースが話題を呼んでいる。しかしマスコミ各社の報道に、総連本部ビルがいったいどういうもので、それが転売されることにどのような意味があるのかを解説したものは、あまり見られない。ここでは、総連発行の資料や総連関係者の証言をもとに、総連本部ビルの知られざる歴史と実態を解説する。

花見客の間で光る警戒の目

靖国神社をのぞむ好立地

報道で一般的に「総連本部」と呼ばれる東京都千代田区の建物は、正式名称を「朝鮮会館」という。

JR飯田橋駅西口を出て外堀公園の遊歩道を市ヶ谷方面に進み、東京逓信病院の手前を左に折れると、外塀に青瓦をのせた建物が坂の上に見える。これが朝鮮会館だ。

春には、外堀公園の桜並木を目当てに辺りを散策する花見客も少なくないが、機動隊員が警戒の目を光らせるこの一角だけは空気の華やぐことがない。

航空写真を見ると、ちょうど法政大学と白百合学園、靖国神社、角川書店に囲まれた位置にある。しかし付近に立てられた地図板には、なぜかこの会館の名前だけが示されていない。総連が北朝鮮の「大使館的な役割」を主張し、固定資産税の免除を主張してきたことを考えると奇妙なことと言える。

会館の歴史については、総連発行のハンドブックに次のように説明されている。

朝鮮会館(朝鮮総連中央本部)の足あと

朝鮮総連と在日朝鮮人の団結の象徴であり、愛国愛族の心の結晶である朝鮮会館。
1986年9月25日に竣工した地上10階、地下2階の新しい会館は、東京都千代田区富士見町の高台に位置している。
朝鮮総連の結成当時、産別会館(東京都港区新橋)にあった中央本部は、1956年8月25日、新宿区信濃町に建てられた新会館に移った。しかしこの会館は、反動分子の放火により1960年6月19日、焼失した。
そのため朝鮮総連中央本部は、朝鮮新報社(東京都新宿区筑土八幡)、在日朝鮮留学生寄宿舎(豊島区西巣鴨)を転々とし、1963年4月15日に竣工した、以前の会館(現在と同じ場所)に移った。朝鮮総連の拡大発展にともない、現在の会館が新たに建設されるあいだ、朝鮮総連中央本部は1985年5月から1986年9月まで、臨時に朝鮮出版会館(東京都文京区白山)へ事務所を移していた。

ちなみに、朝鮮会館の建設を請け負ったのは、朝鮮学校の校舎建設などで総連と付き合いの深かった大成建設。日本経済がバブル経済に沸いていた中でのことでもあり、数十億円の建設費はすべて、全国の商工人からの寄付で賄うことができた。

会館の建設は、総連の寄って立つ基盤がまだまだ磐石であることを示していたとも言える。

金正日「就任パーティー」に居並ぶ政界重鎮

金日成と韓德銖



金日成主席と総連初代議長の韓德銖氏

「与党訪朝団」計画の総司令部

総連本部(朝鮮会館)はかつて、北朝鮮の実質的な在外公館としての役目を堂々と果たしていた。総連の元幹部は語る。

「1990年の金丸訪朝に当っては総連が調整役となり、中央本部の対外部門である国際局の幹部たちが、内閣情報調査室と秘密裏に接触を重ねました。そうした役割のピークはたぶん、1995年ごろでしたね。

この年の3月、自社さ連立3与党が渡辺美智雄、久保亘、鳩山由紀夫の各氏を代表とする訪朝団を平壌に送り、日朝国交正常化交渉再開で朝鮮労働党と合意したのです。このときも、総連の国際局が調整に動きました。前年、核問題で戦争の瀬戸際までいった米朝関係が電撃的に改善した後だっただけに、これで日朝関係も変わるとの期待を強く持ったものです。

総連は故金正日総書記の誕生日(2月)や故金日成主席の誕生日(4月)に際し、北朝鮮の建国記念日(9月)に際し、政界やマスコミ関係者を朝鮮会館に招いて祝賀宴(立食パーティー)を催します。

95年4月の祝賀宴には3与党訪朝団の代表が顔をそろえました。とくに渡辺さんのような保守派の重鎮が来たことは画期的でした。あの頃、渡辺さんは“次期総理”と噂されている人でしたから。この年は、7月8日の金日成主席の1周忌にも、渡辺さんや自民党の野中広務さん。土井たか子衆院議長らが献花に訪れています」

しかしその後、日本人拉致の追及は核・ミサイル開発に伴う日朝関係の暗転とともに政界要人の足は次第に遠のいた。以前は機関紙が、参加した国会議員の名を誇らしげに掲載して組織の威信を示していたが、最近では「日本の政界人士」としか書かれていない。

祝賀宴の参加者として有力政治家の名前が列挙されたのは、おそらく1997年が最後。10月23日に行われた金正日の党総書記就任を祝うパーティーには、次のような面々が参加した。

土井たか子・社民党党首、伊藤茂・社民党幹事長、野中広務・自民党幹事長代理、中山太郎・自民党外交調査会会長、林義郎・元蔵相、堂本暁子・新党さきがけ議員団座長、鳩山由紀夫・民主党幹事長、石井一・新進党幹事長代理、久保亘・民主改革連合最高顧問、矢田部理・新社会党委員長、谷洋一、久野統一郎、馳浩、上原康助、大脇雅子、田英夫、清水澄子、中西績介、海江田万里、大畠章宏、肥田美代子、金田誠一、山元勉、梶原敬義、伊東忠治、山崎力、鈴木正孝、坂上富男、武田邦太郎、細川律夫、常田享詳の諸氏をはじめとする国会議員、近藤龍夫・朝日イブニングニュース社長、滋野武・NHK報道局長、石川一彦・日本テレビ報道局長、三辺吉彦・TBS報道局長、早川洋・テレビ朝日報道局長、渡辺一彦・テレビ東京報道局長(以上、総連機関紙の紹介順による)

しかし1997年以降、テポドン発射(98年)や朝銀の資金流用をめぐる強制捜査(01年)、金正日氏が日本人拉致を自白(02年)したことなどが相次いだのを受けて、総連本部は日本の政治家にとって完全に禁断の場所となった。北朝鮮とパイプを持つアントニオ猪木参院議員らがたまに訪れることはあっても、与党有力者が訪問することはなくなっている。

「別にシンボルではない」と元幹部は語る

強制捜査から競売へ

総連は結成以来、一貫して公安の監視対象だったが、本部が警察の捜索を受けたのは2001年11月29日が初めてだった。警視庁捜査2課は同年10月から、在日朝鮮人系の朝銀東京信用組合を舞台にした資金の不正流用事件の捜査に着手。実質的な上部団体である総連幹部の関与が疑われたことから、富士見町の本部を家宅捜索する運びとなった。

同事件では、総連本部の元財政局長、朝銀東京の元理事長らが逮捕され、有罪判決を受けている。

その後、総連本部の土地建物は、整理回収機構(RCC)によって競売に付される流れをたどる。発端は、破綻した朝銀の1兆5千億円を越える不良債権だ。それを補うために約1兆4千億円の公的資金が投入された。

朝銀の不良債権を引き継いだRCCは、そのうち約627億円が総連が絡んだ不正融資だと主張。総連側が在日の商工人などの名義を使用するなどして、迂回融資を受けていたというものだ。この主張が裁判で認められ、RCCの債権回収のために総連の資産である本部建物と土地が売られたのだ。

当事者の関心は薄いのに……

これに対し、「総連本部は在日朝鮮人コミュニティーの象徴であり、尊重すべき」との声が、北朝鮮や総連ばかりか、日本の一部メディアからも出ている。しかし、当の在日朝鮮人からは、かなり違ったニュアンスの話も聞こえる。総連の元幹部は言う。

「一般の総連会員の、中央本部に対する関心は薄いですね。マスコミではよく、『総連のシンボル消滅か』なんて書いているけど、末端の会員にとってあれほど縁の薄い施設もない。本国に親族訪問する際の手続きは市区町村に置かれた支部でやるし、もろもろのイベント会場も支部か朝鮮学校、あるいはせいぜい都道府県本部。一生に一度も中央本部に足を運ばないという人の方が圧倒的に多い。

あの会館の組織行政上の機能は、末端からの要望を受けて改革路線を進もうとする地方や地域の幹部を呼びつけて、つるし上げにしてヘコませることぐらい。

地元の同胞と日々接している支部職員の中には、『このままじゃいけない』と感じて、本国一辺倒で硬直化した組織を少しずつ変えようと言う人間も少なくない。そういう『出すぎた杭』を打つ上で、中央本部は絶好の舞台装置なんです。中央の幹部は、一般会員から改革を要求されたり、つるし上げにされたりするのが怖いから、支部に出向いて居丈高に指導するなんてことができませんから。だから中央本部なんかなくなった方が、総連は開かれた組織になるかもしれないんです。

むしろ、RCCにカタに取られている地方の本部や支部、学校がどうなるかの方が要注目です。競売にかけられる支部や学校を、地域の総連組織は競り落とせるかどうかはケース・バイ・ケースでしょう。債務の額や、その地域の組織の実力(会員数や経済力)によります。同胞たちや中央本部と違って支部や学校には強い愛着があるから、募金運動などをいったん頑張っては見るでしょう。結果的に力不足で諦めるケースが出てくる反面、自力で学校を競り落とす地域もあるはずです。

それはとりもなおさず、組織の作った借金を末端の人々が肩代わりするということなので、日本社会にも顔が立ちます。それに組織や学校に対する末端会員のオーナーシップが強まる。末端会員は商売などを通して日本社会と接していますから、総連も多少は物分りがよくなるかもしれません」

もっとも、拉致問題をめぐる日朝交渉で北朝鮮から総連本部問題での「善処」を突きつけられた日本政府の苦悩も理解できる。拉致被害者を「人質」に取られたも同然だからだ。

しかし北朝鮮の金正恩第1書記は昨年、久しぶりに訪朝した総連の許宗萬議長と会おうともしなかった(関連記事)。北朝鮮は、本当に総連を大事に思っているのか!? この点については機会を改めて検証してみたい。

※デイリーNK(Daily NK)は、大韓民国の市民団体である北朝鮮民主化ネットワークが発行するインターネット新聞。「北朝鮮ニュースのハブ」を掲げている。

朝鮮語版のほか、2007年1月からは日本語でも情報を発信している。ほかに英語版・中国語版がある。2010年4月より東京支局が開設され初代支局長として高英起が就任した。2014年12月17日に、日本語版は「デイリーNKジャパン」としてリニューアルされた。

編集母体が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の民主化を目指す団体であるため、北朝鮮の現体制や、韓国の対北融和的な政策・団体に対する批判をきわめて強く打ち出している。

記事執筆者には脱北者を含むほか、北朝鮮の「内部消息筋」への取材網を持っており、北朝鮮の市場の現況や日常生活に関する記事が多いことが特色となっている。

2014年11月26日 自由朝鮮放送、開かれた北韓放送、OTVの各者及び、デイリーNKを加えた対北4団体は、国民統一放送発起人大会を催し、対北放送媒体「国民統一放送」を設立する事を明らかにした。 
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