千葉大学男子ラクロス部

2016主将挨拶 中里謙志

テーマ: ブログ

 

 

 

○     一丸

 

三年間、渇望していた。千葉大男子ラクロス部にとっても、十年ぶりの一部の舞台。歴史から見ても今年の一年間は、千葉大男子ラクロス部にとって未来の命運を握る勝負の年だという自負があった。しかし、新チーム発足の準備を進めていく中で、一部で勝ち続けるためのラクロスのレベルや組織運営の体制、当時の自分が明確に見えていたものは、正直少なかった。ただ「勝ちたい」、「千葉大を強くしたい」、その想いだけで、ものごとは思うように進まず、葛藤していた。

 

その中で、勝つために自分はなにをしないといけないのか、チームにどうアプローチしていかないといけないのか、なにから手をつけなければいけないのか、当時の自分はそんなことばかり考えていた。近道が知りたくて、正解ばかりを探していた。そして、気づいた。この学生ラクロスにおいて、「やらないといけないこと」なんてのは、存在しない。無数の選択肢の中から自分がやりたいことを選択し、自分がやる。全ては自分達が目標を達成するために、自分達が勝つために、自分達が強くなるために。そこ際限など、あるわけがない。

 

MTGのない日は毎日電車に乗って話を聞き回り、夜は本を読んで勉強をした。主将だからじゃない、勝ちたいからやっていた。だけど、それをみんなやれよ、とは思わない。その間にも毎日グランドでシュート打ってる大至がいたから。ウエイトに誠実に向き合い管理していたみゆきがいて、なんとか運営組織を建てなおそうとする清水がいて、いまの2016チームがある。勝ちへの想いの表現は人それぞれで、本気で勝ちたいやつらはそれをやっていた。やってないやつには、お前もやれよ、では通じない。それが、本人の勝ちへの想いの大きさだから。

 

人や本からできるだけの情報を自分のポテンシャルにとりこみ、いくつもあった選択肢の中から、「これだ」と感じた根拠のない自分の感性だけを信じ、勝つための準備を整えてきた。「FINAL4で勝つ」ことだけを夢見て、その夢の実現のために積み重ねてきた日々は、自分を大きく成長させてくれた。

 

 

戦力が少ない中で、1対1では勝てない。でも、みんなでなら勝てる。1人で勝てなくてもみんなで勝てばいい。個の力の集よりも、平凡の集の力。フィールド、ベンチ、スタンド、OB、父母、すべての人を巻き込み、千葉大男子ラクロス部に関わる全ての人が「みんなで勝つ」ということを大事にする集団したい。

 

スタート地点はバラバラでいいから、ベクトルの向きと大きさをそろえる。つまり、ラクロスが上手くても下手くそでも、それぞれの立ち位置から同じ目標に向けて、同じだけの想いをもって同じだけの努力を全員ができるチームにしたい。

 

そう想いを込めて、「一丸」というスローガンを掲げた。

自分のこの一年間の行動の全ては、このスローガンの、「全員が同じ目標に向けて同じ努力をする」に集約される。目標に「向かせる」のでは意味がなかった、その後の想いと努力がついてこない。全員が目標に自分で「向く」ことを目指した。「声出せ!」、「走れ!」とは言わず、「声出そうぜ」、「一緒に走ろう」と声高にして伝え続けてきた。

 

このスローガンがどこまでいけたのかは、皆分かっているはず。気づくのがあまりにも遅すぎた。自分の感覚では、本当の意味で「一丸」が浸透しだしたのは明治に敗れたあとくらいから。その後の法政、日体、早稲田戦は、理想として掲げたチームに少しだけ近づけていたと思う。

 

伝えるのが下手すぎた、そこまでしかいけなかったことは俺の力不足。

 

この「一丸」は単年度で終わるものではない。千葉大にとって、例年全員が同じ目標に向けていないこと、そこにチームのトップの全ての力が注ぎ込まれる状況自体が、そもそもの勝てない要因であり、弱いチームの象徴である。一人でうまくなって一人で活躍して一人でチームを勝たせるのも、それはそれでいい。自分がうまくなることに集中できるし、人を変えるのには相当なエネルギーが必要だから。でも、千葉大はそんなチームじゃない。俺はこのメンバーで、みんなで戦い、みんなで勝ちたかった。みんな気持ちはすぐ折れるし、目先にとらわれすぐにそっぽを向いてしまう。それでも、この一年間、苦労をすると知っていてもこの道を選んだ。それがチームを勝ちに近づける、いちばんの指針だと信じたから。

 

リーダーは、部員が目標に向かえていないのであれば、それはリーダーが悪い。決してそいつのせいじゃない。放っておいてもいけない。それが初めからできあがっているチームを羨ましがることもしてはいけないし、それを諦めてもいけない。全てはリーダー次第。1対1で向き合い、そいつらを巻き込み、全員が同じ目標に向けて同じだけの想いを持てたとき、チームは真の強さを発揮する。千葉大が慶応、日体、早稲田に勝負するのは、ここだ。これからの千葉大を背負うリーダー達も、この一年間の反省を学び、活かしてほしい。この「一丸」を大事にしていってほしい。「一丸」の輪を、より大きく、より濃くしていってほしい。

 

この、人のベクトルを自分と同じ方向に向ける、とてもとてもエネルギーのかかるプロセスが、俺は大好きだ。やりがいだった。そいつがそれを行動に移すのを目にしたとき、いくら練習試合で勝てなくとも、チームが勝ちに近づいていると実感がもてた。それなりの時間とエネルギーを要するものの、得るものはそれ以上だった。特にこの有意義な冬の時間は、上に立つ人間は積極的にそこに時間を費やすべきだと俺は思う。コツはやっぱり、どれだけ濃い1対1をつくれるか。その1対1をどれだけチーム内につくれるか。またそうチーム内に1対1をつくろうとしている人がどれだけいるか。「こいつを変えたい」なんて思ってる人がいたら、ぜひ自分のところに聞きにきてほしい。自分の経験の中から、精一杯の手助けをしたい。

 

 

○     「やる」人と「やらされる」人

 

これは、実はどのコミュニティにも言えることだと思うが、組織の中には2種類の人間がいる。それが「やる」人と「やらされる」人。千葉大には後者多い。だから、弱い。

 

罰ランを自らを省みて自分で走っている人と、走らされている人。ラントレを走り負けないように自分で走っている人と、やらされている人。ウエイトでフィジカルで勝るために自分で追いこむ人と、追いこまれる人。ダウンを少しでも疲労が残らないよう自分でダウンをする人と、やらされている人。高い次元で言えば、部費を自分がラクロスだけに集中できる環境がつくれるよう自分で部にお金を支払っている人と、払わされている人。

 

これが「やる」人と「やらされる」人の違い。やっていることは同じでも、質も追いこみも圧倒的に違う。

 

後者は怪我をしたとき、怪我をしたのは、偶然あるいは環境のせいにする。前者は怪我をしたとき、自分のケア不足を反省しアップやダウンから生活を見直し、それは復帰後も続く。後者は試合に負けると、負けたのはチームだから、その結果を変えられたのは自分だと思っていない。前者は試合に負けると、負けたのは自分でそれを変えられるのも自分だから、原因、その改善策を探し、それをチームに還元していく。

 

「やる」人と「やらされる」人は、同じ出来事でもその捉え方が違うから、その後の行動も違う、だからその後の成長がちがう。「やらされる」側に立ったとたん、その人の成長は止まる。これが1年も続けば、その差は歴然だ。

 

「やる」人と「やらされる」人がいる。何が違うかというと、前者は目標を達成すること以外は手段だと思っているから、あらゆる手段を模索し手を尽くす。後者は目標を成し遂げる担当は自分ではないから、手段にこだわり、うまくいかないときには環境のせいにする。前者は目標を成し遂げるかどうかは自分にかかっていると思っている。だから考えるし、どんなところからもヒントを得ようとし、努力する。後者は小さなプライドにこだわり、自分は間違ってなくて周りが分かってないだけだ、と人からの指摘を受け入れない。

 

後者は自分が責任をもっていて、自分が未来を決めると思っていない。起きている出来事をなんとかする権限も責任も、自分にあると思っていない。思っていないから、現状を改善する担当者は自分だと思っていない。後者は愚痴が多い。けっきょくは愚痴の原因をほったらかしているのも、解決できるのは自分だと思っていないから。こんな自分にしたのも誰かのせいだと思いながら生きているから、自分で自分の人生を変えられるとすら思っていない。

 

前者になるということは、起きている出来事とその結果を自分が引き受けるということで、そう決めていれば先読みして戦略を練るし、うまくいかなければ原因を考え改善し、また挑戦する。なにしろやるのは自分だから、他の誰でもない自分の頭で考え、自分の責任で実行し、結果を自分で受け止める。

 

難しいのは、「やらされている」人に、「お前、やらされてんなよ」って言っても気づかないということ。自分はやっている、と思って生きているから。本当の意味でそれを理解したとき、自分はそう思っていただけだと初めて気づく。

 

 

千葉大でよくみられるのが、新チームになった途端、人が変わること。練習中声出すようになったり、ウエイト真剣にやりだしたり、自主練するようになる。色々とものが見え始め、成長する。一見、「やる」側にきたかのように思える。しかしそれは、最上級生がいなくなり、やらせてくれる立場の人間がいなくなったこと、新しいスタートだというイベント感、環境が「やる」側に変えてくれただけなのだ。だから本質は何も変わっておらず、時間が経てばその仮面が剥がれる。当時決めたチームでの決め事が大事にされず、それに声をあげるのは自分ではない。練習の雰囲気が次第に悪くなり、それを変えるのも自分ではない。22期はそればっかりであった。

 

そういう人に限って、「4年生ってやることたくさんあるよな」とか「幹部ってしんどいよな」とか漏らしてしまう。そうじゃない。4年生が大変なんじゃない、「やる」ということは元々そういうことで、本人達はそれを苦にしない。主将はその究極だと思う。やらせてくれる人なんていない。自分がやらなければ誰もやる人はいない。全てにおいて自分が「やる」。だから成長できる。そしてそれは4年生だからじゃないとすると、下級生も「やる」側に立てるということ。いま、チーム内に「やる」側に立っている人が何人いるか。雰囲気の悪い練習後、コーチに怒られた次の日、練習試合の敗戦後、そこで問われる。何も言わずとも、どれだけの人の行動が変わっているのか。「謙志はあの敗戦から、明日の練習はどうするんだろう」じゃない、チームを変える当事者は、自分なのだ。

 

そもそも、錯覚している。朝早くからグランドに来させられているのではない。一人残らず全員、自分で来ているはずなんだ。自転車をこぐその足は、自分の意思でしか動かない。もっと言えば、全員最終的には自分の意思でラクロスを選び、自分に意思でラクロス部に入部した。自分の意思で毎日ラクロスをしている。それをやらされたと勘違いするから、「やらされる」人間になり、それがチーム全体のエネルギーを下げ、チームを負けに導く。考え方ひとつで自分自身が成長し、その集団となったチームは、絶対に強いチームになる。決め事を全員で大事にできて、苦しい状況にも全員で立ち向かえる、素敵なチームになる。やらされるだけでラクロスがうまくなる練習メニューなんてない。そんなコーチは、いない。一年間一貫して言ってきたように、練習は参加するものではなく、全員でつくるものだから。そんなコーチを探す前に、自分は「やる」側か、周りにどれだけ「やる」人間がいるのか、「やらされる」人間をどうしていこうか、それを考えたほうがいい。

 

上記に記した「やる」人間で構成されるチーム、そんなチームを千葉大は目指していってほしい。先ほども記したように、千葉大には後者が多い。この時期には仮面をかぶっている人も多い。自ら気づき、変わることが理想ではあるが、それを待たなくとも、別の方法で気づかせてやることもできるはずだ。夢をもたせ、原動力を与える。それも、主将としてのやりがいだと思う。

 

 

○     人間的成長なくしてラクロスの成長なし

 

自分はラクロス部に在籍していた4年間で、様々なものを見てきた。その中で確信をもって言えることがある。それは、自分が入部した頃のラクロス部と、いま自分が引退するラクロス部は「正反対」だということ。

 

当時の千葉大ラクロス部は、人の魅力に満ち溢れていた。一人一人にオーラがあって、強そうで、話がうまくて、なによりラクロスが大好きで、チーム全体がエネルギッシュだった。自分はそれに魅せられて、入部を決意した。しかし当時、今だから分かる、周りの環境が整いきれていなかった。運営組織発足一年目、グランドは土で、戦術も乏しく、広報という概念もなかった。部活をとりまく周りの環境が発展途上だった。

 

それから4年の時を経て、たくさんの人の支えと苦労により、いま、千葉大ラクロス部の外側は格段に強くなった。運営体制が確立し、グランドは人工芝になり、OBからの支援も増え、優秀なコーチのもとでラクロスができている。来年千葉大ラクロス部は創設25周年を迎えるにあたり、今後もより多くの方々に応援していただけるよう、25周年プロジェクトも進んでいる。一部で勝ち続け、その先へいく千葉大を夢見てきた先輩方、そして自分が、意思を受け継ぎつくりあげてきたものだ。

 

しかしそれに対し、千葉大ラクロス部の内側の魅力は、なくなってしまったように感じる。

 

当時の一人一人の豊かな個性、魅力、意志の強さ、それらはなくなり、周りの目ばかり気にする協調性、活躍する先輩と一緒に練習することを避ける向上心の薄さ、言い訳ばかりで目先にとらわれる意志の弱さ、そればかりが大きくなり、チーム全体のラクロスへのエネルギーが下がっていると感じる。

 

チームの内側と外側、そういう意味で、この4年間で千葉大ラクロス部は「正反対」になった。

これが、近年千葉大の新歓がうまくいかないことの本質であると思う。

 

たしかに、学内での他団体の進出、大学側の新歓期日の管理のできなさ、ネガキャン、新入生をラクロス部から遠ざけている要素は他にも転がっている。でも、それは本質じゃない。それを言い訳にしてしまう時点で、自分から目を背けている。原因は環境にはない、自分にしかない。本質は、部活としての魅力の欠如だ。

 

これは当然、決して現役を責めているわけでもなく、誰かのせいということではない。千葉大はラクロスの実力があるにも関わらず二部にいた、だから原因を環境に探してきた。4年経てば人は入れ替わるし、当時の環境とは全く違う。「俺たちの頃は」なんてことは、通用しない。

 

でも現役は、周りの環境が大きく変わったその中で、どんな環境でも新歓が成功するよう、チームの内側を変えていかなければならない。千葉大ラクロス部の存続、発展のために、自分達が変わらないといけない。俺たちがやりきれなかったことを押し付けるようでかっこわるいが、それが、後輩達に授ける俺からのミッションだ。

 

そして、これは新歓のためではない、「新歓のために人としての魅力をつけよう」なんてのは、それこそ小手先の新歓になる。強くなるため、強くあるため、掲げる目標を達成できるチームに少しでも近づくために、一人一人が色濃く魅力の溢れるチームになる。そこにチームとして真剣に向き合い、考え実行していくこのプロセスは、確実にチームを勝ちに近づける。

 

なんでもいい。いつもなら切り上げるところをあと10本多くシュー練やるとか、10本多く素振りするとか。言うことを躊躇ってきたことを言うとか。落ちているゴミを拾うとか、倒れているチャリをなおすとかでもいい。昨日までの自分がやらなかったことを、今日はやってみる。それだけで、昨日の自分よりかっこいい人間だ。それが新しい自分を構築する、それが日々成長。これを積み重ねてほしい。

 

「人間的成長なくしてラクロスの成長なし」

これは翔太郎さんがよく口にしていた言葉で、自分もしっくりくる。その通りだと思う。この言葉を、千葉大は大切にし続けほしい。逆に、それさえできれば、いまうまくいかないことも一気に好転して、うまくいくはずだ。

 

現役じゃ中々手のつけられない大学側へのアプローチ、体育会の団結などの周りの環境に対してどうアプローチしていくのか、それこそわたるさんや自分の出番だと思う。そしてチームの内側磨きをできる限り手助けする。それが両者のチームを知る、自分の責務だと思う。

 

 

○     未来の千葉大へ

 

これはこの記事を書くにあたって、後輩たちにいちばん伝えたいこと。

それは、千葉大は勝つために、どこまでやるのか。どこまでやる覚悟があるのか、ということ。学生ラクロスに「しないといけないこと」はない、と記した。逆にそれは、やれることは無限に広がっている、ということ。

 

個人として、オフの日は他大にいって練習するとか、その日の映像を全部5回ずつ見るとか、コンディション保つために禁酒するとか、毎日ラクロスノートつけるとか、食事管理をするとか、親に頼んでバイトやめて毎日アフター行くとか。これはどれも勝つために「しないといけないこと」なんてことではない。けど、勝つためにできること。

 

チームに対しての働きかけで、朝の練習開始時間を早めようとか、練習後のプロテインをmustにさせるとか、毎日MTGするとか、練習前日の飲酒を禁止にするとか、毎週全員にシュート課題1000本課して管理するとか、アフター強制させるとか。これも全て勝つために「しないといけないこと」ではない。けど、勝つためにやれることであり、確実にチームを勝利に近づけること。

 

別に違う次元の話をしてるんじゃない、大袈裟な話もしていない。全部やろうとすればできる話をしている。そこにまず躊躇う時点で、考えることを放棄する時点で、覚悟が足りない。これはどれも、やらなくても人に指差されたりしない、「しないといけないこと」ではないから。でも、してる人は当たり前にやっている、当たり前の基準が高いから、人よりラクロスが上手くなる。

 

勝つためにどこまでやるか、それを自分ではっきり言える人は少ない。線引きが曖昧な人、人並みにしかするつもりなくてそれをごまかしている人、そもそも考えたことがない人。考えてはっきりしてみるといい。そして、「俺はここまでやる」と公言すればいい。そうすれば、自分があとにひけなくなる。責任が生じる。別に人並みでも恥じることじゃない。自分の人生だから。どこまでやるか、に個人間での干渉はない。「お前、ここまでやれよ」と強制することはできない。お金をもらってラクロス部に所属しているわけではないのだから。どれだけやるかは、その人の勝ちへの想いと、この部活の引退後に何を得ていたいかによって決まるものだ。

 

じっくり時間をとって考えてみてほしい。そうすれば、それが自分の行動指針になり、迷いがなくなる。調子によってモチベーションは左右することもなくなるはずだ。だから、調子悪いから練習量増やす、とか、リーグ近いからアフター行く、とか。ちゃんちゃらおかしい。できるんだったらはじめからやれ、今までは妥協してたのか。調子悪くても良くても、リーグ近くても、やることは変わらない。もともと自分の100%を続けてきているのだから。

 

 

俺はどこまでやったのか、それは「全部」だ。時間があればクロス振るし、映像を見る。ビデオアップ担当聞き出して、今日まだ?いつあがる?って直接連絡する。親に無理言って大学のそばに一人暮らしさせてもらって、1対1をつくるための飯代だけを稼ぎ、テレビは買わず、金ないのにジム通って、輸入して、クロス買って、冬は食トレして体重8kg増やした。いくら疲れてても、1対1つくりに飯いったり、銭湯誘ったりした。就活もしなかった。勝つためにはなんでもやりたくて、全ての判断材料はどっちの方が勝ちに近づけるか、だった。それが俺の線引き。それだけのものを追い求めたから、当たり前だった。再度言うが、これも全て「しないといけないこと」ではない、全て勝つために、自分でやりたかったことをやっただけだ。

 

そして俺は、リーグ戦で、自分で自分を信じることができた。ラクロスがうまいからじゃない、ここまで全てをラクロス部に注いできたから。負ける気がしなかったし、不安もなかった。絶対に勝てると、心から自分を信じることができた。ゾーンのクリースやりながら周りにも指示出しして、GBは自分がすくってクリアも仕切って、OF中は後輩の応援見て元気出したり、下向いてるベンチ鼓舞しにいったり、時には吠えたり、ゆうすけさんとやまだいさんと情報共有したり、たまに正木さんが暴れてたり。完全にスーパーキャパオーバーだったけど、目の前の本気の真剣勝負を、心の底から楽しむことができた。点取られえて、「うぜぇ!」とも思ってたけど、「やるなぁ、あいつ。すげぇ」っていつも思ってた。

 

そして試合中、大至を信じることができた。大至がやられたら、しょうがないって思えた。点を取ったときは、当たり前だって思った。これも大至がラクロスうまいからじゃない、それだけ注いでいるのを見てきたから。たぶん、大至もその自分を信じることができるという極地に達していたんだと思う。

 

それを経て、自分がたどり着いて得たものは、人生の財産になった。結果は二勝三敗Aブロック4位、決して目標には届かなかったけれども、それをやりきった自分と、その仲間を得ることができた。どこまでやるかは、その先に何を得たいか、自分の欲望のありのままを思い描いて、そこに線を引けばいい。そこに妥協しない覚悟を約束すればいい。もし自分がこの線の中で楽をしていたら、自分を殴ってくれと人に頼めばいい。そんな人が千葉大で増えたら、俺は嬉しい。

 

 

そしてこれからの千葉大の話。千葉大はこれまで単年度で勝負してきた。具体的には、“旧体制”が大事にされなかった、ということ。俺たち22期もそうしてしまった。毎年新チームが自分達で考え、体制から部則まで、0から作り直してきた。そしてそれは“新体制”も将来同様に大事にされない、ということに繋がる。今年大事にしてきたことも同様に、将来大事にされない、ということだ。

 

これがどういうことかというと、旧チームの努力や想いが積み重ならないまま単年ごとのチーム作りが繰り返される。これは、代によって「突然強くなること」があっても「突然弱くなること」があるということで、「少しずつ強くなること」は、ない。

 

今まで千葉大は、実力はあったが二部にいた。だから毎年試行錯誤をし、新しい体制で挑戦してきた。そして千葉大は昨年ついに悲願の一部昇格を果たし、今年は一部中堅に順位をおさめることができた。これから先の来年以降、一部にいる千葉大は「少しずつ強くなる」ということを目指していって欲しい。

 

新チームのみんなには、旧チームの想いや体制、またそれにいたったプロセスを全て汲みとり、0からのスタートではなく、旧チームに磨きをかけ、進化した状態からのスタートをきってほしい。そして残す側は、ラクロスに関する戦術やメニューはもちろん、自分たちが培ってきた努力、苦労、そこにかけた想い、そしてその結果を、目に見える形で後輩たちに託す。そしてそれは、未来の千葉大ラクロス部に紡がれていく。

 

 

ここまでクリエイティブ、奥行が無限に広がり、自分次第で、それはどこまでもいける。自分の裁量で全てを変えられ、その全ての責任が自分にある。毎日の努力、苦悩、甘え、そんな日々の積み重ねが、全て結果として表れる。こんなに魅力の溢れるカレッジスポーツは、ラクロスの他にない。大学ラクロスって、ほんとに面白い。

 

大丈夫、千葉大が目指している道は間違ってなんかいない、

先に待っているものを夢に抱きながら、本を読んで人間上げて、練習しまくってラクロス上手くなる、そんな自分の成長のプロセスを、心から楽しめばいい。

 

 

最後になりますが、OBの方々、父母の方々、地域のラクロス部を応援してくださる方々、いつも差し入れをくださり熱い声を届けてくださるゆうすけさん、一緒に戦ってくださったコーチの方々、最後まで自分に寄り添い道を示し続けてくれたわたるさん、一年間ありがとうございました。千葉大の10年ぶりの一部での挑戦は、途中で潰えました。結果で応えることができず、悔しいです。でも、千葉大はこれからです。次は後輩達が皆様の想いを背負って戦います。来年も、「一丸」となって戦いましょう。今後とも、ご声援よろしくお願いいたします。

 

 

千葉大の未来が、楽しみだなぁ。

頑張れ、後輩たち。

 

2016 22期 主将 中里謙志

  • 18
  • コメントコメントしよう
  • リブログリブログしよう

最近の画像つき記事

最近の画像つき記事がありませんでした。
画像をもっと見る

総合ランキング

データの取得に失敗しました。

ランキングをもっとみる

人気トピックス

データが取得できませんでした。

急上昇ランキング

データの取得に失敗しました。

ランキングをもっとみる

新登場ランキング

データの取得に失敗しました。

ランキングをもっとみる

データが取得できませんでした。