さくら子

「日韓併合」は「韓国のほうから」願い出た

テーマ: 韓国

今、日韓関係がとても残念なことになっています。

その原因は、史実を歪曲したメディアや教育現場にあるのかも知れません。

現状を見てゆきましょう。

------ ------ ------ ------ ------ ------

日韓併合時に於いて日本人は貧乏クジをひき韓国人に対し

まるで母親が我が子にするように尽くしていました。

  日韓併合時、日本人は率先して貧乏クジをひき、韓国人に尽くしていた

 

そうしながらも当時伊藤博文は韓国に対し『真の自立』を願っていました。

  「狂おしいほど懐かしい(日韓併合時代に生きた韓国人) 

 

日韓併合について日本は、陸奥宗光、曾禰荒助、竹越興三郎などは明確に反対しており、
伊藤博文や井上馨や原敬も消極的でした。

一方

韓国の皇帝や安重根は日本を尊敬し慕っていました。

 

以下、安重根の言葉です。

『日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。
そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、
韓・清の人々の智恩を論ずることなく、

みな心を同じくして、賛同し服従したのである。
もう一つは、日露の開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、
前日までの日本に対する仇敵の心情がたちまち消え、
かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、
これまた人情の順序であり、理に合うものであった。
快なるかな、壮なるかな。
数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、
鼓を一打したたけで大破してしまったのである。
日露戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。
だからこのとき韓・清両国の有志は、はからずも同じように、
自分たちが勝ったように喜んだ。』

 

日韓併合前の韓国は1200年以上に亘り歴代支那帝国の属国であり、
李氏朝鮮では両斑と呼ばれる権力者たちが朝鮮民衆を暴力で支配する地獄でした。

そのような中、日韓併合は、韓国自らが望んだのです。

朴元大統領は当時についてこう述べておられます。

 

そうです、日韓併合は、韓国の政治家達などの強い要望だったのです。

 

【討論!】反日国家群にどう対処するか?[桜H24/9/1]1/3

(49:35-)

上島嘉郎氏(別冊「正論」編集長)が

「日韓併合」は「韓国のほうから」願い出た状況を語って下さっています。

意訳しますと…

韓国人は自分達の近現代史をキチンと踏まえるべきだ。

例えばあのとき日韓の併合を望んだのは、当時の韓国、、、

将来韓国人が生き残る為の現実的選択は何か?と考えた時に

それはロシアよりも、やはり日本に頼る事を選択すべきだ。

という現実的決断をし、日本に繰り返し願い出た(日本は何度も却下した)。

『一心会』は『韓日合邦を要求する声明書』を出した

そういう現実を担って韓国を支えた(日韓併合を日本に要望した)人たちを

今韓国人は、【親日派=売国】という事にして、排除してしまっています。

  →歴史の事実(韓国の方から日本に対し併合を願った事実)を抹消している

しかしあの時代に本当に韓国の事を考えた、現実を担った人たちが

日本との併合を望み

そして併合してもらえたお陰で、韓国の生活も実際に向上していった。

(→両班が国民を奴隷にしていた地獄から、日本人は救い出し教育も施した

必見:日韓併合時、日本人は率先して貧乏クジをひき、韓国人に尽くしていた )

 

日本の統治というのは、欧米が行った植民地とは全く違います。

 (ご参考→武田邦彦教授の動画(論評:二種類の植民地) 3分3秒~

  )

 

そういう現実を覆い隠し、捏造歴史で韓国国民に日本への恨みを植え付け

日本を攻撃している。

これではいつまで経っても韓国の歴史は、事実の学問としての価値はなく、

ファンタジー(嘘)であり、幻想(嘘)に過ぎない。

そのような韓国国民は、このままでは世界に通用しない。

 

韓国は併合反対派の伊藤博文が暗殺された後、39日経った1909年12月4日、

大韓民国の最大政治組織『一進会』(会員数百万人、実数数万人程度)が

皇帝純宗、韓国統監曾禰荒助、首相李完用に対し

『韓日合邦を要求する声明書』を出しました。

当時総理大臣の李完用を始めとする閣僚の約半数が推進派でした。

当時、韓国側が出した声明書が当時の状況を正確に示しています。

「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。
また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、
韓国がロシアの口に呑み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。
韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。
第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。
今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いた事である。
我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか。」

 

 

韓国から日韓併合を希望する熱い電報を受けても、日本側は

併合反対派であった曾禰荒助統監が時期尚早との理由で三度も却下しました。

同時に新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせました。
それでも、韓国側の併合推進派である一進会は、却下されてもまた提出を繰り返し、
そうして4回目に桂首相の指示により、ようやく受け取られたのです。

1910年8月22日の韓国の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定しました。

 

以上が史実です。

ところが現代の日本、或いは韓国の教育現場に於いて

子ども達に教えている教科書の内容は、事実と真逆になっています。

日本は朝鮮半島を植民地にして、酷いことをしたと教えています。

 

酷い歪曲です。義務教育の現場に於いてここ迄誤った洗脳教育を行っています。

入試も、真実の解答は、×なのです。

 

■教育

 

日韓併合により、日本は、韓国内にあった階級による身分差別を撤廃し、
両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせました。
更に残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、

女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、

学校教育制度を導入しました。

加耶大学客員教授の崔基鎬氏

「李朝の500余年間、正式の学校もなく、

名ばかりの国立(官立)学校が4校あるにすぎなかったが、

伊藤は、教育の重要性を考えて『普通学校令』を公布し

統監府時代(1906-1910)には、すでに日本の資金で100校以上が築造され、

合邦以後もそれは続き、1943年には5000校に達した。」

日本は読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させました。

 

我が国は朝鮮に対し、素晴らしい教育を施したのです。

(写真:朝鮮人に教育を施した水原郡松山面の公立学校。1929年『生活状態調査』水原郡・第28号。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』より)

 

この史実を、現代の日本と韓国では非常に残念なことに

極端にねじ曲げられ、全く逆の内容を洗脳しています。

朝鮮語を禁止した、とを教えています。

 

教科書の一番下の行。

嘘『朝鮮独自の教育をおこなうことがむずかしくなりました。』

 

■創氏改名は朝鮮民族のほうが望んだ

 

日本名を名乗ることは、朝鮮民族が望んだことです。

何故、朝鮮人が日本名を欲したのでしょうか?

経緯を、田母神俊雄さんのツイッターから引用します。

 

下の写真は衆議院予算委員会で中山成彬議員が提示された資料です。

下段の写真では、創氏改名を希望する朝鮮民族が当時沢山いて、

殺到している事実が分かります。

左の新聞記事は、氏の創設は『自由』と書かれています。



■インフラ整備

鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興しました。

 

緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、
河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、

世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にしました。

 

■人口増加

近代医療制度を導入し、

平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口は2倍になりました。
 

■強制連行・・・史実は逆! 日本に密入国し「帰らないニダ!」

戦後、朝鮮が独立してからも

日本への渡航規制を犯して密入国する朝鮮人が沢山いました。

よろしいでしょうか、『日本へ朝鮮人が密航した』のです。

『強制連行』の逆です。

 

日本の法務省は当然のことながら、帰還させようとしていました。

くどいですが、日本は強制連行の逆で『帰還』させようとしたのです。当たり前でしょう。

 

これ以前から、不法入国した朝鮮人達は、デモをして

「帰還させるな!」と抗議デモをしていました。

強制送還をさせようとする日本側に抗議していたのです。「帰らない!」と。

歴史は全くです。

 

 

■日韓併合時の日本に対する海外の評価

日本は真心と愛情を込めて、韓国に尽くしたのですね。

日本人としてとても誇りに思います。

当時、海外はどの様にその日本を評価していたでしょう。

「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年より 
『宗主国中国の影響のもとに、朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた。

この点について日本は新しい理論を導入し、庶民にも権利はあり、各階級はそれを尊ばなければならないということを一般大衆に理解させた。(中略)

朝鮮における日本の政策はいまでも同一の卓越した政治家たちによって具体化されており、その政治家たちとは、日本が国際外交の舞台に躍りでたその日以来、文明開化の道をふさぐ複雑多岐な障害をみごとに切りぬけて国を導き、

世界が賞賛を禁じえない手腕を示した人物たちであることも忘れてはならない

当時の朝鮮人はどう思っていたのでしょうか。

しかし当時を知る加耶大学客員教授の崔基鎬氏はこう証言されています。

「中央政府の大臣と、地方長官には韓国人を任用し、

日本人はその下の補助役に就かせるにとどめた。

そればかりではなく、日本人には荒蕪地の開発などの難しい仕事をやらせた。」

(『歴史再検証 日韓併合』祥伝社黄金文庫p.18)

治安や行政などについて事実を調べました。

2013年3月8日の衆議院予算委員会資料から。

警察も刑事も…公権力の殆どが “朝鮮人” により構成されていました。

 

 

行政はどうだったのでしょうか?

知事は終戦まで全て “朝鮮人” ですね。 

 

↓こちらは道議会選挙 8割が “朝鮮人” ですね。

 

当時を知る白人による悪逆非道な植民地支配を一掃する為に日本が立ち上がり

アジアを解放した事実について韓国人、朴鉄柱氏はこう述べておられます。

日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。

 

最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。

〝事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし〟

というのが、 開戦時の心境であった。

 

それは日本の武士道の発露であった。

日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。

 

それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。

日露戦争と大東亜戦争-この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。

この意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない。」

 

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。

彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。

戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決る、というのはクラウゼウィツの戦争論である。

 

日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。

日本こそ勝ったのであり、

日本の戦争こそ、〝聖なる戦争〟であった。

 

------ ------ 【当時の歴史的背景】 ------ ------ 

「中国・韓国の歴史歪曲」 黄文雄 1997年 より 

朝鮮半島の「植民地化」は、避けられない歴史の運命
19世紀中葉の東アジアでは、各国とも列強諸国の植民地化の危機にさらされていた。(略)

(日本は)日清戦争当時でも、日露戦争当時でも、「必勝」と思っていた人はほとんどいなかった。たいてい日本の「必敗」とみるのが、むしろ当時としての国際的な一般的見方や予想であった。

当時、東アジア諸民族の一般的な考え方は、列強諸国の東アジア進出への危機感から、日本、朝鮮、中国3国が一緒になって、列強諸国に対応すぺきだというものであったが、甲申政変によって、朝鮮の開化派が一掃された後、福沢諭吉までも、とうとう朝鮮との連携をあきらめて、「脱亜論」を発表し、「亜細亜東方の悪友どもとの謝絶」を公言した。

19世紀という時代は、列強諸国の地球分割がほぼ完了した時代である。地球上の非西洋的文化圏で、列強諸国の植民地に転落しなかった国は、ほんのわずかしかなかった。アヘン戦争以後の清国でさえ、「分割」や「植民地化」の危機にさらされ、四苦八苦するぐらいだから、朝鮮半島は、植民地に転落することが、避けられない状況にあった。

歴史はそれを実証している。マルクス主義的史観からいえば、それは「一つの歴史的必然」ではないだろうか。

19世紀後半から朝鮮半島は、西風東漸の影響を排除することができず、列強蚕食の場となっていた。英米仏の勢力以外にも、三つの勢力が出現した。それは旧宗主国、清の支配の強化、それに南下するロシア、さらに日本である。

まず、日清戦争で清が敗退し、日露戦争では、ロシアが敗退し、日本が残ったのだ。

東アジアの不安定要因は、朝鮮半島にあると列強諸国はみていた。

日露戦争後の列強諸国のバワー・オブ・バランスからみれば、アジアの「永久安定」のためには、「朝鮮半島の日本保護国化」がどうしても必要であった。

だから、日露戦争後に締結されたポーツマス条約(1905年)では、ロシアもそれを承認し、アメリカのルーズベルト大統領も「自立できない国家はそれしかない」とそれを認め、東洋平和のために「将来の禍根を根絶するためには、韓国の保護化が絶対必要」と小村寿太郎外相に述ぺていた。かくて、桂・タフト米陸軍長官との協定(1905年)でも、イギリス政府は朝鮮の日本の保護国化を承認したのだった。

------ ------ ------ ------ ------ ------

【現代に於ける日韓の洗脳教育

さて 以上の史実を、現代の日本や韓国では、どの様に伝えているのでしょう。

 

(※実際には日本は反対派が多く、韓国からの併合の要請を却下し続け4度目で受け入れた。)

 

 

 

 

次に、韓国の洗脳教育の実体を見てみましょう。

〔国権の侵奪〕 高宗皇帝を強制的に退位させた日帝は、軍隊をも解散させた後、大韓帝国を植民地にするため侵奪を続けた。すなわち、大韓帝国の司法権を奪った後、警察権さえ統監府が握り、行政、司法、治安などの支配権を強化した。日帝は、李完用を中心とする親日内閣に対し、大韓帝国を日帝に合併させる条約を強要、ついに韓民族の国権を強奪した(1910年)。この結果、長い間、独自の文化を作りながら発展してさた韓民族は、日帝の奴隷的な状態に成り下がることになった。 

(韓国の中学校用国定歴史教科書1997年版より) 

↑この韓国の教科書では、

「大韓帝国の司法権を奪った後、警察権さえ統監府が握り、行政、司法、治安などの支配権を強化した」

とありますね。

 

この事実を、韓国では

『日帝の奴隷状態』だったのだと国民を洗脳しています。

慰安婦(実際は売春婦)のお婆さん達も、「強引に連れて行かれた」と。

<韓国人>の警察や政治家さんは何もしなかったという事になりますね。

 

今、韓国の国会議長が天皇陛下に対し「謝れ」とお怒りになり

なんともトンチンカンな主張をなさっています。・

このような教育の歪みにより、↓こういった在日朝鮮人が日本を蝕んでいます。

 

朝鮮民族のことを思えば、

是非とも日本で学んだことを良いほうに生かし、有意義な人生を送って頂きたいと願っております。

母国にお帰りになって、母国の発展の為に尽くされたほうが彼等の為には良いと思います。

 

私たち日本国民も、先ずは真実に目覚め、自信と誇りを取り戻したいですね。

真実の共有こそが日韓の溝を埋める初めの一歩だと思います。

是非「助け合い主義」の学習をお勧めします。

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助け合い主義 https://tasuke-i.jp/

 

(補足)

この記事を読んで下さった韓国人(帰化して日本国籍)の方の感想です。

だんご屋太郎さん、ありがとうございますm(_ _*)m

 

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