数値ではなく人 | 有川ひろと覚しき人の『読書は未来だ!』

有川ひろと覚しき人の『読書は未来だ!』

あくまで一作家の一意見であることをご了承ください。
お問い合わせは、角川・幻冬舎・講談社各窓口へ。
Twitterアカウントはhttps://twitter.com/arikawahiro0609
悪意ある無断リンク・無断引用、ネットニュース等報道の無断引用は固くお断り致します。

大前提として、私は特に映像化の各タイミングではこまめにネット上でエゴサーチをします(この言葉はあまり好きではありませんが)。
映像関係者を行き過ぎた言葉から守るために、そうしています。
Twitter上で自分的に勇気のいる社会的な発言をした場合も同様です。
(これはhttp://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12151953349.htmlこちらでも既に表明していることですが)

あまりに乱暴なご意見を発している方を見かけたら、自分のTwitterでそれに対してご一考いただく旨を発信しますし、直接お声がけすることもあります。
それは、一部の読者さんが「自覚なき加害者」となってしまっていることを自覚していただきたいからです。
メディアミックス作品に関して、あるいはキャスト・スタッフに対して、乱暴な言葉を発している方が後を絶ちませんが、そうした言葉は皆さんが思っている以上に当事者たちの元に届いています。
アニメ版『図書館戦争』の頃から、ずっとスタッフやキャストは傷ついていたのです。
そして私はずっとそのことについて、「観る権利、観ない権利」のお願いをし続けているのです。

「エゴサーチするほうが悪い」と仰るかもしれませんが、あるクリエイターさんが仰いました。
「いつもはネットで読者の感想は絶対見ないことにしているが、心が弱っていたので見てしまった」
この発言が言い尽くしていると思いますが、ネットでお客さんの反応を「見ないでいる」ことには大変な精神力を使うのです。
だから「心が弱っていたら」見てしまうのです。
そして一喜一憂するのです。
これは、作家だけでなく、全てのクリエイターや映像スタッフも同じだと思います。
そして、クリエイティビティを必要とする仕事に就いている人間は、ネット上の発言でもアカウントの向こうにいる「人間」からの発言として受け止め、一喜一憂するのです。
ネットは今や万人が手にするツールです。
ツールは、万人が平等に使う権利を持っているはずです。
クリエイターや著名人だけがネットの利用に「強い心」を要求されるのは、平等ではないと思います。

私のメディアミックス作品についても同じです。
関係者は皆さんが思っている以上に皆さんの反応を見ていますし、一喜一憂しています。
私は身を削って仕事をしてくださっている彼らを守りたいと思っています。
だから映像化についてあまりに無慈悲な仰りようをなさる方に対して、声を発することをやめません。
「Twitter向いてない」「ネットやめろ」と仰る方もおられますが、私は自分の好感度を守るためにTwitterやblogを利用しているのではありません。
関係者を守り、支援することを自分の利用目的の第一義としています(書店に関する発信も同様です)
第二義は、ゴシップ誌に一方的な誹謗中傷を書かれることから自分の尊厳と関係者の尊厳を守るための手段です。
「楽しく気軽に使えばいいのに」と仰る方もいらっしゃいますが、私は残念ながらそれを第一義に利用できる環境にはないのです。

関係者は一般の方の「自覚なき加害」の礫に常日頃打たれています。
その礫が「原作ファンであることを盾に」投げられることが多々あります。
私は私の作品を加害の理由にされることについて、他者を傷つける「作品愛」について、NOを言い続けます。
たとえご理解いただけないとしても、原作者は他者を害する作品愛に異議を唱えていると表明しなければ、身を粉にして働いてくれているスタッフやキャストが報われませんし、映像化を前向きに楽しもうとしてくれている読者さんにも申し訳が立たないからです。

もし、映像関係者が私の読者さんに石を投げることがあれば、それは断固として抗議します。
しかし、現状では一部の読者さんがメディアミックス作品に石を投げることばかりが続いています。
私は石を投げる側と投げられた側だったら、投げられた側につきます。
作者が楽しみにしている映像化に水を差すなということではありません。
映像化作品を作っている「生身の人々」、楽しみたいと思っている「生身の人々」を慮った発言をお願いしたいのです。

ご自分の言葉が第三者に対する石になっているということに気づいていない方がたくさんいらっしゃると思います。
「自分は一般人だから、少しくらい文句を言ってもいいだろう」と発した言葉が、大量の礫になって関係者を傷つけているのです。
心を患う方もいらっしゃいます。
しかし、誰かを傷つけているということを自覚したら、それでもなお傷つけようというほど無慈悲な方は少ないと信じています。
だから、声を発することをやめません。

直接のお声がけをした読者さんから、以下のような言葉をいただきました(要約です)
「わざわざ本人にリプライしなければ芸能人は私のような一般人の呟きを見ているヒマなんかないだろう、と思っていた」
「だが、その考えは改めるべきかなと思った」
こうしたご理解を示してくださる方もいます。
理解してくださる方が、こうしたことを訴えることは無意味ではないという勇気をくれます。
著名人も一般の方も、言葉の重さは同じです。
好きの表明は誰も傷つけませんが、嫌いの表明は必ず誰かを傷つけます。
そのことをご理解いただいた上で発言していただきたいのです。
否定的な意見でも、過度に他者を傷つけないように発することはできます。
どうしても乱暴に言葉を発したいなら、せめて、傷つける覚悟を持って発言していただきたいのです。
(ご参照ください。→http://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12133066150.html

私は心無い言い方で求められることが多かった『シアター!』を完結させることを現状で断念しました。
読者さんの声は、一つの作品を殺すことができるのです。
クリエイターの心を殺すことができるのです。

「そんな酷いことを言ったつもりはない」「これくらい我慢してくれたらいいのに」と仰る方もいるかもしれません。
しかし、言葉は発した側の意図より、聞く側がどう受け取ったかが優先されるべきです。
ですから私は、
https://twitter.com/arikawahiro0609/status/737157160581234688
の発言について、自分の意図は
https://twitter.com/arikawahiro0609/status/737281653081399296
こうでしたが、言葉が足りず誤解を招いたことについて謝罪しました。
言葉の使い方を考えてほしいと常からお願いしている身として、自分が言葉を失したときに謝罪するのは当然のことだからです。
言葉は「相手にどう届くか」が優先されるべきですし、それを慮った上で発するべきです。
また、「これくらい」がどれほどの威力を持つかは、相手の状況によって全く変わります。
同じ礫を99まで我慢したところに、最後に100個目の礫が飛んできたら、その100個目で我慢できなくなるということがあるのです。
100個目になってしまうのは不運かもしれませんが、とどめを刺してしまう不運は、礫を投げる全ての人にあります。
礫を永遠に我慢し続けることは、人間には不可能なのです。
(私に関することで100個目となって方に対しては、申し訳ありませんが私の心を守るためにブロック等の処置を執らせていただいています。どうして、と問われれば、残念ながらあなたが100個目のとどめになってしまったのです)

アカウントは、単なる数値ではありません。
人が一人ずついるのです。
アカウントの中に人間がいるということを、私は訴え続けたいのです。
「相手を目の前にしても、同じ言葉を言えますか?」と。
「なんでそこまで気を使って喋らないといけないの」という方もいらっしゃるでしょう。
なんでと問われれば、インターネットが公の場であるからです。
同じインターネットでも、第三者に見られない工夫をした場所や、メールなどのクローズドな手段を選べば、自由に発言できます。
電話や対面による会話も同じくです。
しかし、第三者に見られる場所において言葉を放つ場合には、著名無名に拘わらず、全ての人に責任と覚悟が必要なのです。

人は間違う生き物です。
口が滑ることはあります。
私も映像関係者を守りたい余り、誤解を招くような発言をしてしまいました。
しかし、間違えたことを率直に謝る心がけは持っていたいと思います。
間違えることは当たり前。
でも、間違う自分を律し、反省することはできます。
何度間違っても、何度でも次こそはとよりよい自分を目指すことはできます。
私もそうします。
皆さんもそうしませんか?

これは、そういうご提案です。
ネットもリアルも言葉は言葉、人は人。
無軌道にネットを使って、為政者に規制の口実を与える前に、私たちは自分を律してネットを使えるということを示しませんか?
(こうしたご提案を怯まずできるのは、ご理解くださり支えてくださる大勢の読者さんがいるからです。いつも本当にありがとうございます)

最後に、ジェフリー・ディーバー著『ロードサイド・クロス』(文春文庫)の序文を引用します。

「インターネットとそこにおける匿名信仰は、他人についてどのような発言をしようと、優しく守ってくれる毛布の役割を果たしている。そういった意味では、インターネットはほかの何よりも、言論の自由を逆手に取って、言論の自由という概念を道徳的に冒涜していると言えるだろう」

追記
『シアター!』については、新刊を出す度に「こんなもの書いてる暇があったら『シアター!』を出せ!」と仰る方が少なからずおられ、心が折れました。
優しい読者さんも待ってくださっていると懸命に自分を励ましてきましたが、気持ちを立て直すことができませんでした。
どの作品も大事に書いています。それを「こんなもの」と言われ続けて、『シアター!』を書くことはできません。
私は人間なので、心が折れたら自分ではどうしようもないのです。
いつか私が回復できることを私自身も祈っています。

追記2
もう立て直せないと思います。すみません。
『シアター!』を書かない私に価値がないと思われる方は私のことは死んだと思って忘れてください。

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