2020年3月24日に開催したソロリサイタル「川島素晴 plays... vol.1 “肉体”」は、客席を半減した上に、当日は電車が止まるトラブルもあり、いらっしゃれなかった方や途中からしかご覧になれなかった方も多かったようです。

 

そこで、当日の動画を、YouTube上で全てお見せすることにしました。

また、この記事では、当日配布したパンフレットの内容を一部加筆修正して掲載しております。

 

----------------<コンサートチラシ>----------------

 

川島素晴 plays ... vol.1 “肉体” チラシ表

川島素晴 plays ... vol.1 “肉体” チラシ裏

 

----------------<パンフレット原稿>----------------

 

2017年に始めた作曲作品による個展のシリーズ「川島素晴 works」は、毎回異なる演奏者、演奏団体をゲストに招いて、これまで3回開催してきました。このシリーズに続き、作曲家である私が演奏者として行うリサイタルのシリーズを開始致します。
第1回である今回は、「身一つ」でできる作品、つまり一切「楽器」を用いない作品ばかりを集めました。声の作品(いわゆるヴォイスパフォーマンス)も無しで、とにかく「肉体」そのもので「演奏」するものだけに絞りました。
ついでに自分の「肉体」も絞ろう、等と考えていたところ、今年に入ってジム通いを自粛しなければならない世相となったことが大誤算、48歳での自宅トレーニングの限界を感じておりますが、少なくとも、今までの人生で最大の鍛錬を積みました。

このような状況にも関わらずご来場頂きました皆様に感謝をこめて、命懸けで「肉体」の「演奏」をお届けできればと思います。

作曲家・肉体奏者/川島素晴

 

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*以下、文中掲載の写真は、全て平井洋さんによります。
 平井洋さんには当日のレビュー(有料)もお書き頂いております。

 

■S. ライヒ Steve Reich /手拍子の音楽 Clapping Music(1972)ソロ版

 Clapping/川島素晴

 

  

 

 

言わずと知れた本作、同じリズムが反復され、パルス1つずつがずれていき、12回ずれて一周するだけの作品。本来2名で演奏する作品だが、私は何度かソロで上演してきた。打楽器奏者でこれを独りで、打楽器を用いて演奏する人はいるが、私見としてはそれは邪道で、やはり「Clapping」の音色が「手拍子」として聴こえる音色であることは重要だと考える。
2019年11月の「題名のない音楽会」で本作を紹介した際は、頬を叩いて一部を演奏して見せたところ、インパクトをもって観られたようだが、実はあれはテレビ用の妥協案であり、最も手拍子に近い音色を追求するなら、臀部が最も近い。しかしそれだと腕に負担がかかるため、手拍子に近い音色としての次点候補である、大腿部を叩くことで上演する。ご覧頂ければお判りだろうが、この状態では、テレビでは(少なくとも「題名のない音楽会」では)放送できないと思われる。
なお、本作の各小節の繰り返し回数は、スコアには12回と記譜されている。しかし、作曲者本人を2012年に国立音楽大学にお招きしてトークセッションを行った際、私が進行役を仰せつかったのだが、そのときに質問して判明したこととして、「あれはいつか譜面を修正しないといけないな、と思っているのだけど、まだできていないんだよ。実際には、だいたい6回目くらいで見計らって次の小節に進んでいる。」とのこと。今回の演奏では6回ずつで上演している。

 

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■G. ブレクト George Brecht /滴下の音楽 Drip Music(1959)

水差し/ささきしおり 水の容器/川島素晴

 

 

 

短いテキストのみによるスコアに従って実験的なパフォーマンス作品を多数発表した、ニュー・ヨークの「フルクサス」運動の中でも代表格であるジョージ・ブレクトの作品。

要約すると、「空のバケツに水を落とす」という指示によるテキスト作品だが、第2ヴァージョンとして、単に「Dripping.」とだけ書かれたスコアもある。そこで私は、自分自身が水差しを持ち、寝転がった自分自身の口にめがけて落とすというパフォーマンスを行ったことがある。1995年に、同じくフルクサスの一員であった塩見允枝子さんによるパフォーマンス・ワークショップ「時の迷宮のJOHN CAGE」にパフォーマーとして参加したときのことだ。それ以来25年ぶりにこれを行うに際し、カフェに於けるハンドドリップの経験を持つ、ささきしおりさんに高い所から水を落としてもらう形式を採用した。ここでの私は単に、水を受け入れる容器としての身体と化す。(なすがままに肉体を差し出すパフォーマンスという点で、後半の清水作品と対になっている。)

 

*2020年9月28日追記:この上演動画は、2020年8月1日の「題名のない音楽会」にて放送されました。
また、2020年9月27日放送の「世界の果てまでイッテQ!」ではこのかたちで実演しました。出演者のみやぞんさんとのスリーショット。

 

 ささきしおり

作曲家・パフォーマー。作曲家として2018年ACL青年作曲賞日本代表に選出されアジア音楽祭台湾大会に招待参加。またドローイングサウンドアーティストとして活動しており、「サウンドパフォーマンスプラットフォーム2019」に公募アーティストとして出演。「描く」行為を「演奏」行為と定義し、演奏することを目的としたドローイングパフォーマンスを行なっている。「描線の音楽会」主催。本年8月の「川島素晴plays... vol.2 “無音”」にて新作発表予定。

 

*2021年4月11日追記:さらに、2021年4月10日ABCテレビ「リア突WEST」にてこの形で再び出演しました。さらに、ジャニーズWESTの藤井さん、神山さんを相手にした実演もありました。(まさかジャニーズタレント相手にこれの実演を行う日が来るとは・・・。やったのは私ではなく、ささきですが。)

 

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■川島素晴/視覚リズム法 Ⅰa(1994)        

パフォーマー/川島素晴

 

 

 

 

近藤譲の同名作品とは内容としては全く無関係であり、題名だけを拝借して勝手に「自分ならこう考える」という展開をしてみた作品。冒頭、両手両足と口による5種類のパルスを提示し、それが叩いたり叩かなかったりすることで「視覚と聴覚の齟齬」を生む。続く部分では、それがランダムなリズム型となると、手、足、口によりシンクロするが、そこでも「視覚と聴覚の齟齬」が体験されよう。こうして様々な「視覚と聴覚の齟齬」を提示していく作品である。

2016年の「タモリ倶楽部」に出演した際に、自己紹介がてら冒頭部分を演奏したことがあり、冒頭のライヒ作品とともに、学生時代以来の私の「持ちネタ」の一つと言えるものだが、今回のように全曲の上演を行うのは2007年のリサイタル以来13年ぶりとなる。(そのときの演目に、今回上演するライヒやグロボカールも入っていた。いわばこれからスタートするリサイタルシリーズは、2007年のリサイタルからの拡大派生版としてシリーズ計画を企てたものである。)

*「肉体」のみを用いるリサイタル、と称した中で、本作と今村作品は例外的に声も物品も用いている。看板に偽りあり、と突っ込まれる向きもあろうが、そういう「異化」の精神が大切なのですよ。

 

*2020年8月6日追記:山澤慧による上演映像が公開されたことを受け、本作のスコア全文を公開し、1996年の木ノ脇道元による上演映像もリバイバル。

 

*2020年9月28日追記:本作品のスコア全文及び様々な情報はこちらにまとめてあります。 2020年9月27日放送の「世界の果てまでイッテQ!」で冒頭部分を実演しました。出演者のみやぞんさんとのツーショット。


 

 川島素晴(かわしま もとはる)

東京藝術大学、同大学院修了。1992年秋吉台国際作曲賞、1996年ダルムシュタット・クラーニヒシュタイン音楽賞、1997年芥川作曲賞、2009年中島健蔵音楽賞、2017年一柳慧コンテンポラリー賞等を受賞。1994年以来「演じる音楽」を提唱し「笑いの構造」に基づく創作を展開。いずみシンフォニエッタ大阪プログラムアドバイザー等、現代音楽の企画・解説に数多く携わり、2016年9月にテレビ朝日系列「タモリ倶楽部」、2019年11月、2020年3月に同「題名のない音楽会」、同3月にNHK Eテレ「沼にハマってきいてみた」に現代音楽等の解説者として登壇。2017年より作品個展シリーズ、2020年よりリサイタルシリーズを定期開催。アンサンブル東風での指揮活動をはじめ、ピアノ、打楽器、声等、自作や現代音楽作品を中心に、様々な演奏活動にも携わっており、2007年には今回の演目3曲を含むソロリサイタルを開催した。日本作曲家協議会副会長。国立音楽大学及び大学院准教授。東京音楽大学、尚美学園大学各講師。

 

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■後閑綾香/足の音楽(2020委嘱作品 / 初演)         

 歩行/川島素晴 足/後閑綾香

 

 

 

 

私の創作テーマである「ダンスと音楽の融合とは何か」という問いは、今作にも続いている。今回はその融合をより可視化するために、ダンスと音楽に関わる「重力」を意識的に扱うことを考えた。その試みとして、今作は人間の基本動作でもある歩行という動きを用いている。重力を意識しながら歩くことは、それだけでも自然な振り付け、空間の形成になり得る。このアイディアはダンスのみならず音楽でも応用できると考えた。
「足の音楽」は川島素晴氏との共作によって作られた。つまり私は川島氏を身体モデルとして、体の重心の移動軌跡をコンポジションした。重心が変わることによって、足に負荷される重力の大きさも変わり、それは動きとリズムを形成していく。

(後閑綾香)

*シュネーベル作品とグロボカール作品の合間のトークにて、より詳しい解説をしています。

 

 後閑綾香(ごかん あやか)
国立音楽大学で電子オルガンを専攻しながら作曲を学び、修士課程、博士課程では作曲を専攻。修士課程在学中の2015年にはカリフォルニア芸術大学に交換留学。現在、新たな視点から音楽的特徴と身体を結びつけているダンスカンパニー「ローザス」における振付と音楽の関係性を研究しており、リサーチのためベルギーにあるパーツサマースクール2019に参加。振付家と音楽家の関係性の新たな可能性を模索中である。 2016年スプリングコンサートにてニューヨークにあるホセリモン舞踊団の芸術監督兼振付家であるコリン・コーナー振付《Swerve》の音楽を担当。2018年にはジュネーヴ・ジャック=ダルクローズ音楽院にて9人のパフォーマーの為の《Nona-form Music》が上演された。2019年にはビジュロケ夏期講習会にてスイス出身の芸術監督であるティル・ワイラーと共同制作を行う。また、「ロバの音楽座」のメンバーであるバロックダンサーの松本更紗の個展にて《Bell/e Dance》が上演され好評を博した。その他ギャラリーなど様々な場所で積極的に作品を発表している。

 

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■寺内大輔/耳の音楽(2003)                     

ガイド/川島素晴 耳/聴衆の皆様

 

 

 

 

ノイズの音楽、時には大音響にもなる。だが、演奏者以外の人間はその音楽を聴くことはできない。本作は、自らの耳を撫でたり、擦ったり、叩いたり、押さえつけたりするなど、手であらゆる刺激を与えて生じるノイズで演奏する音楽である。

一般的に「音楽表現」は,鑑賞者という他者に対して行われるものだと考えられている。しかし、日常における音楽的営みの中にもまた「自室で一人、自らの楽しみのために音楽を奏でて楽しむ」「実際には音を出さないで、頭の中で想像上の即興演奏を楽しむ」「歯磨きをする時に、あたかも音楽を演奏しているかのような意識で磨く」等々、他者に聴かれることはないが、音を伴った音楽的な楽しみを数多く見つけることができる。私は、このような音楽表現を「他者に聴かれることを意図しない音楽」と呼び、自らの創作活動の重要なコンセプトの一部として位置付けてきた。

本作を演奏するうえで重要なことは「自己満足」の追究である。一般的にはあまり良いニュアンスで用いられることのないこの言葉だが、真の自己満足を得ることは容易ではない。本日の演奏が自身の「自己満足」感を満たすことができるよう、各演奏者には最大限の努力をお願いしたい。

(寺内大輔)

 

 寺内大輔(てらうち だいすけ)ホームページ

作曲家・即興演奏家。 広島大学・同大学院准教授。日本音楽即興学会理事長。エリザベト音楽大学大学院、九州大学大学院修了。作曲を、伴谷晃二、近藤譲、クラース・デ・ヴリーズ、ヴィム・ヘンドリクスの各氏に師事。室内楽作品の他、パフォーマンスのための作品、即興演奏のための作品、水族館やパソコンソフトのBGM、校歌・寮歌など多方面にわたる作曲活動を展開。その他、美術分野と関わりの深い作品やカードゲームの制作も手掛けている。即興演奏分野では、声を中心とした様々な楽器の持ち替えによるスタイルで、コンサートホールのみならず、クラブや美術館、路上にいたるまで様々な場所での演奏を行っている。これまで、日本を含む13カ国の芸術祭、コンサートで作品発表・即興演奏を行い、楽譜・CD 数点が国内外で発売中。主著は『音楽の話をしよう―10代のための音楽講座』(2011)。

 

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■今村俊博/変種たちの狂宴(2010 / 東京初演)

カウント、指揮、縄跳び/川島素晴 朗読、譜めくり、料理/今村俊博

 

 

 

 

作品は、パフォーマー2人が担うそれぞれ3パートの関係性が徐々に変化し、1つに収斂していく。

2010年、関西圏の音楽大学を中心とした団体「Compositions関西」第2回演奏会への出品作品として作曲。

今回、初演時と同じ出演者・担当パートでの組み合わせで10年ぶりの再演である。チラシに記載のあった “「身一つ」で出来る作品” とはいささか違ってしまい、小道具がいくつも登場することになるが、最終的には「身体」の有り様(とそこから派生する、私が現在の創作活動の主テーマとしている「数える」ことや反復による「差異」)に収斂してく。

(今村俊博)

 

 今村俊博(いまむら としひろ)

1990年大阪生まれ。作曲家・パフォーマー。東京藝術大学大学院美術研究科修了。作曲を井上昌彦、川島素晴、古川聖の各氏に師事。第6回JFC作曲賞入選。クラシックギタリスト藤元高輝とのパフォーマンスデュオ「s.b.r.」、作曲家兼ヴォイスパフォーマー:池田萠との「いまいけぷろじぇくと」など、作曲、企画、また パフォーマーとして活動。「数える/差異/身体」をテーマに創作活動を展開。

 

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■清水卓也/ポリモーフィズム Polymorphism(2017 / 東京初演)

 叩く人/林美春 叩かれる人/川島素晴

 

 

 

 

時系列データの複雑度の遷移を入力すると、その複雑度を持つ時系列データを出力するアプリケーションを実装した。複雑度が上がったり下がったりする情報をアプリケーションに渡し、人体の7か所の打撃位置とリズムからなる楽譜(=時系列データ)を出力した。
叩かれる人にとっての、叩かれる位置の変化の複雑度が刻まれているのみなので 楽譜は、一応楽譜の体裁をしているが、いわゆる音楽に関する情報が入っているわけではない。打楽器奏者は自身の演奏技術で楽譜を演奏することはできるが、楽譜を音楽的に解釈・表現することができない。叩かれる人は打撃から逃げることができず、強制的に自分が感じる不快(あるいは快感)を、顔に出してしまう。
何故こんな作品を作ったのか。よくわからない。一つ言えるのは、この作品は叩かれる人に向けた作品なのかもしれない。ではあなたはなぜここにいて、この作品のやり取りを見ているのですか?
叩かれる人を、どこかで見たことがありますか? 僕はあります。
豊橋駅の新幹線の改札口、到着が遅れたため怒った乗客が改札員を叩いていました。改札員は、なぜか笑顔だったんです。多分、煽るために笑っていたのでしょう。叩かれても笑顔になれるんだって思いました。なぜか僕も笑いました。そしたら、お土産の袋を蹴られました。
今日は人がめちゃくちゃ叩かれている姿を観ていってください。

(清水卓也)


 清水卓也(しみず たくや)Twitter
愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程作曲領域修了。
Webアプリケーションのプログラマー。

 

 林美春(はやし みはる)

名古屋市出身 2009年愛知県立芸術大学卒業。卒業演奏会出演。中部打楽器協会新人演奏会第1位。第17回万里の長城杯国際音楽コンクール打楽器部門第3位。Teatro Musicaleメンバー。[表現する]をテーマに、現代音楽を積極的に取り入れたプログラムで行われる子ども向け打楽器ワークショップや、親子で楽しむレクチャーコンサートは好評を得ており、その唯一無二の活動に注目を集める打楽器奏者である。 現在、名古屋市立大学大学院 人間文化研究科在学中。研究テーマは「幼児期の打楽器を用いた音楽表現活動から考察する心の発達とコミュニケーション」について。


*林さんには、このコンサート前日の林さんによる東京でのリサイタルで、私の新作打楽器作品を初演して頂きました。それが極めて難しい曲になってしまったことの「仕返し」が行われる、と、その日のトークで言われており、ただでさえ過酷な作品、上演前から戦々恐々としております…(川島)

 

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■川島素晴/顔の音楽(2020 / 初演)

顔/川島素晴

 

 

 

 

今回のための新作。本日のプログラムは、「肉体」を題材に、全身、足、耳、等と様々な部位をテーマにした作品が並ぶ中、残された部位は「顔」、ということで、このような作品を作曲した。眉、眼、鼻、頬、口、顎といった顔の各部位を、それぞれのテンポで動かすことで「音型」(といっても本作では全く「音響」は発せられない)を提示すると、それが徐々に切迫し、そこに特異な表情による異化が生じ…といった「音楽構造」は、私の諸作品と通じる「アカデミック」な作品だが、完全なる「無音」の作品であるという意味では、次回のリサイタルのテーマを予告する。
ところで、《顔の音楽》は、英語にすると "Face Music" となる。"face the music" で「良くない結果を受け入れる」とか「進んで責任をとる」とか「いさぎよく世間の批判を受ける」等の含意があるようで、嗅覚や味覚の麻痺の症状を含む新型コロナウイルスの蔓延下に於ける本作の上演に対する覚悟の意味が、図らずも重複した。
なお、着用している防護服は、「耳の音楽」での主役である耳を、本作では使用していないことを強調し、使用部位以外、そして自身の存在をアノニマス化する意図がある。(この状況においても、恐らく大きいためか、このサイズであれば在庫はたくさんありましたことを申し添えます。)

 

<2021年4月11日追記>
2021年4月10日深夜、ABCテレビ「リア突WEST」に出演し、本作を実演しました。放送では少しだけでしたが、収録現場ではこれをフル尺で実演し、ジャニーズWESTの神山さん、藤井さんにも見て頂きました。この作品そのものに挑戦するのではなく、ジャニーズWESTのレパートリーを《顔の音楽》で実行するという方式ではありましたが、彼らは楽譜も読んで、それぞれのパーツの動きなども理解してから臨んでいます。

楽譜全編を公開しておきますので、皆さんも是非挑戦してみて下さい。

 

 

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■D. シュネーベル Dieter Schnebel /肉体 – 言語 Körper - Sprache(1979/80)

肉体/今村俊博、川島素晴、後閑綾香、ささきしおり

 

 

 

 

2018年に惜しまれつつ亡くなったドイツを代表する作曲家。実験音楽、前衛音楽、引用を含む学究的態度の音楽、宗教的作品と、多岐にわたる方向性のどの分野でも重要な存在感を示すが、日本ではあまり知られていないのが悔やまれる・・・ので、私は事あるごとにシュネーベルの仕事を紹介してきた。本作も、2010年に私が企画したシュネーベル個展で選曲して以来の上演になると思われ、追悼の意味もこめて選曲した。2010年の際は、私自身が他にも指揮者ソロによる《nostalgie》等、複数の演目を抱えていたので降り番としたが、足立智美、多井智紀、中川俊郎、長野麻子(日本を代表するシュネーベル研究者)、山根明季子というメンツでの上演で、それも強烈なインパクトをもった上演であった。いつか私自身も上演したい、という思いを、ここで果たすこととなった。
スコアにはまず、身体の各部位の様々な「練習」が記譜されている。それを習得したら、各部位を連携、移行できるように修練する。それを踏まえた応用編「物語」が数種類あり、それと、静止する要素とを用いて、後は自由に演者が協議して内容を配列して決定する。最終的な作品の姿は毎回異なるであろうが、ここで演じられる全ての動作は「記譜」されている。
シュネーベルによれば、これは「身体」による「室内楽」である。動きの結果生じてしまう音響を聴くことが想定されているのではない。身体の動きそのものを「演奏」ととらえることで、シュネーベルの意図が理解できるのではなかろうか。

 

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ここで、着替えの合間に、シュネーベル作品の出演者である3名(4曲目の作曲者である後閑綾香、6曲目の作曲者である今村俊博、2曲目の出演者で次回の作曲者であるささきしおり)に、シュネーベル作品について、ならびに各自作についてのトークをしてもらいました。

 

 

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■V. グロボカール Vinko Globokar /肉体の? ?Corporel(1985)   

肉体/川島素晴

 

 

 

ベリオや武満徹の作品を初演したトロンボーン奏者でもある作曲者は、しかし後年は専ら、アルペンホルンを含む金管楽器のための作品の自作自演を演奏活動の中心に据えていた。楽器の特殊奏法を駆使し、過酷な身体状況を作り出す諸作品によるリサイタルは、金管奏者としてはハード過ぎる。そこで、唇休めのためにしばしば本作をリサイタルの演目に組み入れていた。これが実は「箸休め」であったというところが怪人たるゆえん、それをメインに据える私など、足元にも及ばない。一方で、本作は様々な打楽器奏者によって上演されており、もはや「打楽器作品」としての定番にすらなっている。今回のリサイタルの表題の由来である「肉体」を、全て駆使して「演奏」される作品であり、日常や孤独、世界観等が織り込まれる、「肉体作品」の金字塔である。
*今回のリサイタルを決意したときに、本作のYouTube動画を全63名分(2019年5月4日現在)集めて投稿していますのでご笑覧下さい。(ちなみに、他にDVDも2種類発売されております。)

 

------------------今後の予定------------------

 

◆2020年8月1日(土)17:00 旧東京音楽学校奏楽堂

 川島素晴 plays... vol.2 “無音”

*オリンピックで湧く夏、喧騒を忘れて無音を堪能しませんか? 無音作品のみを集めたコンサート。…という趣旨でこの企画内容にしたのですが、オリンピックが延期となってしまいました。でも、いずれにせよこの内容で行う予定です。ケージはもちろん、イヴ・クライン、フルクサス、シュネーベル、自作、ささきしおりへの委嘱作品等。(この頃には普通にコンサートができるようになっていることを祈ります。)

 

◆2020年9月17日(木)豊洲シビックセンターホール

 川島素晴 works vol.4 by 木ノ脇道元

 

◆2021年3月 川島素晴 plays... vol.3 “ほら貝”

 

◆2021年9月 川島素晴 works vol.5 by ROSCO(甲斐史子&大須賀かおり)

 

◆2022年3月 川島素晴 plays... vol.4 “100均グッズ”

 

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本公演のレビューは、前掲の平井洋さんのノートのほか、メルキュール・デザール上の丘山万里子さんによるもの布施砂丘彦さんによるもの、読売新聞での松平あかねさんによるもの(次の写真)等があります。


とりわけ、松平あかねさんによる新聞評は話題となり、MXテレビ「5時に夢中」の新聞紹介コーナーで第2位として取り上げられ、4分間もさいて話題にして下さいました。

それについてツイッターで紹介した投稿はこちら

 

そしてその放送のおかげで、その後の同局「バラいろダンディ」のワイドショーの放送時間ランキングのコーナーでも再び取り上げられ、このような感じのテロップで紹介されました。

 

 

・・・というわけで、様々なメディアで話題にして頂いた公演となりました。