もともとずっと好きだったのか、アイドルを好きになったきっかけがあったのか。
僕の場合は一本の映画を観てからでした。
2012年の1月に公開された映画。
「DOCUMENTARY of AKB 48 少女達は傷つきながら夢をみる」
この映画は2011年のAKB 48の活動を記録したドキュメンタリー映画です。
僕はこの映画を観る前はまったくアイドルに興味はなくて。
この映画を観てみようと思ったのも、アイドルが東日本大震災でのボランティア活動を記録した映画と知りましたので興味を持ちまして、本当に興味本意で観に行きました。
この映画には凄いショックを受けまして、そして心から感動してしまいました。
映画の冒頭、AKB のメンバーが被災地入りして慰問ライブを開催するのですが。
移動バスから見える、まだ瓦礫の多く残る街にメンバーはショックを受けて呆然自失となっています。
メンバーさん達は不安と緊張の中、目的の被災地に着きまして、トラックによる移動式のステージでミニライブを開催さるのですが。
被災地の方々はAKB のメンバーを見るなり大喜びで歓声をあげて。
ステージが始まりましたら、ステージ最前列の子供達がバンバンステージを叩きながら一緒に歌って踊って跳び跳ねて大喜びしています。
僕はこの場面に心から感動してしまいました。
被災地の子供達をあんなに笑顔に出来るなんて。
歌の力、躍りの力、そしてアイドルのメンバーの持っている力に。
どのような状況をも明るいプラスのパワーに変えてしまうアイドルのメンバーの凄さに圧倒されてしまいました。
この映画を観てから僕はアイドルを好きになりました。
僕がアイドルを好きになって応援し始めたのは、この映画を観た2012年からでした。
その2012年の夏のある日。
少し前に「風のとおり道」というタイトルのブログを書きましたが。
あのブログに書きました、僕がトトロのシュークリームを避難所の子供達に届けに行った事。
その避難所の子供達のご家族が2012年の夏に僕宛に荷物を送ってくれました。
その荷物の中には福島県いわき市の情報誌「タウンマガジンいわき」が入っていました。
僕は震災の時にいわき市へ行った事もありいわき市にとても思い入れがありました。
そのご家族が送ってくれました、タウンマガジンいわきに一人のいわき市で活動されているアイドルさんが載っていました。
まだ15歳だった諸橋沙夏さんです。
諸橋沙夏さんは音楽業界最大手企業のタレントオーディションで応募総数約1000人の中からグランプリを獲得されていて大変話題になっていました。
地元いわき市や福島県を中心にアイドル活動やタレント活動をされていて。
いわき市で一番大きな商業施設「ラトブ」のイメージガールも勤めていました。
僕は沙夏さんが当時、毎日のように書いていたブログを訪問するようになり。
沙夏さんはラトブで隔週、公開放送をしていたのですが、僕は2012年の9月にこの公開放送を観に行きまして、その時始めて諸橋沙夏さんとお会いしました、沙夏さん、まだ16歳になったばかりの頃です。
僕は始めて沙夏さんにお会いしたときに、白髭のシュークリーム工房のトトロのシュークリームを沙夏さんにプレゼントしまして。
沙夏さん大変喜んでくれまして沙夏さんの書いていたブログにも写真で紹介してくれました。
そして沙夏さんはそのブログで僕が震災の時にいわき市へ行って避難所の子供達にこのトトロのシュークリームをプレゼントしたことも書いてくれました。
そして沙夏さんはこう書いてくれました。
「いわき市民を代表して心からお礼を申し上げます」
僕はこの時、この女の子をずっと応援していこうと心に決めました。
僕は前にブログでも書きましたが。
僕が今まで応援してきたり、観てきたたくさんのアイドルの中で「天才」と思ったアイドルは二人います。
こけぴよの二木蒼生さんと諸橋沙夏さんです。
僕は2012年からアイドルを好きになって応援するようになり、たくさんのアイドルを観てきましたが。
本当に熱心に応援してきたアイドルは。
2012年から2015年の中旬まで諸橋沙夏さん。
2015年の中旬から現在までは二木蒼生さんと、お二人に占められていたと今考えてみたりします。
2014年の3月になって諸橋沙夏さんはブログで急に今月いっぱいで所属していた事務所を辞める事を書きまして、ラトブのイメージガールも辞めまして。
聖☆少女合唱団もこの時、卒業される事を書きまして。
すべてを辞められました。
そしてブログの最後にこう書いてたのを覚えています。
「これからは今までずっとやりたくて出来なかったボランティア活動をやりたいと思っています」
そうブログに書いてました。
僕は普通の高校生に戻ってボランティア活動などやるのだろうなと思っていました。
そう思ってましたら翌月の2014年4月に。
諸橋沙夏さんは自ら発起人となりまして、新しいアイドルグループを立ち上げました。
仲の良いダンス仲間に呼び掛けてメンバーを募りまして。
「日本初のチャリティーユニット」というコンセプトのアイドルグループ「Baby Tiara (ベイビーティアラ)」です。
Baby Tiara の活動で得た、出演料、グッズの売り上げ、募金箱の設置など、交通費以外は全額「NPO 法人ふくしま震災孤児・遺児をみまもる会」に寄付する事を決められていました。
かなり徹底されていたみたいで新聞の取材で、ライブ会場を提供していた、いわき市の名門ライブハウス「QUEEN 」 のマスターはBaby Tiara のメンバーに「出演料の一部を衣装代にまわしては」とメンバーに提案したらメンバー全員が拒否されたそうです。
それからはメンバー全員が懸命になってアイドルのライブによるチャリティー活動を行ってきました。
期間限定のチャリティー活動をされたアイドルグループはたくさんあると思うのですが。
無期限にチャリティーそのものを活動のコンセプトにされていた、売り上げを全額寄付するようなアイドルグループは日本でBaby Tiara だけだと思います。
それと定期ライブの会場。
日本全国にあるアイドルグループは、ほとんどのグループが定期ライブを開催していると思うのですが。
その全国のアイドルグループの定期ライブの会場はほとんどライブハウスでかいさいされていると思います。
チャリティーユニットBaby Tiara の定期ライブの会場は。
活動を始めて1年近くは地元いわき市の名門ライブハウス「QUEEN 」 が定期ライブの会場を提供してくれていましたが。
そのあと定期ライブの会場が変わりまして。
いわき市四ツ倉の海の近くにあります「チャイルドハウスふくまる」という施設で定期ライブが開催されるようになりました。
チャイルドハウスふくまるを運営されているのが。Baby Tiara がその活動で得たお金をずっと寄付し続けているNPO 法人ふくしま震災孤児・遺児をみまもる会がチャイルドハウスふくまるを運営されていました。
チャイルドハウスふくまるは。
東日本大震災で親を亡くされた孤児や遺児の子供達の心のケアをする為の施設として設立されて。
放射能の影響で普段、外で思いっきり遊ぶ事が出来ない福島の子供達の為の遊び場として設立されました。
日本全国のアイドルグループの中で。
このような施設で定期ライブを開催されていたアイドルグループは他に一組もいなかったと思います。
このチャイルドハウスふくまるが設立された費用は。
2011年7月29日の30日の2日間。
布袋寅泰さんの吉川晃司さんのお二人の超大物による伝説のユニット「COMPLEX(コンプレックス)」が東日本大震災の復興支援の為に20年ぶりに2日間限定で復活ライブを東京ドームで開催されました。
このライブの売り上げは全額被災地へ寄付される事になりました。
このCOMPLEX による東京ドームのライブでの売り上げの一部で「チャイルドハウスふくまる」は設立されました。
ふくまるオープンの折りには、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使も視察に訪問されまして。
ケネディ大使が書かれた絵本とメッセージが寄贈されました。
チャイルドハウスふくまるにはAKB 48のメンバーも被災地慰問活動の一環として訪問されました。
Baby Tiara によるチャイルドハウスふくまるでのライブの写真です。
当時、仲良くさせていただいてましたファンの方からいただきました写真の数々です。
僕の下手なスマホ写真よりもずっと良いです♪(;^_^A
この写真のように施設に遊びに来ていた子供達がしょっちゅうライブに飛び入りしてました♪(笑)
震災孤児・遺児をみまもる会の曽我理事長に活動で得ました寄付金を渡されています。
Baby Tiara はそのチャリティー活動の内容が評価されて。
アメリカ発のボランティアの世界大会。
文部科学省後援の「第17回ボランティア・スピリットアワード」で北海道・東北部門「コミュニティ賞」を受賞しました。
授賞式に出席されたメンバーの武田じゅりかさん。
アメリカでのこの大会は毎年全米から2万組以上もの応募があり、全米表彰式ではハリウッドスターやライス国務長官やパウエル国務長官、ブッシユ前大統領夫人とアメリカの政治の中枢を担う政治家などが特別ゲストとして招かれて盛大な催しとなっています。
日本でも20年もの歴史があり、おそらくアイドルグループで受賞したのはBaby Tiara が初めてだと思いました。
=LOVE のプロデューサーの指原莉乃さんはメンバーがかつて在籍していたグループの事などもきっと調べられたと思われます。
諸橋沙夏さんがどこの事務所にも所属せずにチャリティーユニットのBaby Tiara というグループを立ち上げて活動していた事も。
僕が今書きました事ももしかしたら知っているのではと思いました。
絶対有り得ないと思いますが、もし万が一、指原莉乃さんがこのブログを読んでもらえましたらと、そのような気持ちでこのブログを書いてみました。
チャイルドハウスふくまるでのBaby Tiara のステージが終わった後に、一人の女性がメンバーに近づいてきてお話をされました。
その女性は震災の時に津波で家が流されてしまった方だったそうで。
女性は沙夏さんの手を握ってこう言いました。
「寄付なんてしなくていいんだよ、あなた達の歌が聴けたらそれだけで十分なんだから」
沙夏さんは号泣されてました。